たすけの定点観測「新宿末広亭」

その四十二 番組 : 平成十一年十二月中席・夜の部 主任 : 春風亭鯉昇 日時 : 十二月十八日(土) 入り : 約九十人(午後六時十二分入場時) リポート  「定点観測」の大家さんである「江戸・網」主宰 の亜寶麿裕寶さんが、浅草雷門近くのマンションに 新居を構えたというので、壱岐産の麦焼酎(けっし 水がめではない)をぶら下げて家見舞である。  子供の頃に古銭に魅入られて、その故事来歴をた どるうち昔の事物風俗に猛烈な興味を持った。度量 衡への関心から「落語における銭勘定」を考証して いるうちに、古典落語に急傾斜していく。もちろん、 ルーツである古銭研究もエスカレートし、ついには 札幌郊外に博物館を建てるまでになった。そして、 こうし数々の研究テーマを統括するキーワードが「 江戸」だったのだーー。  HPにも私的なことは書かれていないが、こんな ところが、「無冠の、しかし只者ではない江戸学者」 あほまろさんの、ごく大雑把なプロフィールだ。そ の、あほまろさんが浅草に引っ越してきたのは、@ 美人妻R子さんが「自宅の窓から隅田川の花火が見 たい」と言ったA地元町会の法被を着て三社祭に出 てみたいB仲見世に怪しい江戸趣味の店を出したい ーーなどの理由が考えられるが、それはそれとして、 「江戸・網」の店子として、大いに歓迎すべきこと だと思っている。  あほまろさんの江戸学の基本は、町歩きである。 古地図とカメラを手に、神田、日本橋、根津、本郷、 上野、浅草と、ひたすら歩き、今あるものを見、か つてあったものに思いをはせる。そうしたフィール ドワークの真っ只中に住むことになった、あほまろ さんのイマジネーションがどういう風に広がり、ど ういう形で収斂していくのか、ひそかに期待しよう ではないか。  雷門のマンションの十階から見る浅草の夜景は、 意外に暗い。左手に延びるオレンジ通りの端っこに 浅草公会堂が灯が見える、その向こうに浅草寺の五 重塔がかすんでいる。  ううむ、いいなあ。翻って、埼玉県三郷市の我が 家である。マンション六階から見えるのは、高速道 路常磐道に数珠繋ぎになる長距離トラックぐらい。 最寄のJR武蔵野線「新三郷」駅まで、徒歩十五分 の道の途中には一戸建ての家は一軒もなく、あるの は団地とそれに付属する学校だけなのである。どん なに町歩きを重ねても江戸の「江」の字も出ないの で、かえってさっぱりするほどだ。せめて末広亭に 通うことで、僕の貧弱なイマジネーションに活を入 れたい、と思って今日も新宿の裏通りを歩く僕であ った。  家に持ち替えざるを得ない資料の詰まったカバン に、あまりにうまそうだったので伊勢丹地下で買っ てしまった「カニいくら弁当」の包み。そのうえ、 モコモコと嵩張るコートを手に持っているのである。 この大荷物、末広亭のイス席には文字通り荷が重い。 仕方がない、桟敷席に座ろうと、ショートカットで クールな感じのお茶子さんに声をかけた。  「(下手桟敷を指して)そちらでいいですか?」  「あ、どちらでも」  考えてみたら、このお茶子さんの声を聞いたのは 初めてだった。何度も弁当を片付けてもらったり、 座席に案内してもらったりしているのだが、彼女は 手を差しのべたり、指をさすだけで、声を発してく れなかった。はじめて聞いた声は、意外に低く、暖 かい感じがした。  ヨイショと腰を下ろした下手桟敷には、僕以外の 客はいない。高座も客席もよーく見えるということ は、向こうからもはっきりくっきり見えるというこ とだ。知った顔がいたら、ちょっと恥ずかしいなあ。  高座は、寿輔の代演、とん馬の「たらちね」で、 「カラスカアで夜が明けた」あたり。軽い口調でト ントンと運ぶリズムのよさが心地よい。兄弟弟子の 遊吉もあわせて、芸術協会の隠れた実力派である。 もっと深い出番に使えば、番組にメリハリがでると 思うが。  「結婚式の挨拶とミニスカートは短いほうがいい。 いや、ないほうがいい。あたしが言ってんじゃない ですよー」  笑三の結婚式ネタのおなじみの導入部。「ま、短 く縮めるからシュク辞というんですね。長くなると チョウ辞になっちゃうから」と続けると、イス席中 央の年配の女性客が三人並んで「ははあ」とうなづ いた。ほんとに桟敷はよく見えるなあ。  夫婦漫才・京太ゆめ子の代演が、相棒に結婚退職 された新山真理とは面白い。「びいどうし」という 旧コンビ名は互いの血液型からとったということだ が、ピンになった今も血液型ネタが中心である。  「寄席の女性漫談って、あたし一人なんですよー。 