たすけの定点観測「新宿末広亭」

その四十一 番組 : 平成十一年十二月中席・昼の部 主任 : 三遊亭小遊三 日時 : 十二月十四日(火) 入り : 三十六人(午後一時半入場時) リポート  鳴り物も出囃子も、チョーンと響く柝の音もなく、 今年五月にひっそりと始まった「定点観測」であっ たが、あれよあれよという間に四十回を超えてしま った。  手元に残ったのは、血と汗と涙と暇つぶしと酔狂 の中で書き上げた四十本の不細工な原稿と、えーと、 まだ何があったかな。そうそう、更新をさぼると必 ず何通か来る「おーい、更新が遅いぞー」という激 励(?)のお便りメール(今後は新設の掲示板「寄 席場良」にお願いしますね)でしょ、あとは毎回木 戸でいただくプログラムぐらいなものである。  そういえば最近、末広亭のプログラムをまともに 読んでいない。活字中毒の僕は、しばしば寄席の客 席でも「ううう、活字をくれえ」という中毒症状を おこし、高座で芸をやってるのにプログラムを熟読 するというタイプなのだが、最近は、記事部分をま ったく読まなくなった。だって、書き込みだらけで きったないんだもの〜。  よく読者の方に「十何人もの出演者のネタを、よ く全部覚えてますね」と言われるが、飲み込みが早 くて忘れるのもチョー早い僕が、末広亭での数時間 のあれやこれやを何日か後で原稿にするまで覚えて いられるはずがない(きっぱり)。実情を言えば、 開演中、座席の背にかくれて、プログラムの「出演 者一覧」に、こっそり気がついたことを書き込んで いるのだ。この走り書きが、実にキチャナイの。自 分の字ながら、判読するのに骨が折れるぐらいだか ら、原稿を書いちゃったら、もう見たくもない。か くて、たすけの直筆メモ使用付きプログラムは、無 造作に机の引き出しに押し込まれたまま、二度と日 の目を見る事はないのである。  それが今席、どういうわけか、客席でプログラム の記事部分を読んでしまった。パラリとめくった一 ページ目、「おでんと惣菜 庄助」の広告の左隣の 「寄席だより」欄に、春風亭柳八のほんわかとした 顔写真に目が行ってしまったのだ。  「春風亭柳好復活 柳八が来春襲名」  柳八が平成十二年五月の真打ち昇進と共に、五代 目柳好になるというのは、演芸関係者はみーんな知 っているニュースだが、あらためて「柳好」という 前と、柳八のほんかわ顔を並べてみると、何だか妙 な感慨がわいてくる。  だって、柳八と先代柳好が実によく似ているのだ もの。  柳好と言われて、演芸ファンがまず思い浮かべる のは三代目柳好だろう。独特の歌い調子が耳に心地 よい「野ざらし」や「がまの油」で一世を風靡した 人気者である。  でも、僕らの年代は、「野ざらし柳好」には間に 合っていない。三十代後半から四十代の演芸ファン は、「柳好」といったら四代目。末広亭から中継が 合った懐かしの演芸番組「お笑いタッグマッチ」の レギュラーで、大声の小円馬や訳知り顔の夢楽など に挟まってニコニコ笑っていた、「川崎の柳好」に 決まっているのだ。  「落語をやらせていただきます」という、少しに 震える声での第一声。  「あたしの落語ははじめは面白くない。でも、だ んだん聴いているうちに眠くなり、それでも最後ま で聴くと、ああやっぱりヘタだったと・・・」  ああ、懐かしいなあ。自己申告の通り、大向こう をうならせる力演タイプではなく、見事に肩の力の 抜けた、春の日だまりのような芸だった。「お見立 て」なんか、本当に良かったんだよね。  その「ほのぼの柳好」と、柳八の風ぼうが、実に よく似ていいて、うれしくなってしまう。細い目と 太いまゆ、柳八の昔風の造作をつらつら眺めている と、やっぱしこの男は柳好である、と何ら根拠はな いが、ビシリと行ってやりたい気になるのだ。