たすけの定点観測「新宿末広亭」

その三十九 番組 : 平成十一年十二月上席・夜の部 主任 : 三遊亭歌之介 日時 : 十二月八日(水) 入り : 七十三人(午後七時二十分入場時) リポート  遅れに遅れた原稿をようやく書き上げて、とっぷ り暮れた大手町へ飛び出した。昼間はコートいらず の暖かさだが、日が落ちるとさすがに寒い。丸の内 線へ続く階段を早足でおりながら、そういえば初め て行った寄席のもこんな季節だったことを思い出し た。  だが、そこからが先が思い出せない。自慢じゃな いが万事飲みこみが早く、「一を聞いて二を知る」 ぐらいは朝飯前なのだが、そのぶん忘れるのも早く 晩飯過ぎには頭の中はさっぱりしている。先月の歌 舞伎座の演目でさえ、あれ?「蘭平」の後はなんだ ったっけ、「宇都谷峠」は先先月だったし、「酔奴」 はまだ見てないし、てな具合なのであるから、数 十年前の冬の一日などは、もうもうとした霧のかな たのことなのである。  場所はおそらく、上野鈴本。江東区の猿江に住む 叔母のお供で、買い物帰りに平日の昼席をのぞいた のだと思う。昭和四十年代の初め頃のことだから、 ビルに改装される前の、裏道の料理屋みたいな昔の 鈴本である。たしか出入り口が客席横にあり、向か って右側が高座だった。おそらく芸術協会の芝居だ と思うのは、プログラムに千遊、万遊、笑遊などと 遊の字のついた噺家が並び、最後に円遊の名前があ ったからだ。もちろん先代の円遊で、まあるい顔に 優しい声。ほんのり品のある芸風で、「たいこ腹」 の太鼓持ちに下卑たところがないのが気に入ってい たが、このときトリまで聴いたかどうかははっきり しない。  出演者や芸のことはまるで記憶にないのに、帰り に広小路の角の「五万石」という店で天丼を食べた ことだけは覚えている。大きな海老のてんぷらをほ おばりながら、「今度は東宝名人会に連れていって」 と叔母にねだった。もちろん、名人会の帰りに日比 谷映画街に並ぶ料理屋でトンカツかうな重をご馳走 になるという皮算用だった。寄席と鰻重が好きな小 学生。今思うと、ヒネたガキだったなあ。  そんなことを考えているうちに、新宿駅についた。 末広亭の最寄駅は新宿三丁目。開演時間はとっくに 過ぎているのに、今度は一駅乗り越しである。いか んいかんとホームに下り、向かいの池袋行きに飛び 乗った。  木戸をくぐると、高座はすでに仲入間近。太神楽 の若手、和助が、師匠の和楽、小楽に見守られなが ら、バランス芸「五階茶碗」を熱演しているところ であった。勝丸、仙一、正二郎など、国立劇場の研 修制度のおかげか、太神楽に若手がずいぶん入って きた。六歳の六月六日に父親に手ほどきを受けたと いう、水戸大神楽の後継者である小雪や、元キャン デーボーイズの喜楽の娘、喜乃など女流も加わって、 先が楽しみになってきた。  ところが、期待の太神楽、すぐ後ろに五人並んで 座っている年配女性のグループがうるさくて、集中 してみることが出来ない。  「きゃー、すごいわ」「あれ、口にくわえている のかしら」「あごじゃないの?」「あごなら落ちち ゃうでしょ」「あ、ぐるぐる回った!」  みんな寄席は初めてらしく、見るもの聴くものす べてに「何何何」と反応する。すると、だれかが知 ったかぶりで解説を始めるのだが、それがもう、ほ っとんどでたらめ。それをすぐ前で聞いてる、こっ ちの身にもなってくれ。「そうじゃねーだろ」と訂 正したい。でも、それなりに楽しんでるみたいだか ら、余計なお世話かなあ、なんて考えてたら、太神 楽が終わってしまった。今夜はこんなのばっかしで ある。    お次は、あれれ、もう中トリじゃないか。雲助 の「壷算」は、買い物上手の兄貴が、いかにも胡散 臭くて面白い。素っ頓狂な声を張り上げながら、少 々ぼーっとしている瀬戸物屋の主人を煙に巻く。こ っけい落語でマンガチックな味を堪能させ、芝居が かりの大ネタでうならせる。この人の芸域の広さ、 懐の深さには脱帽である。  仲入休憩の間も、後ろのご婦人たちはかしましい。  「ねえ、のどかわいたわね」「売店に何かあるわ よ」「お弁当買おうかしら」「我慢しなさいよ、終 わったら居酒屋行きましょう」「でも、終演九時半 って書いてあるわよ」「じゃあ、一個だけ買って、 みんなでわけたら?」「アタシ、その前にトイレ行 きたいわ」「でも、あれ男女兼用じゃないの?」「 そういえば、なんかヘンなにおいしない?」「あら、 売店閉めますだって」「大変、早く行ってらっしゃ いよ」  うるせー、と思いつつ、全部聞いてしまった。  長い(?)休憩が終わって、後半は、喜多八の代 演、歌る多から。この間、はやり末広亭の食いつき で聴いた「つる」である。なんだまたかと思ったら、 ハナシの感じが違う。