たすけの定点観測「新宿末広亭」

その四十四 番組 : 平成十一年十二月下席・昼の部 主任 : 橘家円蔵 日時 : 十二月二十八日(火) 入り : 約八十人(午後一時十五分入場時) リポート  十日ごとに番組がかわる寄席興行も、師走の下席 だけは八日間しかない。二十八日で席を閉め、正月 初席の準備に備えるためである。年の瀬に特別な会 がある一部の連中を除いて、噺家たちも今日が仕事 納め。大晦日までの三日間、女房の尻で餅をついた り、借金の言い訳をしたりしながら年を越す、なん てことしてるわけないか、今どき。  新聞社なんぞというところで仕事をしていると、 盆暮れ、正月といった季節の区切りに実感がない。 日曜祝日、世間様が休んでいるときでも、年中無休。 会社にいけば、だれかしらは仕事をしているし、新 聞が出ない休刊日でも、テレビラジオやインターネ ットなどにニュースを配信しなければいけないから だ。まして今年は、Y2Kとやらで、年末年始の出 勤者もやたらと多いようで、その日の仕事が終われ ば、「んじゃ、お先」と言うだけで、「よいお年を」 などという耳に心地よい挨拶は冗談の時にしか使わ れないのである。  暮れの二十八日になっても、出社すれば仕事が待 っている。いつまで働いてもきりがないが、年が明 ければすぐ閉めきりなのだ。自分で決めるしかない のだが、はて今年の仕事納めはいつにしようか。は んちくになった原稿をおっぽり出し、とりあえず末 広亭に向かうことにした。年の瀬であろうがなかろ うが、昼の部へ行くとは、いつもそういうような状 況なのだよなあ。  意外に入りの良い客席には、年配夫婦とおぼしき 二人連れが目立つ。伯楽のマクラではないが、こう いうあわただしい時に寄席見物に来るなど、よほど 余裕がある方々に違いない。ごく庶民的な身なりか ら想像するに、仕事も一段落、大掃除もすんじゃっ たから、久しぶりに寄席見物、帰りに伊勢丹か高島 屋の食堂でうまいもん食おうか、かーちゃん、てな とこだろう、きっと。そういえば部屋の大掃除、手 もつけてねえや。  木戸をくぐったとたんに、半蔵の「子ほめ」のサ ゲが聞こえた。  続く文朝の第一声は「ついこないだマッカーサー が来たと思ったら、もう十二月で」。  ぎゃはははという笑い声にうながされるように、 「最近はいっぺん楽屋を見てみたいというお客様が 多いんですが、別に面白いとこじゃない。こまめに 動き回ってる前座さんは大変ですよ、もう搾取され、 体を奪われ・・。で、古い師匠方が口やかましい。 体は動かないけど口は達者でね、ああしちゃいけな い、こうしちゃいけないって。縁起をかつぐ人も、 こういう人が多いですな」と続けて、「かつぎや」 に入る。これだけ押し詰まってくると、歳末より正 月ネタの方が多いのだ。  縁起かつぎの主人がいる商家に、年始の客が相次 いでやってくる。それを帳面に書きつけていくのだ が、何やの何べえさんを短く詰めると、みんな縁起 の悪い名前になってしまうのだ。「焼き芋屋の馬平 さん」が「焼き場」という具合で延々と続き、最後 は「骨あげ」。 「そんな人がいるか!どちらの方だ」「へえ、交通 公社上尾支店」のサゲが妙におかしい。ところで、 みんなどうしてコートや上着をきたままなのかと思 ったら、場内が薄ら寒い。つけると暑いし、消すと 隙間風。ここんちの温度調整には名人芸が必要かも しれない。  ゆきえはなこが、鮮やかな紅白のドレスで登場。 こういうカタチだと、「漫才です。言っとかないと 台湾芸者の売れ残りと思われるから」という、いつ もの挨拶がうけるうける。「円高ですねえ」「どう したら、えーんだか」とダジャレ交じりに、得意の オペラネタ「蝶々夫人」に入ったが、この時、一番 前の席にいた小柄な老人が席をたった。おお、あれ はナンだ。トリだ、ロケットよ、いんや近頃寄席で 話題の「紙切りおっかけおじさん」ではないか。  この定点観測でもしばしば目撃されているなぞの 老人で、いっつも一番前の席に陣取り、紙切りにな るとイの一番に注文する。それを切ってもらううと、 高座の途中でもさっさと帰ってしまうのである。小 正楽のおっかけではないかという人もいるが、芸協 の紙切り、今丸の時も出没する。プログラムを見る と、三つ後の出番が小正楽。要注意である。  さて、高座の二人も、この老人は気になるようだ が、かまわずネタを進め、あまった時間で手話教室 を開く。手裏剣を投げるように手を前に動かして「 きれい」とか。ためにはなるが、いくつ覚えて帰れ るか。  トイレから戻った件の老人は、席に落ち着くまも なく喫煙室へ。再び席についたと思ったら、もう一 回トイレへ。さすがに他の客も高座に集中できず、 ざわついてきたところで今松の出番である。  場内の雰囲気にはかまわず、抑え目の声で「家見 舞」を語り始める。二人で五十銭しか持っていない 若い者が、兄貴分の新築祝いに「掘り出し物」の肥 え瓶を持っていく。いじればいくらでもクサくさく なる噺を、淡々と、けれんなく演じるうちに、次第 に客席が収まり、身を乗り出して聴き入る人も多い。 寄席の隠れた実力派、今松を知ったことが、今年の 定点観測」の最大の収穫である。  円鏡の代演、富蔵の「時そば」。人の良さがにじ み出た、好感の持てる芸だが、そば屋の客二人の演 じ分けが十分ではなく、同じ人に見えてしまう。食 べる仕草への拍手で安心せずに、もう一度ネタチェ ックをすべきだろう。  