たすけの定点観測「新宿末広亭」

その五十三 番組  : 平成十二年二月中席・昼の部 主任  : 三遊亭円右 日時  : 二月二十日(日) 入り  : 約八十人(開演時) 報告者 : ミスターX  えらいことだ。たすけが退院してしまった。密かに書き溜めていた「X特製定点観 測」をごっそり病室に持ち込み、「ほれ、見舞だよ」と驚かすつもりでいたのに…。一 昨日病院に問い合わせたら「十二日に退院しました」だって。たしか二月一日が手術 にはずだから、わずか十二日で娑婆に出てきた計算になるぞ。そんなに早くて大丈夫 なのか!それよりなにより、とうとう入院中に見舞に行き損ねじゃないか。ちぇっ。 聞けばたすけは、病院内でのリハビリもあまりやってないようなので、しばらくはあ の、駅から自宅のマンションまで徒歩十五分の間一軒も一般住宅がない(団地ばっか し)という今時あきれるほど大雑把な新三郷近辺を徘徊することになるのだろう。末 広亭通いもままならないはずだから、今月いっぱいはこのまま続けるとするか。いや、 何にしても、めでたいめでたい。  てなことを考えてぐずぐずしていたら、みるみる時がたってしまい、あやうく中席 を聞き逃すところだった。千秋楽の二十日にようやく新宿へ。ぎりぎりセーフではあ るが、おかげで今回も昼夜通しの見物である。今年五回目の末広亭、今日は何か胸騒 ぎがするぞ。前途に暗雲が垂れ込めているような、イヤな気配。あせったおかげで夕 食用の弁当も買い忘れているし、雪が降るなんて天気予報は言ってるし、この先九時 間半あまり、どうなることやら。明日は早朝会議だしなあ。  午前十一時四十七分、前座・枝六のなんとも間延びした「子ほめ」で昼の部の幕が 開いた。二ツ目は、寿輔門下の錦之輔。「誰に似てるかと申しますと、桂三枝、ナンチ ャン、ぐっと離れて役所広司」。おいおい、このツカミのフレーズ、最近どっかで読ん だ(錦チャンは初めてみる)気がするぞ。そうだ、「東京かわら版」の新春クイズにあ った難問じゃないか。そーかそーか、彼のことであったか。って、こんなマニアック な問題、だれが考えたんだ?寿輔さんちの子だから、ネタは当然新作で、「魔法使いゼ リー」とでもいうのか。いじめられっ子の前に颯爽と現れたゼリーちゃんが、トカレ フとか、サバイバルナイフとか、スタンガンとかの実物(実はせこい代用品なのだが) を出してきて、あきれたなあというお話。サゲなのか途中なのか、よくわからん個所 で噺を切って、そそくさと高座を下りる錦之輔。年齢層の高い客席はシーンと静まり かえり、入りの割には冷たい隙間風が吹くのであった。  松旭斎八重子のロープの手品を挟んで、右左喜、南八と漫談が続く。どちらもとり とめのない展開で、客席がますます寒くなっていく。ううう、悪い予感は、こういう 形で現実化していくのか。  さらに悪いことに、末広亭名物の暖房機、特に上手側のやつが、今日はことのほか 機嫌が悪い。初めってからずーっと、「ザザザッ、ザーッ」という不気味な音を吐き出 しつづけているのだ。で、僕はといえば、まんまと悪魔の計略にはまり、上手桟敷前 方の特等席に座っているのだ。ちょいとわけありで、荷物がたくさんあるので、たま にはゆったり桟敷でみるかと思ったのがこの結果である。高座が低調なせいで音が気 になるのか、暖房がうるさいから芸に集中できぬのか、いずれにしても、見事なシナ ジー効果ではある。  Wモアモアの「俺たちのは芸じゃないよ、立ち話」と、円輔の早春ネタ「長屋の花 見」でようやく一息ついたが、この後がまたつらかった。写楽独特のねっとりとした 口調は、ネタによってはが独特の色気を生むが、漫談の時は愚痴っぽく聞こえて、印 象が悪い。この日のように盛り上がりの少ない流れで聞くと、何だか近所のオヤジに ねちねちと説教されているような気になる。ボンボンブラザースの代演、こくぶけん の場合は、ちょっとかわいそうだった。マイクの調子が非常に悪く、それを気にして リズムを崩してしまったようだ。こういう時、この人は自虐的なギャグに逃げる傾向 があるんだよねと思うまもなく、「自分で壊したネタの修復に苦労するっても好きなん やね」ときた。当然、ギャグは不発である。  