たすけの定点観測「新宿末広亭」

その三十五 番組 : 平成十一年十一月中席・昼の部 主任 : 川柳川柳 日時 : 十一月十九日(金) 入り : 約五十人(一時三十五分入場時) リポート  十一月の歌舞伎座は恒例の顔見世興行。夜の部の 「蘭平物狂」がとってもいいよ、と教えてくれたの は、演劇評論家の依光孝明さんだった。    依光さんは読売新聞で長く演劇評を書いているチ ョーベテランの演劇ジャーナリスト。この道五十年 のキャリアは伊達じゃないのだ。「時蔵いいですね え」「うんあれはいい」なんて会話が、いまいちか み合わないなあと思ったら、僕は当代の時蔵の話を しているのに、あっちは先々代(!)の思い出を語 ってたとか、勘九郎について質問したら「そうそう、 勘九郎が生まれた時は、親父の勘三郎の家にいたん だ」と言い出したとか、数十年の歳月を生きつ戻り つの芸談は、そう本当に面白い。そのうえ大阪の成 駒屋(僕らはガンジーと呼んでいる)とは、もう数 十年も定期的にヒミツの懇談会を開いているらしく、 「芸界裏表、いろんな話を聞いてるけど、全部オフ レコだから教えないよ」なんつー意地悪を言うんだ ぜ。ああ、一度このオジサンのアタマを切り開いて、 中にぎっしり詰まっている膨大な歌舞伎データをの ぞいてみたいなあと思うのだが、見た後アタマを縫 い合わせる術を知らないので、辛うじて我慢してい る昨今である。    その依光さんが「蘭平」の辰之助を褒めている。 辛口批評で知られる人が手放しの褒めようなのだか ら、これは行かねば、イパネマの娘(ベタだなー)。 たまりまくった仕事もそのままに(後がつらいんだ な、これが)、平日の午後四時半という、堅気の会 社員が芝居を見るのには不可能な夕暮れ時、歌舞伎 座の隅っこにもぐずり込んだのであった。  実は僕は、辰之助という役者があまり好みではな い。ドングリ眼に丸い顔、やや舌足らずのせりふ回 しで、大仰な芝居をする。歌舞伎の芯を務める役者 としては、いまひとつあか抜けない。粋じゃないの である。  ところが、そういうヘンケンを持つ僕が見ても、 「蘭平」は良かった。刺激的な舞台なのである。  お話は、まあ、たいしたことはない。ところで、 歌舞伎の芝居、特に時代物には、主要な登場人物が 終盤に来て「現在の姿は仮初めのもの、実は何のナ ニガシである」と正体が現れるという展開がある。 入り組んだ筋を進めていったら、土壇場でつじつま が合わなくなったので、この敵役は実は平家の公達 だったことにしよう、てな感じなのだが、この「実 は」パターンの登場人物が多いほど、筋立てが複雑 怪奇で、まとまりのない芝居であることが多いとい うのが、僕の経験則である。「蘭平」というキャラ クターも、実はナニガシというパターンのひと。と いうわけで、「蘭平物狂」のみどころは、ストーリ ー展開などではなく、主役蘭平の獅子奮迅の活躍ぶ りなのである。  刃物を見ると我を失うという前半の「物狂」、希 代の殺陣師、板東八重之助が考案したというクライ マックスの大掛かりな立ち回り。二つの見せ場で、 辰之助は腰の座った、堂々たる演技を見せてくれた。 大きな目をギロリと動かす見得の切れ味、歌舞伎芝 居では異例とも言える激しい殺陣を、気品を失わず、 渾身の息で演じきった。祖父の松緑が演じ、父親の 初代辰之助(もう十三回忌なんだねえ)が喝さいを 浴びたという「家の芸」が、確実に継承されている。 力演する辰之助の後ろに、四十の若さで亡くなった 初代の姿が見えてくるような気がする。伝承芸とい う言葉を考える上での、格好の芝居なのである。  末広亭へ行ったのは、その翌日の昼下がりだった。 最近は、忙しさにかまけて番組のチェックも怠りが ち。だれが出るんだったっけ、と入り口上に掲げら れた名札をみた。トリは川柳川柳。六代目円生門下 のはぐれもの。