たすけの定点観測「新宿末広亭」

その五十五  番組 : 平成十二年二月下席・昼の部  主任 : 古今亭円菊  日時 : 二月二十七日(日)  入り : 約八十人(十二時二十二分入場時)  報告 : ミスターX  JR武蔵野線の新三郷駅は、ついこの間まで、知る人ぞ知る“珍駅”だった。上り と下りのホームの間に広大なススキの原っぱが広がり、二つのホームを行き来するに は徒歩で五分近くかかってしまう。あまりの遠さに、夕暮れ時には、向かいのホーム に停車する電車の姿は遠くかすんでみえないほどである。  たすけの家を訪ねるたび、二つのホームをつなぐ古びた連絡橋の上から、旧国鉄資 材置き場の名残だという、荒涼とした空き地を眺めるのを、実はひそかに楽しみにし ていた。ところが、なんということだ。久しぶりに来てみたら、たそがれていた駅舎 が小ぎれいになり、それに合わせるように遠く離れていたホームがひとつになってい るではないか。しかも、良くみると、二つのホームはたすけの家から遠い方で一本化 されている。ははははは、かわいそうだが笑ってしまうよな。  駅からたすけのマンションまでの十数分、公団三郷団地という、昭和四十八年建設 当時「東洋一の規模」と呼ばれた大団地を抜けていく。歩けども歩けども回りは古色 蒼然とした五階建ての建物ばかり。いいかげん嫌気が差してきた頃に、いきなり視界 が開け、当たりには不似合いの、二十一階建てのたすけのマンションがぬぬぬっと現 れるのだ。  六階の角部屋、やたらに窓が多い東南向きのリビングの片隅のコタツに、ちょこな んと座ったたすけは、僕の顔を見て、いきなりの長セリフである。  「あのなあ、今まで忙しかったのだからちょうどいい休養になったろとか、神様が くれたお休みだと思えよだとか、長い人生の中のたった数ヶ月の休養じゃないかとか、 また一からやり直せばいいじゃないかとか、そういうことは言わないでくれ、っての が前置きなんだけどな。……、何でおれじゃなくちゃいけないんだろう。やろうとし たこと、やりたかったこと、やれればいいと思ったこと、去年から計画していたこと がすべておじゃんになっちゃった。ははははは。もう、あんまり間抜けなんで、笑っ ちゃうしかないよな」  前置きで、考え付きそうな慰めの言葉を封じ込められてしまったので、返す言葉に 窮した。「ま、人生、晴れた日ばかりじゃないぜ」。言ってから気がついたのだが、こ れでは意味が逆である。「時そば」の「いい後は悪い」と同じじゃねえかと、たすけの 顔を見たら、「バーカめ」という顔で笑っていた。学生時代から数えて二十年以上の付 き合いだが、いつのまにか、ヤツもずいぶん打たれ強くなったようだ。「ホイこれ」と 書き溜めた「定点観測」の原稿を渡し、出前のもりそばをご馳走になって、そうそう に帰ってきた。  二月の末、末広亭通いも六回目。うまく日にちが取れないので、今日もまたまた通 し見物である。たすけにFDを渡して「定点観測ごっこ」も少し気が抜けてしまった のだが、「この調子であと二回、下席も頼むわ」といわれては仕方がない。人に者を頼 まれたら後には引けねえ引越しの強さってえのは、落語国の住人だけではないのであ る。  さてさて、今回は、伊勢丹地下の弁当選びに時間がかかってしまい(天一の天丼と、 米八のおこわ弁当。どちらにしようか売り場を四往復したためである)、初めて、開演 時間に間に合わなかった。木戸をくぐったときには、前座、二ツ目が終わり、漫才の にゃんこと金魚が楽屋に戻るところだった。  上手側、中ごろのイス席に腰を落ち着けて、菊千代「松山鏡」から聴き始めた。  「ええと、この後アタシより美しい人は出ません」といって、テレ笑い。「女流真打 誕生」と騒がれた頃の力みが消え、肩の力が程よく抜けた聴きやすい高座である。  このところ漫談ばかり聴かされていたさん助だが、今日は久しぶりに古典ネタ「不 精床」である。万段のときは、くせのある早口で、語尾が聞き取りにくいのが難点な のだが、ネタに入ると不思議になめらかな語り口になるのが不思議である。一席終わ った後は、尻をはしょって、いつもの「釣りの踊り」。のどかなものである。  とし松の曲独楽をはさんで、菊龍「堀の内」。「こないだ、所沢の先の文化センター でやったら、だれも笑ってくれませんでした。どうしてかなと思ったら、ここは飯能 市内(はんのうしない)ですから、だって」。のんきそうな顔と、のんびりした口調。 