たすけの定点観測「新宿末広亭」

その四十九 番組  : 平成十二年一月二之席・夜の部 主任  : 古今亭志ん朝 日時  : 一月十五日(土) 入り  : イス席はほぼ満席 報告者 : ミスターX  二十数年前、たすけとつるんで、よく落語会に行った。もっとも、二人とも 貧乏学生だったので、チケット代の捻出には本当に苦労した。  家庭教師に塾の先生、バーゲンセールの売り子やら、ホテルのボーイやら、 はては蓼科高原の学校寮で、林間学校のまかないまでして稼いだ小遣いの、か なりな部分が寄席のテケツに吸いこまれていくのである。「おれ、九百円」「こ ちは七百三十円かな」。薄っぺらな財布の中身を覗きあい(肥瓶だね、こりゃ)、 この元金がせめて三倍ぐらいになればと、大学の近所にただ一軒あった雀荘に 乗りこんで返り討ちに会い、夢のような借金を背負って、その月の東横と紀伊 国屋屋を諦めた、なんてシャレにもならないことがしなしばあった。それにし ても、たすけの麻雀はカラッペタ、僕の雀力も劣るとも優らないとあっては、 初めから無理筋なのである。「麻雀からは足を洗って、もう何年も人間とは打 ってない」とたすけはいっているが、それが一番。僕も何年も前から、上がる と画面の女の子が脱いでくれる麻雀以外には手を出さないようにしているのだ から。  てなわけで、不景気な二人で出かけた落語会で最も多いのは、入場料が格安 か、無料というものだった。今と違って、リーズナブルな地域寄席は少ないし、 かわら版もあるにはあったが薄っぺらで情報不足。安い落語会ったって、そう そうあるものじゃない。とりあえずは、おなじみの旧池袋演芸場の時間割引か。 たしか三十分刻みぐらいで、百〜二百円ずつ安くなっていき、仲入後は五百円 だったよね。あと、銀座東芝ビルのミニスペースで毎週にやってた土曜寄席も 五百円だったと思う。前座に二つ目二人、若手真打、幹部級の五人がたっぷり 演じてくれるので、これは貴重な会だった。寄席やホールじゃ二つ目にはほと んどお目にかかれないし、若手の会で大看板をみることはできない。新旧勢力 をバランス良くみられる番組は、現在でもそんなにないよね。夏休みになると、 上野鈴本のサマー寄席ってえのもあったな。今の早朝寄席と同じ時間で毎週日 曜に、真打四人に色物一つで五百円だった。あとは、NHKの公開録音。当時 は旧本牧亭で毎月のように演芸番組の収録があった。もちろん無料なので、あ らゆるツテを頼んで出かけたが、たいてい本チャン前の前説(?)に、当時人 気急上昇中の小朝が出てきて、正蔵、志ん朝、談志などの形態模写をやってく れた。あのころの小朝、細くてカッコ良かったなあ。  そんなことを思い出して一人ニヤニヤしていたら、夜の部の開幕を知らせる 太鼓がなった。そうだそうだ、今日は本年二度目の通し見物である。ぼーっと していると、見舞がわりのりポートが書けんではないか。  開口一番の前座は四時五十分の登場。朝松といったか、見たことのない若い 衆が「からぬけ」をさらりと演じる。誰の弟子だろう?  二つ目は、志ん太。「シンタ気でやります」と、張りきって「手紙無筆」に はいったが、この人の口調、子供のようなオヤジのような、なんとも不思議な 感じが楽しい。良く言えば落語家むき、くさして言うなら今時じゃない。落語 家らしくない、今時のすっきりした若手が増えている中では、貴重な個性では ないだろうか。  マジックの松旭斎美智は、黒いビロードのドレスで登場。シックななりだが、 中身は威勢のよいおねーさんだからね、ロープのマジック指導に事寄せて、前 のほうの若い男性客をいじりまくって(セクハラじゃないよ)いた。  志ん馬が「ん回し」の前半でそそくさと下りた後、久々に才賀をみることが できた。以前は「笑点」のレギュラーなんかもやってたはずだが、いつのまに かあまりおめにかからなくなった。施設の慰問などに熱心なようだが、あの個 性たっぷりな外見、ひらたく言えばコワイ顔を、もっと寄席でみせてほしい。  「台東区役所の五階がアタシのネタ場でね。こないだ、高齢者福祉課にきた おばーちゃんが、カウンターのダンボール箱をみて、ギャーッと奇声をあげた の。急いでかけつけたら、『ここにそうしなさいと書いてあるから』。見たら、 箱の前面に『あなたの声をおきかせください』だって」おもしろいじゃん。  元九郎の津軽三味線版「ラ・クンパルシータ」、昼の部の亀太郎より数段迫 力があった。細棹と太棹のパワーの差、だろうなー。  小満んの代演、歌奴はあいかわらずの老人漫談。