たすけの定点観測「新宿末広亭」

その三十八 番組 : 平成十一年十一月下席・昼の部 主任 : 三笑亭茶楽 日時 : 十一月三十日(火) 入り : 五十五人(午後二時十五分入場時) リポート  大好きな泡坂妻夫が、単行本上に寄席興行を再現 するという、心躍る新作を出してくれた。「泡亭の 一夜」(新潮社刊、1600円)である。  いろいろな雑誌にバラバラに掲載された短編なの だが、並べ方ひとつで、こんなにも楽しくなるもの か。新作落語といってもいい、サゲのある掌編を二 つ三つ並べて、これが前座、二つ目がわり。短編が だんだん内容の濃いものになってきたと思ったら、 一転、新内「浜町河岸」を盛り込んだ音曲ばなし「 新内屋」で気分を変えて、中トリに人情物の「三紋 龍」を持ってくる。  休憩には、技巧的な前半と打って変わって、若き 日に通った寄席の思い出をつづる、ちょっとウエッ トなエッセーで泣かされる。  後半も寄席番組の作法通り。ひざがわりの奇術( マジック解説)をはさんで、世話物「喜色川船頭」 でハネるのである。  「落語」と言い切ってしまうのはどうかな、とい う出来のものも多いのだが、うまいまずいを云々す る以前に、贔屓の作家が本気で「寄席ごっこ」をし てくれたのが、うれしい。しょせん遊びといってし まえばそれまでだが、同じ遊ぶにしても、ここまで 本気で遊んでくれれば言う事はない。落語ファン読 むべし、である。  正直に言うが、泡坂は、僕のあこがれの人。ああ なりたい、と思う対象なのである。ああ、恥ずかし い。  神田鍛冶町の生まれで、稼業の紋章上絵師を継ぐ。 芝居か落語の主人公のような経歴を持つ上に、直木 賞作家で創作奇術の名手なのだというんだから、い やになるなあ。  僕はというと、隅田川を挟んで神田の東、深川新 大橋の生まれで、父親はガラス職人だった(今も、 であるが)。  なんとなく泡坂の経歴とカスっているような気も するが、オヤジのガラスは、管をぷーっと膨らませ て美しいませ容器を作るガラス工芸ではなく、大学 や製薬会社の研究室にある理科実験器具、つまり工 業製品なのである。もちろん全部手作りで、この世 に同じ製品は二つとないという貴重な仕事らしいの だが、どういうわけかオヤジは一人息子の僕に仕事 を仕込もうとはしなかった。  高校の終わりぐらいに、「俺に稼業をつがせる気 はなかったのか」と尋ねたら、「小学校の時、お前 の工作の宿題を見て、こりゃダメだと思った」とぶ っきらぼうに言われてしまった。  稼業を継ぐという時点で、脱落してしまった僕は、 この先どうがんばっても泡坂に追い付けそうもない。 でも、いつも遊び心を持って、好きな事に、本気で 取り組む。せめて、そういう心意気だけは持ち続け ていたい。そんなことを考えながら、末広亭へ向か う。この芝居も、千秋楽になってしまった。定点観 測も、本気でやっているんだがなあ。  さすがに二時間遅れでは、番組も半ばに差し掛か っている。高座は夢楽得意の「おしくら」。「三人 旅」後半の、宿場女郎を買う買わないという、ちょ っと色っぽいくだりを、かつては酒好き、色事好き と噂された夢楽が楽しそうに演じているのだが、客 席前方に二列に並んだ年配女性の団体の大半が、船 をこいでいるではないか。美容院へ行ったばかりの ウエーブがかかったゴマ塩アタマが二つも三つも、 目の前でゆらゆらと揺れている。なんだか、中国の 墨絵のような幻想的な後継である。  奇術の小天華を挟んで、円輔の「親子酒」で休憩 になる。「お仲入〜」という前座の声で目が覚めた のか、女性陣は売店でジュースを買ったり、お手洗 いに駆け込んだり大忙しのようだ。