たすけの定点観測「新宿末広亭」

その四十六 定点観測・新宿末広亭(友人X篇)  番組  : 平成十二年一月初席・二部、三部 主任  : 春風亭柳昇(二部)、桂文治(三部) 日時  : 一月九日(日) 入り  : ほぼ満員 報告者 : ミスターX  。むむむ、いかん。第二部の開幕を待つうちに意識が飛んでしまった。気がつ いたときには、開口一番の前座らしき男が楽屋に戻っていくところ。あれはたしか、歌丸 門下の、えーとね、ま、歌市だったことにしておこう。  実を言うと、二番手の二つ目が何をやったかも、さだかでない。プログラムによると、 昇之進の出番だよな。はて、ほんとに彼がでていたのだろうか。三部通しの見物という荒 行は、まだ半ばまでも到達していない。こんなことでいいのか、ミスターX!病院で味の ない減塩食を食っているたすけを思い出せ!ま、あいつは、昼飯を食うためだけに大 手町のオフィスから麻布十番あたりまで行っちまう、妖怪グルメ男であるからして、減塩 食なんつーのは、いいクスリだと思うのだが。あらら、たすけの事を思い出したら、かえ ってテンションが下がってしまった。  と・に・か・くー、正気に戻ったのは、三番手の柳桜からだよな。あれ、まてよ。その 前の小南治はどうしたんだ。休みらしいが代演がでてないぞ。まあいいや、いちいち正誤 表みたいなことをやってたら、何行あったって足りやしない。  柳桜の「寿限無」は、名づけのいきさつがカットされて、いきなり友達が誘いに来る。 ものすごい短縮版だ。次の小円右(この日二度目の出番、誰の代演なんだ?)も、「湯屋 番」の前半のみ。ここらあたりの出番では、時間のやりくりが最大の課題らしい。  そんな短時間の中でも、ローカル岡は、きっちりと笑いを取る。 銀行員の弟が、子供に「パパ」と呼ばせている。「コノヤロ、茨城のくせにパパずらある か」と怒ったら、「トウサンという言葉はききたくない」。あれれ聴くと笑っちゃうのに、 字で書くとそんなに面白くない。やっぱり茨城弁でなくちゃ伝わらないんだな。  で、入れ替わりに出てきた可楽、江戸っ子についての薀蓄をひとくさりして、「今出た のが江戸っ子じゃないのは確かなんだけど」とぽつり。場内大爆笑である。「茨城では、 バカヤロは接続詞だからね。なんだバカヤロ、バカヤロそれはな、なんてね」。なるほど ー。  夢丸の代演は、右京。「夢丸さんは、風邪でルル三錠飲もうとしたら、間違えてバイア グラをごっくん」。夢丸、大丈夫か、どこへ行ったんだ!  柳橋は、小さん型の「強情灸」(峯の灸じゃないやつね)。二部で初めてアタマとシッポ のある噺を聴いた。  歌六のノコギリ音楽「影を慕いて」で会場はほっと一息。遊吉の小噺はまずまず、「久々 の 化粧に子供 あとずさり」「露天風呂 化粧落とした トドの群れ」「眠れない 羊の 脇に ブタがいる」と現代川柳を並べた円遊が客席を書きまわし、進境著しい女流講談ひ まわりの「小政の生い立ち」で背筋が伸びる。ところが、次の円枝でややトーンダウン。 問題は、漫談のネタの鮮度なのだ。就職の面接に来た早稲田の落研の学生が、「GNPと は何か」と問われて、「頑張れ、日産、パルサーです」。パルサーの売出しって、たしか、 たすけや僕の学生時代じゃなかったか?いくらなんでも古すぎー。そういえば、サッポロ ビールに面接に来た学生が終始無言なので、面接官が「何しに来たんだ、帰り給え!」と 怒ると、「男は黙ってサッポロビール」、ってのもあったよね、当時。ともあれ、これ で仲入ってのは、ちょっとパワー不足。休憩時間に里心がついちまうぜ。  気を取りなおして、二部の後半。食いつき、柏枝の「金明竹」は、導入部の傘のいいわ けまで。この人の口調、だれかに似ていると思ったら、落語協会の歌司だな。だからどう だ、というわけではないが。  続くWモアモア、口開けの「みんな、この時間にいるということは、夕飯作ってないの? 作っててもカレーライスだな」で、客席の女性陣が大ウケ。客いじりの見本のような呼吸 である。「オレたちのは仕事じゃねえよ、立ち話。仕事だと思うとプレッシャーかかるか らね」には、ちょっと考えさせられたな。堅気の会社員として。  客いじりでは、次の寿輔も負けていない。「寿輔さんにネタにされて傷ついた」という 女性を、少なくとも三人はしってるもんね、この僕は。この日も「奥さん、ハンドバッグ 開けて、ご祝儀でも渡そうってんですか?」と最前列のご婦人をターゲットにしていた。  痴楽の「時そば」は、笑いの多い後半よりも、しこみ部分の前半が面白い。ダシがいい とか、麺が細いとか、二八そば屋をヨイショしまくる最初の客のタンカが生き生きしてい るからだ。「真っ平ごめんねぇ」が「ピラピラ」に聞こえるという江戸っ子のギャグがあ るが、痴楽の描き出す長屋の男たちは、まさにこの「ピラピラ」なのである。  喜楽・喜乃の親子太神楽をひざ代わりに、二部の露払いは、柳昇の「カラオケ病院」。