伝承芸であるはずの落語で、これだ け師の影響を見いだせない芸を演じる噺家も珍しい のではないだろうか。「蘭平」を見た後に見る、川 柳の「ガーコン」、これもまた面白いなと木戸をく ぐった。  高座に立っている派手な二人組は、漫才の東京二 ・笑子か。ゆきえ・はなこの代演のようだが、笑子 のギター姿を見るのは久しぶりである。「ヨ〜ロレ イヒ〜」とヨーデル調の発生練習をした後で、「ハ ア〜」と民謡を歌い出す。京二のボケで笑わせてか ら、笑子のギター、京二のハーモニカによる「ひば りメドレー」が始まった。音大卒(?)の笑子の豊 かな声量と、京二の軽い個性が生きて、楽しい舞台 である。もとは京二・京太で売れたコンビが分かれ て、それぞれの夫人を相方に再出発した。そういう 事情を知っていれば、どうしても芸協の芝居に出て いる「京太・ゆめ子」と比較してしまうわけだが、 口達者の京太がしゃべくり中心、ちょいと色男の京 二が音楽漫才と、おのおのの個性を生かした芸は甲 乙付けがたい。  「楽屋はみーんな具合が悪くてね、伯楽さんは三 半規管異常で、金馬師匠は胆石、さっきの笑子さん もこないだ手術したし、あたしも糖尿がある。ここ (末広亭)だって、別に仕事できているわけじゃな くて、リハビリなんですよ。励ましの拍手ください ねー」  さん吉が情けないマクラをふって「やぶ医者」へ。 やぶと評判の医者が患者の来ないのに閉口して、飯 炊きの権助を客にしたてて繁盛しているふりをしよ うとするが・・。たわいない話だが、これも柳家の お家芸。一時は寄席でやたら演じられていたという が、最近はあまり聞かないな。  金馬の出は、律義である。舞台に姿を現すとすぐ、 立ったまま丁寧にアタマを下げる。そのとたん、下 手中央あたりのオバサマ三人組が「あらー」とうれ しそうな声を出し、拝むような手つきで拍手をした。 年代からして、小金馬時代の「お笑い三人組」あた りのファンだろう。この日のネタは、「ねぎまの殿 様」。雪の遠乗りに出掛けたお殿様が途中、上野広 小路の煮売り屋で、マグロのぶつ切りと、白黒取り 混ぜたネギを醤油で煮立てた「ねぎま鍋」を食べる。 初めて知った美味を忘れられなくなり、という「目 黒のさんま」冬バージョンのような噺である。ふと 思ったのだが、末広亭の桟敷で鍋をつつけたら楽し いだろうなあ。特別企画かなんかで、やってもらい ないだろうか。  仙之助仙三郎の太神楽をはさんで、中トリはさん 喬。「末広亭」は日本で唯一、いいや世界で、銀河 系で唯一の昔風の寄席なんですよと、スケールが大 きいのか小さいのかわからない導入から、寄席の内 部を片っ端から解説しはじめる。「ほーら、高座に 床の間があるでしょ。菊の花の掛け軸なんて五十年 もそのままだから、ドライフラワーになっちゃって 」。話題は上手から下手へとうつり、「今日のおは やしは、おふゆさん。ノドが良くって、本当に美人。 お見せしたいんですが、うそだとばれので」には笑 った。ご本人の名誉のために言っておくが、おふゆ さんのノドは一級品。さん喬はこの人が下座にいる 時だけ「立ち切り」に歌を入れるのである。  お得意の「短命」では、「夫婦二人で奥の離れに 仲むつまじく暮らしていると、どうして亭主が早死 にするか」という八五郎の素朴(?)な疑問に、必 死でこたえるご隠居さんがおかしい。冬のこたつの 中、夏の浴衣姿と、夫婦仲の良さを、季節感豊かな 情景描写と共に丁寧に、そして色っぽく語って行く くだりは、文芸派さん喬の面目躍如である。   仲入後、朝馬の代演で歌る多が登場。「東京に 十人、大阪に四人いる女流落語家の中で、あたしが 一番きれい」といって、すましている。楽屋のセク ハラばなしで笑わせた後、ネタには入らず、すっと 立ち上がった。  「実はこの後、東宝名人会に出て踊るんですけど、 踊りは最近ごぶさたなので、どっかで稽古しなきゃ と思ってたんです。