たすけの定点観測「新宿末広亭」

その五十 番組  : 平成十二年一月下席・夜の部 主任  : 春風亭小柳枝 日時  : 一月二十三日(日) 入り  : 約百人(四時四十五分開演時) 報告者 : ミスターX  今、「たすけの定点観測」を始めから読み直している。  入院中のたすけの助っ人を勝手に買って出た僕としては、定席のリポートも 当然“たすけ調”で行かなきゃと思っていた。ところが、である。実際に書き 始めて見ると、これがなかなか難しい。一読者として眺めているときは、「な んだ、あんなヘロヘロ文体」と思っていたのだが、どうしてどうして、ヘロヘ ロで通すのもけっこう根性がいるのである。特に苦労しているのは、色物の扱 い。たいていの色物は、その日の持ち時間や流れによって微調整はするが、基 本的にはいつも同じような内容なのだ。ということはですねー、初回は見たま まをかけばいいけど、その後、出るたびに同じことを書くってわけには行かん のですよ。このあたり、たすけのリポートをチェックしてみると、実に多様な パターンを駆使しながら、重複を避けているのだ。曲がりなりにも文章で飯食 ってる人間と、単なる遊び人サラリーマンの違いを見せ付けられるようで、ち ょっと悔しいじゃないか。  そういえば、たすけが以前「寄席場良」で、「定点で何度も名前を出してい るのに、その芸に一度も言及してない人はだれか」というクイズのようなもの をだしていた。この答え、今回旧作を読み返してみてわかっちゃったのですよ。 その人の名は、じゃーん。マジックのアサダ二世であった。この人、協会の 興行には実に良く出ているのだが、たすけ御大は、「アサダ二世をひざがわり に」とか「アサダ二世をはさんで」とか言いながら、ぜーんぜん芸の内容に触 れていないのだ。単純にたすけがアサダ二世を嫌っているのかもしれないが、 僕の体験的推測は、違う結論を導き出した。マジックという芸は、文章ではヒ ジョーに表現しにくい。目で見れば一目でわかるのに、「ロープを首に巻いて、 一方の端を堅結びにして、云々カンヌン」とやると、わかりにくくて面白くな い。賢明(?)なたすけは、そのあたりを考慮して、アサダ二世をはじいてい るのではないだろうか。  そんなことを考えながら、夜の部を待つ。代演ばかりで別プロになった番組 表を眺めていると、今夜はマジックの出番がない。うーん、僕の華麗な「色物 回避術」を見せられないのが残念だなあ、なんてね。  四時四十五分に太鼓がなって、開口一番の柳太がひょこひょこと高座に現れ た。ネタは「牛ほめ」。家見舞の口上が、前座の口慣らしに都合がよいのだろ う。本題は落ち着いているが、マクラの小噺部分、語尾がはっきりせず、聴き ずらいぞ。  続く、大型女流(文字通りの意味である)昇美依が、面白い存在だ。  「あたしの名前、見た通り読んでください、藤原紀香です」と自分で言って、 テレ笑い。茫洋とした外見に似ず、口調はメリハリが利いている。この日のネ タ「たらちね」は、言い間違いが多く、まだたどたどしい感じだったが、活き のよい芸は楽しみである。それにしても、「しょうみい」という名前、どんな いわれがあるのだろうか。  茨城漫談のローカル岡、最近は原発事故をネタにすることが多いが、「今日 はイバラギでも明るいネタがあるよ。武双山、優勝したよ」(イバラギ弁で読 むこと)とのこと。元気な岡とは対照的に、この夜の客席はちょっと硬いか。 いつもはもっとウケてるのに。  金太郎の「家見舞」の後に、柳桜の「桃太郎」。一瞬、ネタがついているの かと思ったぞ。で、次の京太・ゆめ子は、栃木弁漫才。北関東シリーズもある でよ(これは名古屋弁か)。京太の出身地は「栃木県芳賀郡芳賀町大字西水沼 堀之内上、裏が山、前が田んぼ字あぜ道」というところで、家は十四件、「紅 孔雀」の主題歌を作曲した福田蘭童の出たところなんだと。