「北 国の春」や「昴」の替え歌を、本当に気持ち良さげに歌う柳昇を見ていると、この人、た だ寄席でカラオケをやりたいだけなのかもしれないと思ってしまう。それが許されるとい うか、ほほえましく映るのが、この人の人徳なのかもしれない。  ふううううううっ。やーーーーーっと、二部が終わった。時間はただいま夕方の六時半。 昼飯用に持ってきたはずが、あまりの混雑に食べ損ねていた銀座天一の天丼弁当(「定点 観測」を参考に、伊勢丹の地下で買った)の折を開き、むさぼるように食う。チョー空腹 だったせいもあるが、冷めてシナッとなった海老天が意外にいけるんですなー。さすがD 級グルメのたすけ推薦だけのことはあるなと感心しつつぱくついていると、その横を善男 善女が続々と出口の方に向かっていく。そーかー、今日は日曜日だからね、よい子はもう 買える時間みたい。ぞろぞろぞろぞろ、全部で百人ぐらい出ていったかな。のこる場内は、 適正を通り越して寂しくなってしまったではないか。  所々穴の開いた客席に、ひゅーひゅーと風が通る中、第三部の開幕である。天丼で元気 が出たので、隙間風に負けずにがんがん行くぞ、と思ったのだが、腹の皮が突っ張ると眼 の皮がたるむのたとえ(by日本書紀←ウソです)どおり、またまた前座の高座が記憶に ない。  ううむ、寝てはいかん。寝ては負けだと、目をこすると、高座は真打ち間近、小文の「ラ ブレター」。熱演だが、生真面目な小文にはナンセンス新作は似合わない。次の平治は、 短時間では噺は無理と判断したか、飛び道具の物まねで自己アピール。「さしすせそをい ーかげんに言う」柳昇、「ヤギのメェェェェ」の調子で話す彦六の正蔵と、ツボを押さえ た好演である。  漫談の新山真理は振袖姿での登場。年齢を感じさせない初々しさにちょっと驚く。ネタ は相変わらず「嫁に行きたい」だが。小文治は先代助六直伝のかっぽれと、華やかな高座 が続いた後は、栄馬が「かつぎや」を淡々と。振りかえってみると、ストレートな正月ネ タ、これが初めてじゃないの?  雷蔵の「八づくし」、東京ボーイズの「中之島ブルース」(ほんとにこれ一曲で下りた)、 桃太郎の「金持ちになる本」、夢太朗の「桜鯛」と一組平均五分という、小ネタのオンパ レード。「東京ボーイズなんか、三人で四分なんだもんなー。次が間に合わねえぜ」とベ テラン円がぼやきながら登場する。「円と書いて、まどか。ま、どーか、よろしく」と笑 わせ、後輩(!)だという歌丸と富士子夫人のなれそめを少ししゃべって、この人もあっ という間に入なくなった。  正月ネタが少なく、初席の風情がないと書いたが、三部の仲入前になって、北見マキの 代演、春風亭美由紀の三味線が、春の気分を盛り上げてくれた。出初式を歌った「初出見 よとて」を口開けに、途中に江戸本木遣りを入れこんだ「木遣り崩し」、逆鉾と同級生ね んですと言いながら「相撲甚句」へ。最後はにぎやかな「かんちろりん」で締めくくる。 「今年もいい年間違いなし。アタシもいいトシになりました」だって。がんばれ、墨田区 石原の鳶の娘!  寄席耐久レースは、ちょっと油断すると足元を救われる。三味線で言い気分になったな あと思ったら、また意識がとんだ。本日三度目の空白状態の中、蝠丸、笑三の高座がお供 なく通りすぎていった。  食いつき伸治は、「ぜんざい公社」を(初席にしては)たっぷり演じる。夫婦漫才のひ でや・やすこも、ゆったりペース。前半の小ネタの嵐で、時間に余裕が出来たのだろうか。  「この人、うちに帰ると三つの言葉しか言わないんですよ。とりあえず、そのうちに、 あとで」  「そういう言い方って、(ここで二人声を合わせて)好きだなあ」。  小柳枝は、先代柳橋の家の庭の木の上で、自分が乗っている枝を切り落としたという伝 説のあわて者、八代目小柳枝のエピソードを並べて「粗忽長屋」へ。久々の本格古典が、 砂漠のオアシスのように心にしみる。  陽気な鶴光、トリッキーなボンボンブラザースで客席が温まったところで、いよいよ本 日のトリ、文治の出番である。ここまでたどり着くまで、艱難辛苦いかばかり。そんな感 慨(?)を、「待ってました!」の掛け声が吹き飛ばす。御年七十七歳、僕のオヤジと同 い年の芸協会長は、驚くほどの声量だ。  「エー、昨日は源平盛衰記の前半をやったから、今日はその続き。壇ノ浦のあたりを短 くごまかして」  言葉に反して、「祇園精舎の鐘の音」と冒頭から語り出す。やんやの喝采である。十五 分足らずの高座だが、はなしはあちらへ飛び、こちらに寄り、「踊る平家は久しからず」 で下げるまで、時間を忘れた。  午前十一時の開演から十時間半、思えばながい道のりであった。病気と戦っているたす けは知るよしもないだろうが、このミスターXも寄席で戦ったのだと、わけのわからない 理屈に満足しながら、正月気分などこにもない、新宿の雑踏に出た。 ミスターX


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