たすけの定点観測「新宿末広亭」

その四十 番組 : 平成十一年十二月上席・昼の部 主任 : 林家正雀 日時 : 十二月十日(金) 入り : 四十五人(二時十分入場時) リポート  待ち合わせの時間調整のために入った赤坂見附の 書店で、三遊亭円生の自伝「寄席育ち」(青蛙房) の新版が書を見つけた。僕は持っていないし、もち ろん読んだ事もないのだが、「寄席育ち」と書かれ た背表紙を眺めているだけで、なんともいえない懐 かしい気持ちになった。  六代目円生は、僕の落語の先生だ。深川育ちで、 ガキのころから鈴本や東宝名人会に通った、と何度 も書いているが、実はそのころは、ただ見ていただ け。落語というものをちゃんと聴くんだ、という気 持ちで客席に座ったのは、大学に入ってからのこと だった。  一九七〇年代の後半は、ホール落語の全盛時代。 東横ホール、イイノホール、三越劇場、紀伊国屋ホ ールに、国立小劇場などが、大看板をレギュラーに 落語会を開き、毎回満員の客を集めていた。そして、 華々しいレギュラー陣のトップになっていたのが、 円生だった。  円生はネタの宝庫だった。大作人情ばなしに始ま って、珍品の音曲ばなしや文芸新作。十八番には艶 っぽいはなしが多いが、滑稽物もひっくりかえるほ ど面白い。七十過ぎて即座に百席近い噺ができて、 どれも文句ナシのレベルに仕上がっているというの だから、寄席通いからホール落語へと、演芸の世界 にのめり込みかけていた僕には、夢のような存在で ある。「正札付」の出ばやしが響くと、自然に背筋 が伸び、「先生、聴かせていただきます」という姿 勢になったものだ。  ただ、貧乏学生が円生を追いかけるのには、いさ さか無理があった。ホール落語の入場料は、ばかに ならないのである。東横落語会と落語研究会は無条 件、多少余裕がある時は、紀伊国屋寄席ものぞくこ とができた。レコード、テープは図書館や同病の友 人が頼みの綱、本となると、もうどうしようもなか った。寄席の本、芸人の自伝までもっているマニア ックな知り合いはいなかった。  青蛙房という出版社が、演芸関係の本を何冊も出 しているのは知っていたが、ここの本はどれも高価 だった。神保町の大きな書店で「寄席育ち」の背表 紙をにらみながら、何度も考え込んだが、買うこと ができない。「いずれ文庫本になったら」。その可 能性が少ないことはわかっていたが、そうやって言 い訳しながら、あきらめた。「寄席育ち」はそのう ち書店の棚から消えてしまった。  十数年ぶりに再会した「寄席育ち」は、ぴかぴか で、いいにおいがした。だれかに取られては大変と、 すぐにレジに持っていった。金がない時は時間が有 り余っていたが、青蛙房の本をノータイムに買える ようになった今では暇がない。いつ読めるかわから ないけど、とりあえず我が家の本棚の、特等席に置 いた。  あたたかな十二月の昼下がり。末広亭の高座では、 文楽がのんびりと「権兵衛狸」を演じていた。  山里に住む床屋の権兵衛さん。布団にくるまって 巨人のFA問題などをぼんやり考えていると、狸が 「ゴンベ、ゴンベ」と戸をたたいていたずらする。 格闘技の名人である権兵衛さんは、猫だましからウ エスタンラリアットまで、必殺技を繰り出して件の 狸を生け捕るが・・。  罪のないはなしだけに、新しいギャグは入れ放題。 今はやり(?)の定説は出て来なかった。  続いて登場の太田家元九郎、いきなり津軽三味線 を弾きはじめ、しばらくして「終わったんだけど。 突き放すような津軽なまり、ぶっきらぼうな物言い が、へんにかわいい。