先代 柳好の弟子であり、「次の柳好に」との声も合った 小柳枝が、かつてこんなことを言っていた。  「柳八を見てるとねえ、亡くなった師匠を思い出 して、じーんとしちゃうんだ。やっぱ、柳好はアイ ツだよなあ」  何はともあれ、めでたい事だ。見た目だけではな く、芸の方でも、「ならでは」の味わいを作り出し てもらいたいな。   さて、師走半ばの末広亭昼席。客席に転々と散 らばった、元気のない客を笑わせようと、寿輔が奮 闘している。インチキ英語で会話が進む新作だが、 寿輔のネタには暗いうえ、途中から聴いたのだから、 題名すらわからない。  「シャコウベ?それって外国語なの?」  「うん、がい骨語」  ううむ。爆笑派の寿輔もさすがに苦戦のよう。こ ういうベタなはなし、嫌いじゃないんだけどなあ。  ひでや・やすこの代演、こくぶけんの高座はいさ さかいただけない。ギャグを言っても反応の鈍い客 席に向かって「消費税のような笑いでんな、5パー セント」と言ってる打ちはまだよかったが、ギャグ のからぶりが続くと、「わし、何かわるいこと言い ましたか?大阪は暖かいけど、東京は寒いねー。ど うしたしましたんや、これではしゃべる気にならん わ」。あとは、「客がすくない」「元気がない」「 わしは負けん」の繰り返し。客の数が少ないのも、 笑い声が弾まないのも、拍手がパラパラなのも、客 の責任ではない。金を払って、芸人のやに愛想笑い をする必要も何もない。それなのに、どうして「お 客さん、どうしたんですか」と言われなければなら ないのか。そうやって客をいじるのがワシの芸じゃ」 という反論もあるだろうが、それなら「芸」になる いじり方をしてほしい。弾まない客席を一番気にし ているのは、客の方なのだから。  柳橋代演の歌春は、師匠歌丸直伝の鍋草履。本編 は十分にも満たない、小ばなしに毛の生えたような ミニ落語だから、前に付けるマクラの巧拙で印象が 違ってくる。  「落語家って仕事は・・・、楽ですよ。落語家の 過労死って、聞いたことないでしょ?」。外見の線 の細さを生かした(?)とぼけた話し方が効いてい るが、「生きミイラ」と評判(小○○が言ってた) である歌丸の”枯れた”味にはまだまだ及ばない。    円の漫談をはさんで、高座はまたまた代演。玉川 スミのピンチヒッターに、同じように三味線抱えた 扇鶴が出て来た。一曲弾いて「パラパラパラ」の拍 手に、困ったような顔をしている。関係ないが、こ の人、ただ扇鶴というだけで(ただシロではないぞ) アタマに亭号がつかない。どういうわけだろう。  仲入前の文治も代演なのにはがっかりした。ここ まで六組のうち、プログラムとおんなじだったのは 円だけ。入りの悪いうえに、プログラムが機能して いないのだから、客にとって(演じ手じゃないよ) は、災難としかいいようがない。  文治のかわりはだれかと思えば、中堅どころの南 なん。代演は同格という一般常識で言えば、ちょっ と首をかしげるところだが、そこは怪人(本人は「 あやしいものでありません」といってるが)南なん である。それも面白いなと許せてしまうのが不思議 である。  相変わらず足が痛いのだろう、釈台で前を隠して の高座。「足の調子は悪いけど、顔の方は調子いい から」ときたので、プッと噴き出してしまった。こ ういうセリフをしゃあしゃあと言い放つところが、 怪人の怪人たるゆえんである。南なんの顔を知らな い人には、いまいち説得力がない言い方だなと、し ばし反省のポーズ(我ながら古いなあ、次郎クン、 元気ですか?)。  休憩の後、後半の一番手は、童顔・遊之介の季節 ネタ「ふぐ鍋」だった。そういえばこの時期になる と、今はなき小南がよくやっていたなあと、懐かし く聴いていたら、何だ小南の演出そのままである。  