たすけの定点観測「新宿末広亭」

その五十二 番組  : 平成十二年二月上席・夜の部 主任  : 川柳川柳(林家木久蔵の代バネ) 日時  : 二月五日(土) 入り  : 約五十人(四時五十分開演時) 報告者 : ミスターX  今月一日に心臓のバイパス手術を受けたたすけが、順調に回復しているとい う。正月に倒れた時は一週間近くも集中治療室に入ってたのに、手術後はIC Uをたった一日で脱出し、そろそろと歩き始めるほどらしい。今まで見舞いを 遠慮というか自粛していたのだが、ここらへんが“行き時”かもしれない。  僕が定点観測の真似事をしているのを知ったら、たすけはどう思うだろうか。 何本か書いているうちに、たすけの文体模写には多少自信が出てきたが、中身 の方はどんなものか。学生時代ならともかく、社会人になって以降、寄席通い に何度かブランクがあるのが、ちと辛いところである。ま、僕の「定点もどき」 を読んで、ヤツが「こんな与太郎に任せとくわけにはいかん、早く現場復帰し なきゃ!」とベッドから立ちあがってくれれば、一応の役目は果たせたことに なる、思うのだが。  今回もまた通し見物である。昼の仲入あたりでは、百五十人以上はいたはず の観客が、夜の部開始時には三分の一に減ってしまった。おいおい、土曜の午 後だぜ、他に行くところなんか……、いっぱいあるか。新宿だもんなー。  開口一番は十八(とっぱち、と読む)の「転失気」。棒読みに近い台詞回し に、妙な愛嬌があって、親しみがわく。これが、単なるカラッペタでなく、フ ラであれば、面白い存在になりそうだ。  二ツ目は、心境著しいと評判の新作派、彦いち。以前は、多分に独り善がり の作品ばかりあげてきて、どうなることやらと思っていたが、神田茜との結婚、 出産(もちろん茜夫人が、だが)を境にめきめき腕を上げてきたのは間違いな い。今日は、激安ショップへの変身をはかる葬儀屋さんの噺で、結構笑えるの だが、葬儀屋夫婦の会話に終始してしまうのが難点である。作品世界に広がり がないから、聴き手が、こりゃ小品だなと感じてしまうのである。  「カ・メ・タ・ロ・ウ・ハ、イイオトコ・ダヨ」と三味線を弾く亀太郎。父 親と一緒に高座に出ていた若い頃は、気弱そうな若旦那かなと、思ってたんだ けどね。  「トキゾーです。ジゾウじゃありません。上は中村じゃなくて、林家」とは、 時蔵のつかみのセリフ。角の取れたジャガイモのような風貌だが、意外や声が いい。喉に関しては、萬屋よりいいかも。  持ち時間の関係か、正雀は「湯屋番」の途中から、大急ぎでしゃべりつづけ る。この手の「一人キ○チガイ」ネタは、このくらいポンポンとまくしててた 方が聴きやすい。せわしないなあと思いつつ、いつのまにか落語に弾きこまれ てしまうのだ。  アサダ二世は例によって(?)省略して、文朝「子ほめ」、伯楽「親子酒」 と安定した、笑いの多い高座が続く。  遊平かほりの漫才は、「夫婦」ということにこだわりすぎてはいないか。話 題が家庭の枠をはみ出さず、こじんまりとまとまってしまうのは惜しい。  「飲む打つ買うはぜんぜんやりません」というセリフがまったく説得力のな い志ん馬。ギャンブルネタの「看板のピン」を妙にいきいきと演じている。  病気療養とかで師走、正月の席を休んでいた扇橋が、久々に復帰。のんびり と「二人旅」を演じる。  「青々とした一面の麦畑。これにトロロをかけて食ったら上手いだろうな」 というのどかなクスグリが、扇橋の風情に似合っている。  仙之助仙三郎の太神楽を挟んで、中トリのさん喬。「今の若い方、ガングロ ってんですか、街中にうようよいて、ここは海辺かと思いますね。あれ、一時 間三千円で焼くんですって。火葬場とかわんない」とクサした後、「そういう 若い方々でも愛を語る言葉は変わらない」とフォロー。