たすけの定点観測「新宿末広亭」

その三十六 番組 : 平成十一年十一月中席・夜の部 主任 : 金原亭伯楽 日時 : 十一月二十日(土) 入り : 約七十人(午後七時二十分入場時) リポート  考えてみたら、今まで継続的に何かに取り組んだ、 という経験がない。ない、というよりも、続かない といったほうがピタリとくるな。日記は何回トライ しても三月ともたず、コレクションの類もすべて中 途半端、学生時代のクラブ活動はというと、中学= ブラスバンド、高校=演劇(恥ずかしー)、大学( 軟式テニス)と一貫性も何もなく、全部ものになっ ていない。「定点観測」が曲がりなりにも六か月も 続いているというのは、僕にとっては奇跡に近い出 来事なのである。  そんなわけだから、一つのことに地道に取り組ん でいる人と会うと、こりゃあかなわないなと思う。 何か負い目のようなものを感じてしまうのだ。とこ ろが困ったことに、新聞記者という職業柄、「この 道一筋」というオジ様オバ様の取材てえのがけっこ う多いのだ。そーゆー取材の時の意識の流れ(大層 だなあ)はたいてい同じで、いやあ立派ですねえ偉 いですねえそこ行くと僕なんかダメですよねえイエ イエほんとにダメなんですよ申し訳ないですごめん なさい、etc、etc、etc、zzzzzz。 てなかんじで、そこはかとない疲労感とともに家路 をたどることになるのである。  ただ、同じ「この道一筋」の取材でも、とっても 楽しい場合もある。その人が取り組んでいる「この 道」が、どうにもしょーもないもの、あるいは立派 なんだかそうでないんだかよくわかんないもの、の ケースだ。  たとえば、以前にも書いた「讃岐うどんの怪しい 名店を探しつづける自称“プロの客”」とか、「一 年間、毎日銀座の違う店でランチを食べた某酒メー カーの会社員」とか、「平成十一年十一月十一日な んつー同じ数並びの切符を集め続ける某国立大学の 先生」とか。こんな例に挙げて申し訳ないけれど、 「しょーもないことに全力を傾ける」という行為は、 目的そのものが「しょーもない」だけに、その行為 自体の純粋さというか、無償のすがすがしさのよう なものだけが浮き彫りになるのだ。そういう人たち から、「なぜ、そこまで頑張れるのか」「何が目標 なのか」という話を聞くのは記者冥利の一つだ、と 思っているのだが、そんなこと考えるのは、僕だけ だろうか。  最近一番楽しかったのは、「国道クエスト」に挑 戦中の某光学機器メーカーの新入社員、井上セーネ ンの取材だった。やってることは実にわかりやすい。 日本の国道を一つずつ、起点から終点まで車で走る。 ただそれだけ。走破すること以外に、何の目的も考 えもない。 「なんじゃそりゃ」「そんなことして何になるの?」 と思う人はいるだろう。聞いてみると、本人も、何 度もそんなことを考えたらしい。鉄道マニアならJ R完全乗車、バス好きなら全路線制覇、なんてこと を一度は考えるものである。車好きで、学生時代は ラリーに挑戦したりしていた井上さんも、同じよう なノリで「国道全部走ったらすごいかも」と考えた のだそうだ。バカなことを思ったが、誘惑に負けて 「ちょっとだけやって、だめならやめよう」と走り 出してしまった。あとは、「乗りかかった船」であ る。続けているうちには、いろいろな発見があり、 それ見る自分の中にも意外な変化があったりする。 ここまで来たらやめられない。すべてが終わった時、 どんな自分がいて、どんな思いがのこるか、それを 見届けたいーー。この気持ち、定点観測に挑戦中の 僕には理屈抜きでわかる。同志じゃないかぁ〜。  井上さんは現在クエスト三年目に突入、制覇した 国道は二百を超え、計画の三分の二をクリアした。 始めたときは学生だったが、今は社会人。時間的な 制約はあるし、金はないし、残りの国道は遠いとこ ろばかりだしというわけで、これからが勝負どころ だ。国道クエストの終点に何があるか。ちゃんと見 届けてこいよという思いは、僕自身へのエールであ るのかもしれない。  この道一筋は、寄席の世界にはごろごろ転がって いる。落語、漫才のような伝承芸はもちろんのこと、 演じ手が亡くなれば芸そのものも天国へ行ってしま う一代限りの珍芸まで、「別になくなって誰も困ら ない芸」(こんなことをいう噺家は、いいやつであ る)に命を賭ける人々の潔さが、かび臭い寄席の空 気の中にほのかに漂っている、ような気がするので ある。  週末というのに仕事が終わらず、ああ中席は今日 が楽日だと気がついたのは、六時過ぎ。なんとかや りくりして末広亭に飛び込んだのは、すでに仲入も 間近だった。  高座では、ペペ桜井のギター漫談がクライマック スを迎えようとしていた。