たすけが駆け出し 記者時代、宇都宮支局に勤務してて、僕が何かのようで電話をかけたら、ヤツ が「ああ、そうけ」と栃木弁で答えて大笑いになったことを、ふと思い出した。  「最近、アタマが寂しくなって、薄口ショウユー」と、笑遊が言う。「この 後、伸之介さんというアタマの薄い方が出て、その後また、歌六さんという、 アタシの兄弟子ですが、この方もアタマが薄い。三連チャン、ハゲハゲハゲで すな」。  そうか、そういう番組の組み方もあるか。で、次の伸之介を期待していると、 見事なスキンヘッドで「千早ふる」を熱演。ノコギリ音楽の歌六は、薄いアタ マをつるりとなでて、「埴生の宿」を聞かせてくれた。三人とも、どこか芸が 光ってるような。  円枝の漫談、伸治の「ぜんざい公社」と落語が続いて、曲芸のベテラン、キ ャンデーブラザースの登場である。この人たち、僕が子供の頃、東宝名人会で 何度も見ている。当時(三人組だった)は、みんなハンサムで、芸もスマート。 数十年後の現在、手元の方はかなり怪しくなってしまった。今夜は、ミスは一 回だけ、ダンディなところは変わらないのだが。  中トリの文治にひときわ大きな拍手が。「ま、おかまいなく」といつもの挨 拶もそこそこ、「今じゃ新宿は日本の中心みたいになっちゃったけど、昔は江 戸の外だった。江戸は四谷三丁目まで。暮れ六つになると、大木戸がしまっち ゃう」とやって、四宿、宿場女郎の薀蓄をひとくさり。ここでヘンな病気を もらうとといって、「鼻ほしい」に入る呼吸は、いつもながら見事なもの。客 を捕まえて離さない。  文治の熱演で満足しちゃったのか、仲入に入ると、ぞろぞろぞろぞろ客が帰 っていく。そうかあ、今日は日曜だからなあ、いつにまして客の帰りが早いの だなあと思っているまに、客席は三十人たらずになってしまった。風通しのよ い末広亭、空席の合間を縫う風が、うすら寒い。  そんな客席の寒さは関係なし、真打間近の柳八の高座は底抜けに明るい。  「末広亭の隣にパチンコ屋ができちゃいまして。浅草の隣もパチンコ屋です よねー。最近、心なしか楽屋入りする師匠たちがげっそりしているという」 と、ギャンブルの話題を振って、「看板のピン」へ。以前の「遠慮しいしい」 という感じがなくなって、高座ぶりが堂々としてきた。  晴乃ピーチクの似顔絵漫談は、初めて見た。往年の人気漫才「ピーチク・パ ーチク」の片割れ。昔何度も見ているはずなのだが、「面白かった」というこ としか覚えていない。絵の勉強は、漫才をやめてから始めたそうで、「六年前 から油絵を始めて、去年二科展に入選した」という。軽妙な話術で、あっとい う間に客の似顔を仕上げていく。尻込みする客が多いが、無料ということを考 えれば、おすすめである。  栄馬「かつぎや」、桃太郎「結婚相談所」と落語が続くが、客が少なく、い ささか不完全燃焼か。桃太郎のベタなダジャレに対する拍手より、路地から聞 こえる猫の声の方が大きいのは、もう、わびさびの世界である。  扇鶴(この人、亭号がないのね)の音曲に続いて、本日のトリ、小柳枝であ る。  昔は三業地だったという四谷荒木町の生まれ。幼い頃に物売りに親しんだと 思い出を語り、四季の売り声を披露する。春の苗売り、夏の白玉売り、秋の大 根売りときて、「季節に関わりのない売り声もある」と、屑屋さんの姿を活写 する。「千種の股引に印半纏、頭に手ぬぐいをのせまして、鉄砲笊という底の 深い笊に大秤を入れて、くず〜ぃ」。  ネタは、正直屑屋が活躍する「井戸の茶碗」。冷えかけた客席を溶かすよう な熱演である。志ん朝、さん喬、そして小柳枝。この噺を得意にする噺家たち は、みなしっとりとした色気のある、本格派なのが不思議だ。まだ寒い一月の 夜風にあおられながら、末広亭の裏の巨大なパチンコ屋の前を通って、伊勢丹 の通りに出た。 ミスターX


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