たすけの定点観測「新宿末広亭」

その四十三 番組 : 平成十一年十二月下席・夜の部 主任 : 古今亭志ん五 日時 : 十二月二十一日(火) 入り : 約七十人(午後七時五分入場時) リポート  浅草フランス座がストリップ興行の看板を下ろし て、来年の正月から演芸場「フランス座東洋館」と して再スタートを切ることになった。  フランス座といえば、レビューの幕間に演じられ るコントが名物で、若き日の渥美清や谷幹一、コン ト55号などが腕を磨いた。ここから巣立った芸人 は枚挙のいとまがないほどだが、芝居小屋がテレビ に追われ、浅草興行街の様変わりもあって、現在の 浅草のお笑いは低空飛行を余儀なくされている。そ んな浅草にお笑いの拠点を復活させ、「ビートたけ し級のスターを育てたい」という、フランス座経営 陣の志やよし。少しでも応援しようと、社会面に原 稿を書いた縁で、新生フランス座のお披露目の会に 呼んでいただいた。  月曜日の正午、例によってあたふたと仕事を片付 け、開宴ぎりぎりに飛び込むと、フラ広ーーーーい 会場に招待客がぎっしり。落語、芸術、両協会の幹 部連から、台東区長、地元商店街、興行街のお偉方 などが円卓に整然と座っているのである。この手の パーティーは気軽な立食と決めてかかっていた僕は、 その豪華さに思わずしり込みするほどだったが、同 じことを考える人は多いようで、明らかに普段着と 思えるセーター姿で、上座で小さくなっている月刊 浪曲の布目編集長を見た時には、申し訳ないが笑っ てしまった(「木馬亭はご近所だから、ちょっとの ぞきにきただけなのに、あんな上席に座らされて」 と後でぼやかれたのだが)。  台東区長を皮切りに、御大柳家小さん、円歌、文 治両協会会長と延々続くあいさつを、直立不動で聴 く、東洋興行(フランス座、浅草演芸ホールの経営 母体だ)の松倉社長。いつでもどこでも大音声、ハ イテンションで知られる名物男も、この日ばかりは 神妙な面持ち。「がんばって」「応援するよ」とい うエールに、律義に頭を下げている。パーティーの 規模といい、フランス座のやる気、というものをひ しひしと感じる。  とまあ、ここまでは型通りだったが、やはり演芸 界のパーティーである。司会役の柳家さん八のアブ ナイ物まね(「よそで言わないで」と何度も年を押 していたので、あえて中身は書かないが)、芸協副 会長に就任した三遊亭小遊三の正式の肩書が「副会 長付き」であり、「生きミイラ」歌丸副会長にもし ものことがあった時の「控え」である、などという、 当日の会には何ら関係のないあいさつなど、お披露 の会は次第にぐずぐずになっていき、二度の手締め のあと、参列者たちは、うさぎやの紅白まんじゅう (美味!)を土産にだらだらと帰っていったのであ った。  こけら落としは、落語協会の正月興行。階下の浅 草演芸ホールとのダブル初席で、新劇場の門出を祝 う。考えてみれば、ここ数年の浅草の寄席といえば、 夏の住吉踊りのしか時にしか行ってない。もっと考 えてみれば、フランス座のストリップは、ついに一 度も見物しないまま幕を閉じてしまったのである。 ともあれ、寄席応援団のはしくれとしては、もちっ と浅草に足を運ばねばならぬなと思いつつ、師走の 国際通りを田原町の駅まで歩いた。  翌日の夜、急に時間が空いたので、さっそく浅草 演芸ホールへと思ったのだが、いつもの習慣で、大 手町の駅から丸ノ内線荻窪行きに乗ってしまった。 こうなっては、新宿三丁目に行くしかない。二十一 日、久々の下席初日見物である。  番組はすでに半ば、川柳の代演、文朝の「子ほめ」 も半ばにさしかかっていた。  「五十の人なら四十五、六といえばいい」  「じゃあ、六十の人は」  順に順に聞いていって、百まで行くが、実際には 今年四十の番頭を相手にすることになり、「しまっ た、下を聞くの忘れた」  考えるとばかばかしい話なのだが、文朝の陽気な 口調は、不自然さをまったく感じさせない。