「どしたい、清蔵は」 と得意の「幾代餅」へ入っていく。トリネタになる噺を巧みにさばいて二十分 チョイ。客席から「うまいなぁ」と嘆声が漏れた。  後半一番手の、きく姫が神田茜作の忠臣蔵外伝「スキスキ金右衛門さま」に 果敢に挑戦。「こう寒くなってくると、時代劇を見たくなりませんか?……、 ならない。アハハハハ」という間抜けな導入でどうなることかと思ったが、「生 まれた時にオデコがテカテカしてたから『おてか』とつけた」という主人公の 真情を丁寧に描いて、すがすがしい。この出番では「やりすぎ」ともいえる二 十分の高座に、温かい拍手が贈られた。  次の順子ひろしは、時間調整だろう。十分に満たない高座だったが、しっか り笑いをとっている。「うっふーん、アタシ、漫才界の宇多田ヒカルっていわ れてんのよ」という順子のセリフ、ちょっと前までは「安室奈美江」だったよ な。さすがベテラン、ちゃんと流行チェックしてるんのね。  工夫といえば、金馬の「長短」も面白い。気の短い男と、気が長い友人のす れ違いを笑うネタだが、金馬は、気の長いほうを関西弁にした。江戸弁ともっ ちゃりした関西弁を対比させることで、二人の正反対の性格を際立たせるのに 成功している。しかし、のろい関西弁って、いらいらするのね。  続く一朝は「宗教というタブーに挑戦する2000年の問題作」。なんだと 思ったら「宗論」だった。  「今日はフランス国から、聖フィリップ・ルイ・ビトンがいらして…」  「お前、そんなカバン屋みたいなのを拝んでんのか!」  どこが問題作なのだろうか。  挨拶代わりに「相合傘」を切った小正楽、「さ、ご注文を」と言うや否や、 客席最前列の小さな老人が「ススキの原を赤とんぼが飛んでいる!」。もしや あれが、寄席で噂の「紙切りおっかけジイさん」か。注文品を手に入れると、 よいしょっとリュックをしょい、さっさと帰っていく姿を見て、確信した。い やあ、確固たるマイペース、あそこまで周囲を気にしないのは、あっぱれとし かいいようがないぞ。  本日のトリ木久蔵は休演か。変わりに上がったのは、同じ爆笑派でもタイプ が違う、奇人川柳川柳。  「代演だって、がっかりすることないよ。木久蔵は日曜になるとテレビで見 れるけど、こっちは金払わないと見られないからね」。なんのこっちゃ。  「京都の『てるくはのる』と思われるやつが、警察に追われて、死んじゃっ て」とやって客席を驚かせていたが、どうやらほんとらしい。死んだって、ど ういう状況なのだろう。  そのまま時事漫談を続けるのかと思ったら、「そんなことはどうでもいい。 さ、歌は世につれ、行きましょう」。パチパチパチと客席の喝采を受けて、気 持ち良さげに本題に入った。このひとの場合、トリだろうが、スケだろうが、 ネタが変わるわけではない。持ち時間によって、途中に挟まる軍歌の数がかわ るだけなのだから、実にわかりやすい。期待通り「今日はトリだからたっぷり 歌うよ」。「荒鷲の歌」や「英国東洋艦隊撃滅の歌」、「空の神兵」など、「勝っ てるときの歌」を特にたっぷり。三十分に及ぶ熱演に耳を傾けているうち、な んだか元気が出てきちゃったぞ。手術直後のたすけに、この元気を分けてやり たいなと思いながら、高揚した気分で外に出ると、時ならぬ若者の行列が。む む、コンパ帰りのバカモノ…、とはちょっと違うな。そうか、今日は土曜日。 深夜寄席の客じゃないの。出演者を確認すると、「たい平、喬太郎…」。真打昇 進直前、最後の深夜寄席のようだ。末広通りの熱気に当てられながら、気鋭の 二人が、この末広亭で昇進披露興行をやるころには、たすけもきっと客席に復 帰しているはずだと思った。 ミスターX


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