なんと、「つるは日本の代表 的なトリなのか」と隠居の家に聞きに来るトンチキ は、男ではなく女。長屋のおさきさんという設定で、 主要人物がみな女性なのだった。歌る多には、登場 人物を女性にかえたネタがいくつもあるが、男・女 のバージョンを使い分けるのには、初めてお目にか かった。きけば、「桃太郎」「町内の若い衆」など、 ほかにもこの手のネタがあるそうな。いやあ、おも しろい、おもしろい。  「昔白髪の老人が、浜辺に立って沖を見ているる と、もろこしの方からオスの首長鳥がつーっと飛ん できて、浜辺の松にポイッととまった。次にメスの 首長鳥がるーっとやってきて・・」という隠居の珍 説を聴いて、「それ、何番目の定説ですか」とボケ るおさきさんの、年がら年中、井戸端会議に忙しく てという風情が愉快である。  ゆめじうたじの、おなじみ「鰻は和食か養殖か」 をはさんで、円弥の代演が、あら久しぶり、歌奴だ った。「立って子供、すわって子供。三年二組、三 遊亭歌奴です」とテレビの大喜利で笑いを取ってい たのは何年前のことだろうか。すっかり年をとった が、童顔のスキンヘッドがカワイイ。  「噺家に逆らわないで、面白いこといったら、す ぐ反応するように。所沢あたりで止まってちゃだめ よ、飯能、飯能」と西武線利用者しかわからないよ うなクスグリをふった後に、独特の間がある。ネタ はやらず、ダジャレ連発のばかばかしい漫談が続く が、つい引きこまれて聴いてしまう。  「池袋からここまでバスで来たけど、九〇パーセ ントがジジババ。伊勢丹行くより、焼き場でも行っ たほうがいい。もっとも今の焼き場は自然がいっぱ いあっていいんだよね。おお、焼き場は緑って」  うしろの五人組が、やんやの喝采である。  次はお目当て、権太楼だが、これもまだお休みで ある。ところが代演が実力派のさん喬だから、文句 も言えないか。この日の「片棒」は、粋なのどが自 慢のさん喬にはうってつけのネタである。オヤジの 葬礼を三人息子がどう仕切るか。その考え次第で後 継ぎを決めようというケチ親父の噺。抑えた声で語 りだし、木遣りが入って、手古舞を呼んで、囃子を そろえてと、葬礼がエスカレートしていくにつれて、 さん喬のテンションも上がっていく。木遣りの高音、 囃子のリズム、浮き立つような祭り気分に酔わされ た。  「今の人うまかったわねえ」「だんだん上手な人 がでてくるのね」「こりゃあ最後の人まで聴かなき ゃね」「最後じゃないくて主任ていうのよ」「あた しおなかすいたわ」  後ろの席は相変わらず元気である。  紋之助の代演、ペペ桜井のギター漫談をはさんで、 トリは歌之介。後ろの女性陣ではないが、今夜一番 の高座を期待するか。  前に鹿児島へ出張したとき、歌之介の出演する番 組を見たことがある。バラエティー番組のサブキャ スターてな役割で、ポイントポイントで気の聞いた コメントを言うのだが、これがトラッド(?)とい うか正調鹿児島弁で、何言っても受けまくり。歌之 介宛のファンレターは来るし、番組で自分の本やテ ープの紹介したり、地元ではけっこうな人気者なの である。東京の寄席に出るときは、ディープな鹿児 島弁をかなり薄めて使っているが、鹿児島県人はと もかく、寄席の客には十分過ぎるほど面白い。  「人生、何事も明るくとらえましょう。ビコーズ、 考え方はいろいろあるからです」  「イルカのショーをみて、利口ですねえといった ら、係りの人が『本当に頭のいいイルカは人間には 捕まりません』と言った」  「高校時代、うどんは英語でなんと言うかと質問 され、わからなかった。答えはジャパニーズヌード ル。うそです。アメリカに行ったら、うどんはUD ONでした」  しょうもないことを大真面目に、力みかえって語 る、歌之介のクスグリのおかしさを文字で伝えきれ ないのが残念である。  この日のネタは「お父さんのハンディ」。息子の 高校合格を祈願して、好きなゴルフを一年間断った お父さんの苦闘の物語である。  「よしおはどこ受けたんだ、。小金井ィ?いいコ ースだ。男はみんな小金井にあこがれるんだ。合格 したら会員だな」   「会員じゃないわ、生徒よ」  笑いが笑いを呼んで、客席が波打っている。今の 寄席で、客層を問わずに、これだけ客席をわかせる ことのできる噺家が何人いるだろうか。歌之介には、 もっともっと寄席に出て、客を呼び込んでほしい。  おいだしの太鼓が鳴り響く中、件の女性グループ の飯能、いや反応はいかにと振り返ると、ありゃり ゃもう誰もいない。今ごろはどこかの居酒屋に突撃 しているに違いない。初めての寄席見物。また来て ほしいなと願いつつ、今度会う時はもうちょっと離 れた席でと思ったりするのだった。 たすけ


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