さて次はいよいよ紙切り、小正楽の登場と、わく わくしていたら、休演だって!代わりに出てきたの は、アコーディオンの近藤志げるだった。  「昨日二十七日は、野口雨情の命日。明日は白秋 と露風の命日です。そして今日、森繁久弥さんが、 かけつけた身内の人たちに見守られながら静かに・ ・・。昼食を食べました」  どっと起こったどよめきをいなすかのように、近 藤のアコーディオンが雨情メロディーを鳴らす。 「雨降りお月さん」に「船頭小唄」。「どんとこい、 チャップ波」と歌いながら、反応の鈍い客席へ「こ ういう歌もあったの!」。いい呼吸である。そうだ、 あの老人はと前列を見たら、なーんだ熱心に見てる じゃないの。こういうのは好きなんだな。  会場を巻き込んでの「赤い靴」の大合唱で、さっ そうと帰る近藤と入れ違いに、中トリのさん喬がい つものうつむき加減で登場する。座布団に腰を落ち 着けて、ふと前を見ると、あの老人が立ち上がって 帰り支度をしている。上着のファスナーが閉めにく いのが、いつまでたっても終わらないのだ。  「このおじさん、市川の方から来るらしいんです けど、小正楽さんがお目当てでね、紙を切ってもら うと帰っちゃうんですよ。、おーい、まだ終わん ないの?」  何を言われてもマイペースで、むしろうれしそう な風情の老人に、いじりだしたさん喬の方がだれて しまう。青い帽子をかぶり終わって、ようやく準備 オーケー。「これから池袋だ。また七時ごろ戻って くるからね」と笑顔で手を振って、下手側の通路を 花道に、堂々のご帰還である。  気を取りなおしたさん喬、この日のネタは「真田 小僧」だ。低めの声で語り出して、興が乗るにした がって、だんだん加速していく。「寄席では、十個 ぐらいをまわしてるだけだよ」と言ってるのを聴い たことがあるが、そうだとしても珠玉の十篇には違 いない。  後半一番手の蔵之助、細身の体で「明るい病人」 などと言われているそうだが、この日は鮮やかな黄 色の着物で登場。たしかにアダ名通りなのである。  「寄席ではなしちゃいけないネタは、政治にプロ 野球に宗教ですな。ということで、今日は宗教のネ タですぅ」と笑いをとりながら「お血脈」へ。善光 寺の血脈を盗もうと、寺内に潜入した石川五右衛門 がやたら芝居ががりなのがおかしい。  仙之助仙三郎の太神楽をはさんで、南喬の「よっ ぱらい」、正朝代演・小金馬の「宮戸川」と落語が 続く。べろんべろんになりながら、素っ頓狂な声で 「あんちゃーん、お酒」と叫ぶ南喬のよっぱらい、 霊岸島のおじさんの家の二階で二人きり、「あたし、 寝ちゃうとなんだかわかんない」とシナを作る小金 馬演じる「お花さん」、どちらも演じ手のニンにあ った噺だけに、ゆったりとした気分で楽しめる。  アサダ二世の奇術で一息ついて、いよいよ昼の部 のトリである。めくりの札を取り替えようとした前 座が高座の脇で見事にすっころんで、「バカやろー」 の怒声とともに、末広亭久々の円蔵が登場した。  「ここんちはずーっと出てなくてね、ほかにお金 くれるとこあったから。これじゃ若旦那をしくじっ ちゃうね」とテレ笑い。しばらく大旦那・北村銀太 郎氏の思い出ばなしが続く。  「十年ぐらい前に九十いくつで亡くなったけど、 寄席の顔でしたね。吉本なんかへみたいなもんだと いうような迫力があったね。昔、落語協会の分裂騒 ぎのときに、アタシは協会を飛び出したんだけど、 大旦那の一声で帰ってきちゃった。だいたいアタシ は『弱きをくじき、強きにヨイショ』だから」。強 い人ということで、話は八代目文楽、立川談志のエ ピソードへと脱線する。  「談志さん、志ん朝さん、馬風さん、毒蝮さんと アタシで焼肉食ったんだけど、食べ終わって談志さ んが毒蝮に『お前払え』っていうの。『プライベー トなんだから、割り勘にしましょう』ってのに、談 志さんは『割り勘はみんなが不愉快になる。お前が 払えば、不愉快なのはお前だけですむ』だって。強 引なんだけど正論なのね。談志さんはほんとにいい 人、敵にまわさなきゃね」  延々と続くマクラ。ネタはどうすんのかと思った ら、すっと「道具屋」に入った。  アドリブギャグの天才だけに、話があるようなな いような「道具屋」みたいな噺は、本当に面白い。  「そこのノコ見せい」「のこにある?」「そうい う古いシャレいってるから、小朝に人気で抜かれる んだ。こぶ平にも抜かれたな。でも三木助は食い とめた」  「お雛様の首が抜けること、仕込むの忘れてた。 ま、こういうみんなが知ってる噺はどんどん省略し てもいいんだ」  「働かざるもの食うべからずって、下野新聞の日 曜版に出てたな」  ギャグをあげるときりがない。もしかしたらギャ グを全部取り除いたら噺がなくなっちゃうんではな いか。全盛期のスピードはなくなったとはいえ、ま だまだ異能ぶりは衰えていない。幹部だ何だとヘン に収まることなく、いつまでもナンセンスギャグを 振り回してほしい。  「よいお年を」と挨拶する落語家が何人がいて、 寄席も今年は店じまいなんだなあと改めて思う。今 年はここに四十何回も通っただけに感慨もひとしお。 明日の余一会「さん喬権太楼の会」で、末広亭も、 この僕も、落語の仕納め聞き納めである。 たすけ


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