そこへ行くと、いつもマイペース(これが怪しいペースなのだが)の南なんは、頼 もしい。いつも通りのフニュフニャしたマクラで、客席をしっかりつかんでしまった ようだ。特に前のほうにいた小学生くらいの子供の拍手がうれしいらしく、南なんの ボルテージがどんどん上がっていく。ネタは「道具屋」だが、この人の与太郎は、特 に声音をいじらなくても、そのままで行けるからいいよね。「いらーっしゃい」という、 のんびり口調が、アサダ二世の第一声と似ていることを発見。あとで、アサダ好きの たすけに聞いてみよう。  小円右の「初天神」は「飴屋」までの短縮版。続く玉川スミの芸術的ともいえる「客 いじり」で、ようやく客席に暖かな風が吹いてきた。  「寄席で一番面白い女が出てきたんだから、一緒に遊ばなきゃ、しまいにゃぶつよ! (最前列の客に向かって)目の前で腕組んでる場合じゃないよ!(下手桟敷を指差し て)その辺は何やってんの!特別席なのよ」と方々ににらみをきかせながら、拍手を 強要する。これだけやって、イヤミな印象を与えないのは、芸歴七十数年の蓄積かな あ。  一度温まった客席を冷やさないのは、ベテランの力である。次の円は高座に上がる や、「ただ今はチンコロ姉ちゃんがお目見えしまして。明るくていいですね。あんな不 思議な人はいないよ。トンボ切って風呂に入ったり、八十過ぎて中ジョッキ十杯も飲 んだりするんだからね、ありゃ、死んでもしばらくほっといてもいいね」。場内大爆笑 である。  小天華の代演は、漫才の東京太ゆめ子のはずだったが、あれれ、京太一人で登場。  「いつもは夫婦漫才なんだけど、一週間前から帰ってこなくてよー。そっち行って ねえけ?」だって。カミサンがいないこの時とばかり、「男は歳月が経つと愛が大きく なるけど、女は態度が大きくなる」とくさしていたが、最後は「ほんとにいい女。あ れだけの女はいない」だとさ。案外袖でゆめ子夫人が聞いてたりしてね。それじゃ「か わり目」か。  夢太朗の「禁酒番屋」は、やたら元気がいい。明るく大きな芸風は認めるが、この 人の場合、いつも押す一方なので、時にうるさく感じるときがある。とりわけ今日は、 エアコンが耳障りだからね。  鮮やかな黄色の地に波模様の着物で登場の寿輔、「えー、突然熱帯魚みたいのが出て きまして」。この位置では漫談かと思ったが、「代書屋の 儲かった日も 同じ顔」と きた。へー、「代書屋」やるんだと、興味しんしんで聴いてみた。寿輔の口調は見た目 の奇怪な印象とは違って、かなり知的、論理的である。ということは、この「代書屋」 のチョーおろかな客も、寿輔がやると、そんなにお馬鹿に見えない。むしろ、むちゃ くちゃなことを言われて怒ったり呆れたりする、代書屋の反応を楽しんでいるような 感じなのだ。枝雀、権太楼路線の「代書屋」とは一味違った高座だった。  キャンデーブラザースの傘の芸をひざがわりに、本日のトリ、円右の登場。あいか わらず足の具合が悪いようで、見台を出しての高座だが、口の方はまったく衰えを見 せていない。ネタは昔よくかけていた「青い鳥」を、たっぷり三十分、熱演した。  学校で子供たちの演芸会が開かれることになり、「おれたち父兄も協力しよう」と大 工と左官屋の二組の夫婦が芝居をやることになる。「父帰る」がいいか、「伊豆の踊り 子」がいいか、「オセロ」にしようか、「源氏物語」がいいかと、あれこれ候補作をあ げて検討する件がものすごくながい。どれも「黒板塀に見越しの松を背景に」で始ま る同工異曲のハナシということで、繰り返しのおかしさを狙ったのだろうか、六本も 七本も同じようなハナシを聞かせれても笑えるもんじゃない。やっと「青い鳥」を上 演することになったのだが、この中身が、桜田淳子の「私の青い鳥」を四人全員であ てぶりするというもの。スキンヘッドの口をとがらせて、「クッククック、クッククッ ク」と体を捩じらす大ベテランを、延々と見ているのは、僕にはちょっと辛かった。 しかし「私の青い鳥」、今の若い演芸ファンは知っているのだろうか。  通し上演は、ようやく半分。外はまだ雪は降っていないようだ。 ミスターX


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