芸はイキモノの前でやるのが一 番ですからねー」  こんなセリフが嫌みにならないのが、歌る多の味 か。かっぽれのはやしで踊る「桃太郎」が楽しい。  奇術用のトランプを器用に客席に投げて配り、ビ ールのサービスまである、お得な菊代の芸。  次の円菊のあたりで、客席後方に団体が入った。  「どっから来たの〜?え、茨城。じゃあ、茨城の 小ばなしをしましょう」と演じたのが、「ある人に、 男女同権ってなんですかと聞いたら、そりゃあ旦那 さんが茨城県で、奥さんも茨城県ってことだよ」。 別に茨城じゃなくてもいいんですが、と照れながら 演じる円菊がかわいい。ネタは志ん生直伝の「風呂 敷」。  右朝の代演には文楽、ひざがわりの漫才、遊平・ かほりと続いて、いよいよトリの川柳である。後ろ の夫婦連れが「この人、何て読むのな。せんりゅう ・せんりゅう?」と思案している。川柳川柳と書い て「かわやなぎ・せんりゅう」と読むなんてことは、 この際知らなくてもいい。一度見たら忘れられない 芸なんだから。  トリといっても、川柳が何をやるかはわかってい る。「ジャズ息子」という珍品中の珍品もあるが、 これはめったにやらない。いつもやってる「ガーコ ン(歌は世につれ)」を長めに演じて、調子が良け ればソンブレロをかぶって「ラ・マラゲーニャ」を 歌っておしまいである。  常連には当たり前になってしまっているが、これ を初めて見た善男善女は、あず例外なくびっくりす るだろう。「音楽でつづる戦前戦後史」といった内 容なのだが、目をむき声を振り絞って歌う軍歌の数 々、その合間合間に、辛口の文明批評、単なる毒舌 悪口、身もふたもない下ネタがばんばん入って来る。 なんじゃこれは、とあきれつつ、しまいには川柳の ぺースに巻き込まれ、笑いの渦が広がっていくので ある。  では常連がつまらないかというと、そんなことは ない。超マンネリネタのディテールの違い(昭和何 年ごろから歌いはじめるとか、ね)を楽しみ、さら にその上に「川柳の芸に圧倒されながらも次第に笑 いの泥沼にはまり込んでいくビギナーたち」をウオ ッチングするという楽しみまであるのだから。  この日の川柳は自慢の高音にいまひとつのびがな い。本人も気になるようで、前座に水を持って来さ せ、「いや何、病気でもなんでもありません。昨日 飲みすぎただけ」と言い訳をぼそぼそ。  「ラバウル海軍航空隊の歌」に「月月火水木金金 」、軍歌の数はやや少なめで、この日はわき道にそ れ放題。「今までいろいろな芸人が出て来たけど、 私が一番偉い。これ、定説です。今使わないと、や るときないからね」「パフィーの歌が甲子園の行進 には向かないってやつで、随分稼がせてもらった。 おれ、パフィーすきでね、亜美ちゃんのオッパイ吸 いたい!」「あ、おとーさん、今日も来てたの(あ の、紙切りの注文が終わるとさっさと帰っちゃうナ ゾの常連おじさんである)。あしたも来る?こうい う人があと一万人いるといいんだけどね」  はなしはあっちへ行ったり、こっちへ来たり。だ んだん収拾が付かなくなってきたかと思うと、いき なり口ジャズ(口三味線があるのだから、こういう 言い方もありだよね)が始まり、戦後歌謡史に戻っ たりしている。ふと後ろを振り向くと、「せんりゅ う・せんりゅう」と言ってた夫婦がのけぞって笑っ ている。  ラストはやっぱり「ラ・マラゲーニャ」。途中、 しょーもない下ネタ小ばなしが入るのは、「ただ歌 ってるだけだと、アーティストだと思われちゃうか ら」だって。もう勝手にやっててくれ。  ためつすがめつ眺めても、円生のかけらも発見で きない。三遊派に狂い咲いた異端中の異端、ウラ人 間国宝があれば、とりあえずノミネートさせたい芸 だなあと思いながら、どこか哀愁のある、川柳の歌 声をきいていた。 たすけ


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