ひょっ としてコイツ、わかっててからかってるだけなのか もと思わせる稚気にあふれているのだ。  曲独楽の三増巳也。「私、こうみえても若いんで す、独楽のみーちゃんとお呼びください」という第 一声に「ぎゃははは」という会場の反応。本人が言 うのだから、その通りなのだろうが、立ち居振る舞 いに古風な味があるのだ。  大きな独楽を片手でくるりとひねりながら、回し てみせると、満場の拍手。 「これだけで拍手なん て」と本人も驚いていたが、僕のこんなのは初めて。 独楽まわしって、もう珍しい芸なのか。  小さな道具箱から赤いタスキをだして準備オーケ ー。「文化文政から伝わる古い芸で」と型通りの口 上を述べ、剣のさきっちょまで独楽を回していく「 刃渡り」、扇の要で回す「末広」と芸を進めてい。 羽子板の上で独楽を回す前、「デビューしたての独 楽なので、ひょっとしたらひょっとするかも」と一 言。その通り、見事に(?)独楽を落としてしまっ たが、「やはり、もしかしたようです」と平然とし た顔をしている。弟弟子・紋之助のハラハラドキド キ芸とは裏表の芸だが、どちらも不思議な個性があ るのだ。  次の円窓の出番に、桟敷にどっと団体客が入って 来た。「いらっしゃいませ。どうしたかと思ってた んですよ」という、即座のつっこみで、にわかにざ わつき始めた場内をおさえ、「町内の若い衆」へ。 中トリの貫録というものか。  後半は、志ん上の代演、燕路の「悋気の独楽」か ら。小柄で愛きょうのある風ぼうを生かした、丁稚 の定吉が面白い。焼きもちやきの奥様と、浮気症の 旦那の間に立を行ったり来たり、何かというと小遣 いを銭をせびる丁稚に嫌みがない。  勝之助・勝丸の師弟コンビ、ようやくいきがあっ てきたか、安定感が増した。だれとは言わないが、 みていてハラハラする曲芸は疲れるからね。  釣りのマクラをたっぷりふって、円弥が「馬のす」 を軽やかに演じた。六代目円生直伝のかい書の芸は、 本寸法だが、まれにどよんと重く感じることがある。 中身があるようなないような、「馬のす」のような 噺は、はじめから身構えないせいか、すっきりとし た仕上がりである。枝豆、本当にうまそうに食べる んだよなあ。  一朝は、師走のネタ「尻餅」である。女房の尻を 臼に見立てて、もちつきごっこをする話だが、色っ ぽさよりも、貧乏を楽しむかのような夫婦の会話を 丁寧に演じて季節感をだした。  「ただいま、だれからも紹介されませんでした」 といつものあいさつは、笑組の漫才。受けないギャ グを言っては「我々あたりは、今のでせいいっぱい」 とフォローする。「これ笑わないと、あと笑うとこ ろありませんよ」という上方漫才(だれでしょう) を思い出してしまった。  夜の部トリは、志ん朝門下の俊英と、あえていい たい志ん五である。かつてエキセントリックな与太 郎像を作り出し、どんなネタにもその奇怪な与太郎 を登場させる荒業で人気をとっていたのは、寄席フ ァンなら先刻ご承知。「どうして最近は、あのヨタ ローやんないの?」という声をいろいろなところで 聴くが、飛び道具ナシの噺も、どうしてどうしてな かなかの力量なのである。この日のネタ「妾馬」も、 けれんナシの好演だったが、まゆ毛をピクピクさせ ながら、重役田中三太夫を「サンちゃん」と呼ぶく だりなどに、懐かしい(?)与太郎の影がちらつく。 与太郎を登場させずに、与太郎の味を出す。その隠 し味の加減を味わうのもまた一興。志ん五さん、い つも真っ当に演じているけど、ほんとはヘンな人な んでしょ、と言いたい衝動にかられてしまうのだ。  団体の多い、この日の場内、僕のようなひねくれ た楽しみ方をする者は少ないようで、大半の客は、 城に上がって世継ぎを産んだ妹へ、不器用な愛情を 寄せるガラッ八の姿に、目頭を抑えていた。暖房機 の動きは鈍いが、末広亭の中に、温かな風が流れて いた。 たすけ


表紙に戻る     目次に戻る