今日は妙に利きがいい暖房の効果もあって、ねむいねむい。  「間の時間帯です。睡魔と戦いましょう」  小袁治のツカミがあまりにグッドタイミングだったので、思わず目がさめた。ネタ は、この人独自の「東北弁金明竹」。大阪弁の言い立てが、ケロケロケロという東北弁 に変わり、それにともなって道具七品の内容も大幅に変更されている。それじゃどう さげるかと思ったら、本編とおなじ、「いいえ、かわず」。どうやって同じサゲに持っ て言ったかは、ま、一度聴いてみてくんなまし。  「野口雨情になりたい」というアコーディオン漫談の近藤志げる。この日は、おな じみの「しゃぼん玉」でしんみりさせた後、「蒙古放浪の歌」なんて珍品を披露した。 「知ってる人?……、やっぱりいねえや」  円弥のゆったりした「かわり目」の後は、菊春が猛烈な早口で「鴨とり」を。枝雀 でおなじみの「鷺とり」の東京バージョンだが、サゲは一人助かって四人――死なな かった。  「手品師です。今日はアタシ一人ですから、たいしたことできません」という、松 旭斎静花。そんなこといって、スゴイネタ見せるんでしょーと思ったら、ハンカチか ら新品のマジックインキを取り出して「ハイ、最新のマジック」だって。ほんとに大 したことないじゃん。  中トリ円歌は、いつものアレ。「昨日、名古屋でデナーショーに出てさ」って言い方 が、なんかいいよな。  休憩の後、食いつきの菊之丞に「待ってました!」と声がかかる。ネタは得意の「湯 屋番」。歌舞伎の若手みたいな容貌を生かして、妙に色っぽい若旦那の、日本橋巻町の 奴湯での大騒動を陽気に描き出す。安心して聞ける二ツ目の一人といっても、どこか らも文句はでないだろう。  漫才師では比較的早い段階からインターネットにHPを開いている遊平かほり。日 常を淡々とつづった日記が面白い。普段のネタで触れることはほとんどないが、この 日は珍しくHPの宣伝から。  「僕の顔良く映ってます」「ごめん、あんたの顔、モザイクかかってる」のやりとり がおかしい。  「おれ、うけるの飽きちゃった。寄席の爆笑王だから」と川柳。自分で言うところ が、この人らしいんだろうな。  盗作問題やらをぼそぼそやった後、「では、またかとお思いでしょうが、歌は世につ れ…」といっただけで、パチパチパチと拍手である。「うけるの、飽きた」と言ってる 割には、ご当人は拍手の量がお気に召さないらしく、「何か反応が違うなあ。土、日は ちょっとセンスが違う。平日のがいいんだよな」だとさ。すべてを客のせいにしてケ ロリとしているのは、天晴れである。  お次は、「定点観測」でたすけが絶賛している今松である。初めて見る顔だが、いや ー、見事なほど「お地味」。ごま塩頭で、のっぺりした顔、口調はあくまでもやさしく 穏やか。新宿の街角ですれ違ってもぜーったいわかんないタイプの噺家さんである。 こんな印象が薄いんじゃ、落語のほうも心配だなあと思って聴いていたら、いつのま にか、すっかり引き込まれてしまった。はじめは漣のようだった客席の笑いが、どん どん大きく、一つになっていくのが手に取るようにわかる。うけてもうけなくても、 ゆったり穏やかなペースは終始変わらず、時折きらりとしたものを垣間見せる。江戸 前の「家見舞」 。見事でした。  ひざ代わり、ギター漫談のペペ桜井は五分足らずの短い高座。この人、どういうわ けだか、持ち時間がたっぷりあるより、短い時の方がはるかに面白い。一度分析、検 証する必要があるかも。  トリの円菊を聴いて、ぺぺの時間が短いわけがわかった。円菊のネタが「らくだ」 だったのである。最低三十分はかかる大ネタを昼席で聴けるとは思わなかった。どち らかというと、爆笑系の噺家だけに、「らくだ」はどうかと思ったが、妙に大作風にす るのではなく、円菊ならではの飄々とした味に仕上げてみせた。  死んだらくだの死骸を前にすごんで見せる兄貴分がちっとも恐くなく、そのぶん兄 貴分にいじめ倒される屑屋がすっとぼけていて悲壮感がない。  「命が惜しくないか!」「行きますぅ」  この軽さが円菊調なのだろう。本格的な大ネタを期待すると肩透かしをくった気に なるが、聞き終わった後のふわふわとした気分はそう悪くない。ふらりと寄った寄席 で聴いた、拾い物の落語。ちょっとうれしい気分をオカズに、天一の天丼をかっ込む。 時間がたって、しんなりとした海老天の、おだやかな甘さが格別だった。 ミスターX


表紙に戻る     目次に戻る