「アリラン」、「ラ・クンパ ルシータ」、「エル・コンドルパソ」といつもの世 界シリーズだが、きて最後に来てビートルズの「イ エスタデイ」。おや、新しいレパートリーかと思っ たら、上の弦と下の減をびよ〜んとはじいて、「う えしたでぃ〜」。いいなあ。  中トリ馬風も、ざぶとんに座るや、いきなり艶笑 小ばなしをひとつしゃべって、「終わったんだけど 〜」。「元九郎の真似しても、うけないなあ」とテ レ笑いだ。ネタはやらずに、かえる時代にやってた キックボクシングのリングアナウンサーの裏話。 「日本人はさあ、沢村忠、富山勝治、ロッキー藤丸 なんて、みんな覚えやすいけど、大変なのはタイ選 手。バイヨク・ボーコーソーには笑ったね」。いや あ懐かしいなあ、みてました、キックの鬼。稲毛忠 治、斎藤天心なんてのもいたよなあ、てなことをお もしだしてたら、もうおしまい。  「今日はトリの正雀が掛け取りをたっぷりやるっ てえから、邪魔しちゃいけない。はなはだ簡単では ございますが」だって。ほんと、マイペースだねえ。  伊勢丹の地下で買った天一の天丼弁当(特製だよ、 特製。なんだか、ゆめじうたじの鰻重千六百円みた いだな)をかっこんで、思わずむせてしまい、あわ ててカルピスの上煎茶で流し込もうとしたら、クリ ーニングしたてのズボンにこぼしちゃったり。客席 に余裕があるからドジが目立たないのが、末広亭の いいところだなと思う間もなく、後半が始まった( なんちゅー文体だろうか)。  食いつき、錦平の「看板のピン」の歯切れがいい。 林家では珍しい古典の本格派、還暦を過ぎて久々に さいころを持つ隠居に、渋い味が出た。  笑組の漫才の間にトイレにたって(ごめんよー)、 帰って来たら代演で、のいるこいるが出てるじゃな いの。しまったあ。のいるこいるのご両人、何十年 もおんなじ芸をやってるのに、ここ数年でやにわに ブレイク、きけば来年の正月番組、漫才の最多出演 は彼ららしいとのこと。これを好機に、もっともっ と、みんなにしってほしい芸人さんだ。  金馬が「胡椒のくやみ」、扇遊の「蜘蛛駕籠」と 落語が続くが、睡魔が〜。くそっ、ほとんど覚えて ないや。別に工藤や江藤のFA移籍を考えていたわ けじゃないんだが。  小雪の代演、アサダ二世の奇術でようやく頭にか かった靄が晴れた。  トリの正雀は、端正な袴姿で登場。馬風の予告通 り、暮れの寄席の定番「掛け取り」である。  若いころは義太夫語りにあこがれたという正雀の 高座、普段でやや平板ともいえる芸質なのだが、い ったん芝居がかり、鳴り物入りになると、がらりと 華やかになる。唄も、芝居の所作も本寸法で、実に よい形なのである。  借金取りの好きなもの、凝っているものを並べて、 大みそかの掛け取りを免れようという裏長屋の男。 好きなもの、というところで、いろいろな芸を見せ る、いわば隠し芸大会のような落語である。  正雀の「掛け取り」は、まず狂歌がきて、つぎに 得意の義太夫、喧嘩、芝居ときて、三河万歳で締め くくる。これは円生の「掛け取り」とほぼ同じ、教 科書通りという構成である。圧巻はやはり芝居のく だり。掛け取りを上使に見立て、近江八景を織り込 んだ歌で言い訳をする。円生の大きさはないが、軽 やかな所作を生かした、遊び心たっぷりの長屋芝居 である。味で聴かせる文治と、形で見せる正雀、円 生なき後の二大「掛け取り」といったら、古い円生 ファンにしかられるだろうか。木戸を出てすぐに右 に折れ、「中の舞」を口ずさみながら角のゲームセ ンターまで、上使の気分で歩いてみた。 たすけ


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