元気のない口調に、妙なお かしさがある。サゲは、「皆さん、突然ボケたようなことを言うようになった ら気をつけなさいよ。、今日はお暑いところ、どうもありがとうございま した」  漫才の笑組は十五分たっぷり、続く金馬は小噺であっさり。でもって馬の助 が百面相をちょっぴり。押してるんだか、伸び気味なのか、よくわからない時 間配分だなと思ったら、プログラムに名前のない雲助が「たらちね」をじっく り聴かせてくれた。この辺、出番がかなり前後していて、だれの代演かよくわ からない。たぶん昼の部に出た川柳のかわりだとは思うが、ここで雲助が聴け るのだから、素直にラッキーといっておこう。  とし松の曲独楽は、独楽調べから、風車、地紙止め、糸渡り、刃渡りとフル コース。破綻のない、安定した芸だが、これ全部、この人のオヤジさんである 柳家小志んがやってたのとおんなじじゃないの。昔々の池袋で、たすけと一緒 に見てるもんねー。うまいんだから、何か一つでも、オリジナルの芸をみせて くんなくちゃだわ。  円蔵の登場に「待ってました」の声。場内の拍手も一段と大きい。一時の勢 いはなくなったとはいえ、まだまだ寄席では人気者である。「おやおや、今日 は二階が開いてますねぇ。普段は幕張って駐車場にしてんですけどね」と、相 変わらずのブットンだ言い方がうれしい。  「今年も残すところあと三百五十日あまり。また大晦日に向かって、無駄な 時間を過ごしたり過ごさなかったり」。志ん橋のつかみのギャグに、うーんと 考えさせられてしまった。無駄な時間かぁ。この日のネタは「居酒屋」。今 の金馬も演じているが、志ん橋のメリハリの利いた演じ方の方が、あの先代金 馬に近いような気がする。でも、「できますものはぁ、アンコウのようなも の」という、あの小僧の口上がないのが、ものたりないのだが。  「ハイハイハイハイハイ」の声とともに、のいるこいるが登場。ネタに入ら ないうちから、もう客席は笑いの渦である。そういえば、今年の正月の演芸番 組、この二人、出まくっていたよなあ。芸歴三十年を超えての突然の大ブレイ ク、芸の世界はわからないものである。  「(呆れ顔で)おまえもヘーヘーホーホーばかりいってないで、少しはもの を考えろよ」  「(即座に)いくら考えたって、所詮ダメなものはダメだよ」  もちろんギャグで、お客は大喜びなのだが、このやり取りにも、ちょっと考 えてしまった。たすけの突然の大病で、ちょっと神経質になってるのかなあ。 そういえば、たすけのやつ、「オレのモットーは、面白くてためにならない、 だよ」なんていってたけど、今ごろベッドの上で何を考えているんだか。  こん平が「笑点の収録にいった」とかで、文楽がかわりに中トリをつとめた 後、短い休憩をはさんで、正月らしい獅子舞である。和楽を中心に仙之助、仙 三郎がお囃子方で、獅子に入っているのは、前に小楽、後ろに和助。若手の台 頭で、太神楽連中に活気が出てきたような気がする。  志ん五の「浮世床」は、本の件。「何読んでんだ」「てーこーき」「ラジオの 部分品みてえな本だな」がおかしい。  伯楽の「真田小僧」、志ん駒の自衛隊ばなしと、爆笑篇が続くが、このころ から場内がざわざわと落ち着かなくなってくる。そろそろトリの志ん朝が気に なりだしたのだろう。志ん朝は、現時点での実質的な「ミスター落語」、トリ をとる時の仲入後は大抵こんな調子である。「だから、こういう時の出番は、 あたししかいないんですよ」と、志ん駒は自らの存在意義を強調する。  ゆめじうたじの漫才をひざがわりに、いよいよお目当ての登場である。バカ の番付けのマクラをふった段階で、客席の半分ぐらいは、この夜のネタが何か わかっちゃったのではないか。もう何回聴いたかしれないが、あと何度でもき きたい、十八番の「野ざらし」である。こういう「一人キ○ガイ」系の噺は、 今の若い人には今一つ受けないらしく、寄席での上演回数が減ってきていると いうことも聞いているが、志ん朝の「野ざらし」は別格である。最近、往年の 噺のスピード感が薄れた感じがあったが、この夜は、あの、まくし立てるよう な早口が復活して、あふれ出る言葉の海におぼれそうになった。「野ざらし」 が面白く聴けるかぎりは、志ん朝の“若さ”は健在なのだと思う。  新宿駅に向かう帰り道、この夜の高座、たすけが聴いたら元気が出ただろう なと思った。そろそろ見舞に行ってやるか、な。 ミスターX


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