これでも芸歴十七年」といいながら、刑務所慰問の エピソードへ。  「受刑者に血液型をたずねたら、八割がB型で、 のこりがO型とAB型。A型はひっとりもいないの」 というと、女性客が多いので、このての話には反応 がいい。「えーっ」という声にこたえて、「A型の 人は、B型に殺される被害者なんです」。  なるほどー。  高座に釈台が出て、寄席では珍しい神田松鯉の講 談である。この人のことを「マッコイ」と呼んだ友 人がいたが、今日の客で正確に読める人はどのくら いいるのだろうか。  「東京の講釈師は現在、全部で四十七人おります。 どこかできいた数字ですな。昔から、冬は義士、夏 はおばけで飯を食い、といいまして」と、師走なじ みの忠臣蔵ネタに入る。この日は、義士外伝から「 天野屋利兵衛」。義士たちの武器を調達し、討ち入 りを支えた堺の商人の心意気。「天野屋利兵衛は男 でござる」という名セリフを、力強く読みきった。  雷蔵代演の小円右「元犬」、喜楽喜乃の代演、「 今度香川・満濃町の観光大使になった」というコン トD51のコントと、代演続きだがよく受けている。 目の前のイス席に何やら紙が張っているのに気がつ いた。「里見小学校十三名、弁当付き」。先生の忘 年会か、きちんとすわって、一所懸命拍手をしてい るのが妙に納得、である。  仲入前も代演で、夢楽のピンチヒッターが遊三。 「青い山脈」とか「北国の春」など、どんな歌でも 「あいうえお、かきくけこ」で歌ってしまう。「パ ピプペポ」という題名があるらしいが、古典の本格 派が大真面目に演じる落差のようなものが、不思議 なおさしさをかもし出している。  そして仲入。衆人注視の中(だれも見てないよー)、 桟敷の手すりに隠しながら、てんこもりのイクラと 格闘である。ふと気がつくと前の里見小学校がいな い。えーっ、帰っちゃったのー。いきなり視界が開 けてボーゼンとしていると、なんと、その席に別の 団体が入ってきた。しかも、聞こえてくる会話から 想像するに、またまた先生の一行らしい。日本の教 育は、・・、けっこう先行き楽しみかもしれない。  後半一番手は南なんの「転宅」。このところ足が 悪いとかで釈台を置いていたが、今回は前に何もお かず、尻当てのようなものをしいて、ヨッコイショ と腰掛けて落語を演じている。あの独特な風貌でこ のカタチ。なんだか、野良仕事の休憩で雑談してい るような錯覚に陥ってしまう。ごめんねー。  イバラキ漫談のローカル岡は、今日も絶好調。た ぶんどこかの機内寄席の録音なのだろう、マイクが 一本余分についているが、そんなことはお構いなし だ。  「盗聴法っていうの、あるよね。神奈川県民は、 あの神奈川県警に聴かれるのはいやだからって、「 03」つけて110番するんだってね」。はははは。  鶴光の代演、夢丸が、実に歯切れのいい「親子酒」 を聴かせる。江戸っ子ではなく、五代続いたハマッ 子だそうだが、テレビのレポーターをやってるとき と、あまりに口調が違うので戸惑ってしまう。あの 見事な巻き舌は、意識的に作ったものなのだろうか。  米丸は、いわゆるサラリーマン新作の「玄関の扉」。 ドアチェーン越しの、来訪者と家人の珍妙なやりと りが楽しい小品だが、これ、ドアチェーンがまだ珍 しかった時代の新作なのね。貴重な新作、米丸には どんどん演じてほしいのはもちろんなのだが、江戸 落語よりも「古さ」を感じてしまうのはなぜだろう か。  ひざがわり、北見マキの代演、小天華のマジック を見ているときに、急に異なにおいが漂ってきた。 時間的に見て、お茶子さんたちがトイレ掃除をして いるのではないか。下手桟敷の最前列は、トイレに 最も近い場所なのだとあらためて気がついた。  トリは鯉昇の「宿屋の富」。この人、個性的な容 貌、濃〜いカオなのだが、芸風はさらり、ほのぼの、 おそらくだれでも好感を持つ芸風である。この日の ネタも、丁寧な運び。「子の1365番」の富くじ を当てた一文無しの男が、当選番号と自分のあたり くじを何度も見比べて「どこが違うんだろう」と震 える声で言う件は独自の工夫か。けっして声を張り 上げず、ソフトな発声に終始するのに、富くじの興 奮が確実に伝わってくるのが、実力というものだろ う。  充実した番組を堪能し、いい気分で末広通りの喧 騒の中へ。これから雷門へ帰れたらいいなと思いつ つ、埼玉の東端の町まで、一時間半弱の帰路をたど った。 たすけ


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