たすけの定点観測「新宿末広亭」

その五十四 番組  : 平成十二年二月中席・夜の部 主任  : 三笑亭夢丸 日時  : 二月二十日(日) 入り  : 約四十人(四時四十七分開演時) 報告者 : ミスターX  遊びと仕事の区別がつきにくい(きっと本人にも区別がついてないはずだ)たすけ と違って、フツーの会社員である僕が末広亭に来られるのは、土曜、日曜だけ。貴重 な休日を使って、今まで計五回の昼夜通し見物をしてきたわけだが、一番印象に残っ ているのは、夜の部は客の帰りが早い、ということである。  せっかく寄席に来てトリまで聴かないで帰るなんて、ばっかじゃねえのと思うのは、 落語病患者の幻想なのかもしれない。今どき寄席なんかより面白い遊びどころはある わけだし、四時間半も同じ所にいるのもカッタルイ。家が遠いし明日が早いし、たま には早く帰りたいという時もあるだろうし、空腹を抑えてトリまで見ても、ハネる時 間が九時半過ぎじゃ、目当ての店のラストオーダーに間に合わない。とまあ、世間に は寄席を早めに出なければならない理由が山ほどあるのである。日曜日のこの日も、 昼の部が終わると、ぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろ。えええっ、みんな帰っちゃ うのーと思うまもなく、三分の二の客がどこぞへいってしまったぞなもし。はあああ あっ。客席ががらんとしたとたんに、腹が減った。末広亭に来る前に、朝昼兼用の遅 い食事をたらふく食ったので、当面は大丈夫と思っていたのだが、意外に持たなかっ たな。何も運動してないのにね。しょーがない、売店でいなり寿司でも買うかと行っ てみたら、売り切れじゃねーの。あああ、どーしよー。僕がよほどひもじい顔をして いたのだろう。最後尾で帰り支度をしていた顔見知りの女性が、「あまりモノで良かっ たら」と今川焼を二個恵んでくれた。前に一度ネタの名前を教えてあげたことがある というだけの怪しげな中年男に、この親切。くーっ、泣けるなあ。さっそく、「おーい お茶」の缶(これだけは忘れないで持参していた)をお供にパクつく。アンコって、 けっこう腹持ちがいいようで、たちまちお腹の機嫌が直ってしまった。日曜の夜の寂 しい客席に居残りを決めるのが「真の落語ファンではないか!」と議論を戦わせつつ (だれとだ)、さあこい夜の部、てなもんである。  前座・正夢の「つぼ算」で開幕。二ツ目、好円の「ん廻し」が古風でいい。この人 とか、柳八とか、ベテランで言えば枝助、円、小柳枝など、芸協の芸人さんには、こ ういう「今時の人じゃない」(好意的な表現だよ)タイプが多いような気がする。懐か しいというか、ほっとするというか、この古めかしさを時代遅れといってしまっては、 寄席通いの楽しみは半減してしまうと思うのだが。  「あたしはねえ、売れない、目立たない、稼がないよう、細心の注意をはらってき て、今理想的な生活をしています」と、妙に明るく言い放つ左円馬。確かに寄席では あまりお目にかからない人だよね。でも、こうまで言いきってしまってはシャレにな らない。聴いてるこっちが笑っていいものか悩んでしまうではないか。今年の紅白歌 合戦の出場を(自分で勝手に)決めたとかで、その出場曲が守屋浩の「ありがたや節」 の替え歌で「おめでたや節」だって。悪いけど、そんな歌しらねえよー。で、歌詞の 中身は「日本の政治家は腐敗してる」とか「大企業はよくない」とかいう“世相批判”。 こんなのを八番ぐらいまで聞かされてみなさい、拍手する気も起きないから。二十五 分の堂々たる熱演。左円馬は、別の意味で今時の人じゃない。  柳橋が淡々と「強情灸」を演じた後、真打間近の小文が登場。「あやしいものではあ りません」と南なんのようなセリフがおかしい。この人の場合は「性別不明」といい たいのだろう。南なんは…、説明する必要ないか。「真田小僧」を元気に演じた後、「楽 屋で踊れといわれてきたので」と立ちあがって、「深川」を律儀に踊った。  