「うわっ、きゃっ、おおっ」と訳もなく客とか、 「おべんしゃら?、ほんちゃらです」などという調 子のいい会話など、細部までそっくり。フグ、ネギ、 豆腐、ハクサイの食べ訳が達者であるなど、腕のあ るところをみせているのに、肝心の演出が習ったま んまでは、遊之介にとって損である。こんだけ似て いると、聴いてるほうは「やっぱり本家の方がいい よな」と思ってしまうもん。もう真打ちになって二 年以上はたってるはず。いつまでもフレッシュさが 売り物では、さみしいではないか。  漫才のWモアモアの代わり、茨城弁の人気者、ロ ーカル岡でも、この日の客席の空気をほぐすのは難 しいらしい。短い時間にダジャレネタを連発した後 で、新旧の演歌の歌詞に文句をつける、人生幸朗の ような展開で、後半はさすがに会場を盛り上げた。 しかし、岡の攻撃の対象になった演歌、どれひとつ として聴いたことがないのがショックだった。 五木ひろし、川中美幸に、三笠優子。かろうじて歌 手の名前は判別出来たが、歌の方はまるでだめ。こ ぶしがまわらないのを理由にカラオケで演歌を避け て来た罰に違いない。  やっとほぐれた客席に、小柳枝の「掛け取り」が かろやかに流れる。歳末限定のこのネタ、今日はさ すがに短めのバージョンで、「狂歌」と「喧嘩」を とんとんとやっておしまい。いつもながらのすっき りした高座だが、惜しむらくは、借金がたまりにた まってにっちもさっちもいかないという、言い訳亭 主がちょいと粋すぎる。姿のよい噺家というのも、 場合によっては不便なものだ。  登場するなり、初めの「輪の交換取り」で道具を 落として「あらー」と叫ぶボンボンブラザース。ス ラップスティックな動きを売り物にコンビだけに、 ささやかな失敗を笑い飛ばすことが出来るのが強み なのだな。得な芸である。  昼のトリ、人気者の小遊三が「ボタンとリボン」 の出囃子で登場するころには、客席の人数も笑いも ずっと増えていた。  「来年は芸術協会が七十周年だそうでーー。きっ と何にもやらないでしょうが」と、ぼやいてるわり には、文治体制の新執行部、やる気十分なようすで ある。小遊三も大抜擢で副会長かあと思ったら、ほ んとは「副会長付」で、副会長の歌丸にもしものこ とがないようにという目付け役なのだとか。「付と つくのは、転勤前ってことか?」「ほんとは付でな く、補佐だ」とか、いろいろな楽屋の声があるよう だが、肩書など何でもいいから、のんびりムードの 芸協に活を入れてほしいな。  マクラは、芸能人の色紙ネタ。「人生に近道なし」 とワンパターンで書く円楽、「伝統を現代に」と意 外に真面目な談志、朱色で大きくマルを作って中に 馬を書き入れる円馬と、楽屋話で興味をつなぎなが ら、ギャグを連発する。この後どんなネタに入るの かと想像しながらマクラを聴くのが、寄席見物の楽 しみだ。ところが、この日の小遊三はいつまでたっ てもネタに入らず、笑点メンバーのうわさ話で笑い を取るばかり。どうするのかと思っているうちに、 そのまま漫談だけでハネてしまった。  落語家の漫談を否定するわけではないか、芸も看 板も、上り調子にある小遊三が漫談で逃げるのは納 得出来ない。落語家の漫談は、異端児が独特のフラ できかせるか、年寄りが枯れた味でうならせるもの。 骨太本格派の小遊三は、そのどちらの型でもないだ ろう。平日の昼の客のうすい末広亭という「状況」 を、吉と見るか、凶と見るかで、落語家の品格を測 れると思う僕は、イヤミな客であろうか。   いつもより文句の多い帰り道、そういえば定点 観測で柳八の高座に出会ったがことがないなと思い ながら、書き込みだらけの番組表をバッグの隅に押 し込んだ。 たすけ


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