それはいいのだ が、今日の客席はうすら寒い。上下二基の空調のう ち、上手だけしか動いていないようなのだが、前の 方はともかく、戸の開け閉めが頻繁な後ろの席はス ースーである。ボーナス前の懐具合をつっこまれて いるようで、わびしくなってしまう。  さて後半。食いつきに出て来た笑遊は、「あたま に、おの字をつけないように・・・。最近アタマ薄 くなってきたから、薄口笑遊ですね」と、いつもの あいさつ。「あたしんとこは四十の遅い子持ちで、 小四、小一、年長と三人も小さいのがいるん」とふ って「桃太郎」へ。親の昔話の揚げ足をとるヒネた 子ども。それほど面白い話ではないが、意識的に間 をずらしたような、すっとぼけた調子がおかしくて 、よくうけている。  続くWモアモアが休演で、ピンチヒッターに漫談 のこくぶけんが登場した。この人、いつからひらが な表記になったのか。B&Bをやめてから、ずっと 国分健だったはずだが。「道頓堀行進曲」を出ばや しに使い、「え〜、さぁあてはぁ〜一座のぉ、みな さ〜まにぃ〜」と河内音頭であいさつ、「東京も長 くいると、すっかり東京弁になったと言われますわ な」と畳み込まれると、さすがに笑ってしまう。ど んなことをしても笑いを取る、上方の芸人魂とまで いうのは大げさだろうか。フーテンの寅さんがマド ンナのことを「薄紫のコスモスのよう」と例えたの が見事だと感心していたら、女房に「あたしも何か に例えて」という。「ピーマンの肉詰めのようだ」 と言ったらえらく怒りましてなあ、とオーバーな抑 揚で笑わせ、まだ足りないと思ったか、「女房の受 験生の腹をしてますねん。第一脂肪、第二脂肪言う て」とギャグの追加である。この実も蓋もなさは、 道頓堀「浪花座」(吉本ではないぞ)の芸人たちの 呼吸ではないか。そういえば、最近大阪に行く機会 がない。ああ十三のネギ焼き法善寺の喝鈍えんどう のつかみ寿司・・・。    話がそれた。続く夢太朗は、後半三番手という出 番にしては大ネタの「寝床」に挑戦。さすがにサゲ までは無理だったが、中抜きをせぬ丁寧な運びで好 感を持った。長屋連中が集まって、旦那の義太夫の ひどさを嘆く場面で「長屋の共同便所の落書きに、 義太夫は東チモールより安全ですってのがあった」 というのが、変におかしい。  「性格は陰気だが、着物は派手」の寿輔、今日の いでたちは、始めてみる鮮やかなピンク!おおおと 客席がどよめき、前の夫人たちがのけぞった。  ひざがわり、ボンボンブラザースの十八番は、鼻 の頭に細い紙を立てて高座を動き回るというコミッ ク芸。今日は調子がいいのか、久々に高座を下りて、 下手桟敷にのぼり、女性客のバッグを奪い取るなど 大暴れ。上手桟敷の方向へ行くのを見た事がないが、 末広亭の空調の片肺飛行を熟知しているせいに違い ない。  今年初めて見る(と、思う)茶楽のトリ。すっか りアタマが寂しくなったが、口調の方は落ち着いて、 風格すら漂う高座姿である。ネタは「子別れ」。別 れた息子に三年ぶりに出会った大工の棟梁ーー。く さく演じようと思えばいくらでもくさく出来る、わ かりやすい人情物だが、茶楽は、力むことなく淡々 と演じ、いわゆる行間に感情をにじませる演出法を とったようだ。ちょっと鼻にかかった声も聞きやす く、あっというまのサゲである。ふと後ろの時計を みると、きっちり二十分。たっぷり聴いた感じが残 るのは、噺家の腕なのだろう。  平日の昼の部で、出来のよい「子別れ」。泡坂の 職人芸に酔ったばかりの僕には、幸運な寄席見物で あった。 たすけ


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