枝助の漫談は、あっちへ行き、こっちへ寄り道し行き当たりばったり。「隣のパチン コ屋、十日間通って、やっと今日出たんですよ」とギャンブル話を始めたかと思うと、 「あ、四人様いらっしゃい。二人二人別々?前の三列目までがいいよ、ツバキの間と いって」と途中入場者をイジクる。ケータイがなれば「よくなるねえ(彼の高座中三 回も鳴った)、すてちゃえばいいんだよ」と突っ込むそばから、トイレ帰りの客に「さ っぱりした?」と愛想を振り撒く。中身も何にもない高座なのだが、不思議に気持ち が和んでくるのがこの人の人徳(?)なのかもしれない。  講談の神田松鯉は、自分の羽織の紋を見せて、「枝助さんと同じなんですよ。鷹の羽 のぶっちがえといって浅野家の紋所。ま、かれのは古着屋の化繊、アタクシのは三越 で買った正絹ですがな」と笑いをとると、間髪置かずステテコ姿の枝助が乱入し、「じ ょうだん言っちゃいけない。伊勢丹で買ったんだよ」と逆襲だ。まったくもう、この オヤジたちは。松鯉のネタは「判官切腹」。短い持ち時間ながら、格調高く読みきって、 こちらの背筋も伸びたようだ。  紙切りの今丸へ。リクエストが全然ないのがさみしいが、当人は気にもせず、「えび す大黒」、「四畳半」、「競馬」、「藤娘」、「宝船」とどんどん切って、売り物の似顔絵で チョン。マイペースだなあ。  円雀「転宅」、栄馬「かわり目」と地味だが、きっちりとした落語が続いて、俗曲の 桧山うめ吉が、初々しい日本髷で登場した。「お地味でございます」の桧山さくらのお 弟子さんで、しばらく芸協の前座仕事をやってきたが、最近高座デビューとのこと。 顔よし声よし仕草よし、なんかお座敷で遊んでる気分になった。都々逸、さのさ、「春 はうれしや」ときれいな高音をきかせて、あとは立ちあがって「奴さん」と「姐さん」。 「師匠はさくら、あたしはうめですが、まだ未熟者、うめの蕾です」だって。がんば ってねー、おじさん応援するから。  うっとり気分で迎えた仲入前は、小遊三の「持参金」。金ほしさに、妊娠三ヶ月のと んでもない女を嫁にもらうという、後味の悪い噺だが、小遊三はこの不運な男を無類 の不精者としているので、「ま、いいや」とすべてを受け入れてしまうラストに、妙な 説得力がある。  食いつきの右紋、いつもの駄菓子屋懐古談「ばばあんち」に入ったとおもった、あ れあれ、途中から「どどいつ親子」に針路変更である。この人の筋のある新作ははじ めてだぞ。権太楼がたまーにやる程度の珍しい噺だが、これ、面白いよね。都々逸の 勉強にもなるし(ならないか)。  夢楽のゆったりとした「手紙無筆」の後、米丸の代演、幸丸の漫談に軽い味がある。 故郷の郡山で落語会をやると、必ず両親が来るのでやりにくい。最近はむこうも「行 くよ」といわないでこっそり来るようだが、すぐにわかってしまう。「だって、みんな 前向いて笑おうとしてるのに、二人だけ下向いてるんだもの」。親心だなあ。  歌六のノコギリ音楽「憧れのハワイ航路」は実に調子がよい。勝ってるときの歌は 明るいなあ、ってのは川柳の「ガーコン」か。  長い長い通し見物の大トリ、夢丸が「元禄花見踊り」の出囃子にのって、重々しく 登場だ。テレビのレポーターをしているときと雰囲気がまるっきりちがう。口調も気 持ち良いくらいのべらんめえで、この人に講談を読ませたら楽しいのではないかと、 聴くたびに思ってしまうのだ。名匠・左甚五郎の業績を、メリハリのある口調で語っ た後、甚五郎仙台旅日記ともいうべき「ねずみ」に入る。四十五分の熱演。導入部の 狂言廻しとなる子供が、大人っぽすぎるのが難だが、堂々とした芸道物語である。こ の時、客席は三十人足らず。こういう落語にあたることがあるから、早く帰ろうと思 う日でも、ついついトリまで粘ってしまうのだ。  はじめ寒くて、あとで温かい。いろいろあった一日だが、追い出しの太鼓を背に末 広通りに出てみると、二月半ばの夜風はまだ冷たかった。 ミスターX


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