ギターで「アルハンブラ の想い出」を演奏しながら「浪花節だよ人生は」を 熱唱する珍芸中の珍芸。どうしてそんなことができ るのかと言われて、「一所懸命ギターの音を聞かな い様にするんだ」と答えたという話は本当だろうか。  「僕はねえ、ホントは音楽家になりたかったんだ。 それが、なんで諦めたかというと、何もしゃべらな いでギターを演奏することができなかったんだよ」  場内爆笑。不思議な味のある“音楽家”である。  次はもう中トリ、小燕枝の出番じゃないの。 「寄席というところは、一度入ったら、全部終わる まで出てはいけない、これ定説です」  最近、毎日どこかの寄席で「定説」がギャグに使 われている。まんべんなく受けるのは、 「定説」がまさに旬の言葉だから。全国三千万のダ ジャレ愛好家の皆様、今「定説」を使わなければ損 ですよ。  仲入は、空腹との戦いだった。だってさー、桟敷 のオジサンたちはうまそーにトンカツつまみながら ビール飲んでる、上手座席の中年カップルも揚げ物 系の弁当をぱくついているし、売店の助六は売り切 れ見たいだし。仕事にかまけて、ろくな昼飯を食っ てないのを忘れていた。早く幕あけろー。  食いつきは、歌る多の「つる」。ううう、歌る多 までうまそうに見えたりして。  続いては、「犬のおまわりさん」の出囃子にのっ て、漫才の笑組が登場した。  緑と黄色の派手なブレザー姿。「僕らのこと誰も 知らないでしょー。常磐線と中央線です」で笑わせ る。知らないどころが、最近の定席では本当によく 見かける。「定点観測」の登場頻度も高い方だと思 うが。  「最近の仕事ですか。栃木県鹿沼市の敬老会、埼 玉県羽生市の敬老会、所沢市の敬老会の余興と来て、 末広亭です。久々に客席が震えてないですねえ」  同じクスグリを何度も聞いて飽きる時と、だんだ ん面白くなって来る場合があるのが不思議だ。笑組 の顔を見なれたせいか、妙に楽しく聴けるのである。  小里んの「不動坊火焔」は、後半部分、長屋のや もめ連中が、仲間の婚礼をぶち壊そうと屋根に登っ て幽霊を出すくだりのみ。上方風のくどい演出とい う印象が強い噺だが、小里んはマイペースで淡々と 演じて笑いを取る。師匠小さんに似た容貌をみるに つけ、こういうのが柳家の芸というのかなと考えた りして。  文楽と入れ替わった馬桜。「本当ならもっと早い 出番だったに、都合があって・・。まあ、アタシの 都合じゃないと断っておきますが」と、ぼやき半分。 この日のネタは「猫の皿」。田舎の茶店で、高麗の 梅鉢という名器を猫の茶碗にしているのを見つけた 旅の骨董商が、なんとか店の親父をだまして、安く 買おうとするが、という噺。場所がどこで時代がい つということまで意識して聴いたことはないし、そ ういうことまで言及する演じ手は少ないが、馬桜は 「高崎から江戸へ向かう途中、時代は明治の初め。 茶店の主人は上野の戦をさけて根岸から移ってきた」 と背景を克明に写する。大店の隠居所があり、通人 が多い根岸住まいというのが、サゲへの伏線になる など、凝り性・馬桜の面目躍如。軽い芸風とも合っ て、小粋な落語に仕上がった。  アサダ二世のマジックをはさんで、トリは伯楽。  「最近の若い女の子。一尺もあるような底の厚い 靴はいて、一尺もないような短いスカートはいて」 とひとしきり新宿の風俗ウォッチングをした後、「 金金金の世の中、ヤダネー」と社会時評。上がりの 時間が早かったのか、マクラが長い。  「道端で五十円見つけたが、上に氷が張っていて 取れない。誰も見てないからいいやと、前をまくっ て小便で溶かした。やったと思ったときに目がさめ て、前はくしょぐしょ」  延々とマクラをふったお終いに、こんな小噺をや るから、「夢金」だと思ったら、なんと「火焔太鼓」 だった。  一門の名人、志ん生の十八番。はて、伯楽の師匠、 先代馬生は「火焔太鼓」をやったのだろうか。聴い た記憶はないのだが。  展開はオーソドックスで、こっちもすっかり覚え ている志ん生のテキスト通り。クスグリもほぼその ままだから、受けるには受けるのだが、力量のある 伯楽だけに、今一つ物足りない。文治、権太楼など、 志ん生とは違う独自の「火焔太鼓」の演じ手がいる のだから、ここは一つ「金原亭の火焔太鼓」が見た いと思った。  五月下席から数えて、「定点観測」も、ちょうど 半年。ようやく下り返し点にたどり着いた。乗りか かった船での航海は、思ったよりも大変だが、その 大変さを楽しむ余裕も少し出てきた気がする。ま、 堅いハナシは後にして、腹の虫を抑えなければ。給 料日前の夕食だから、安くて量がある、アカシアの ロールキャベツに決めた。 たすけ


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