たすけの定点観測「新宿末広亭」

その三十四 番組 : 平成十一年十一月上席・夜の部 主任 : 桂伸治 日時 : 十一月十日(水) 入り : 三十三人(午後五時五十分入場時) リポート  落語ファンが顔を合わせると、ついつい長話にな る。日ごろ話し相手に飢えているから、やっと見つ けた同好の士を逃がしたくないからだ。  喬太郎はなぜあんなに救いのない噺を作るのかと か、桃太郎はいつも駄じゃれのことばかり考えてい るのだろうかとか、ひまわりや小雪には彼氏はいな いのだろうかとか、こんなピンポイントの話題を一 般ピープルにふったって、会話は成り立たない。そ れどころか、「落語とか漫才とか、なんかジジ(バ バ)くさーい」なんて恐怖と偏見に満ちた視線で見 られかねないからね。普段はフツーの会社員のふり。 まれにコトバの通じる相手と巡り合うと、かき集め た寄席ネタ、落語ネタの暴露合戦になってしまうの だ。  で、この、落語秘密クラブにおける話題の中で、 比較的ポピュラーなのが、「僕は○○の寄席にいっ たんだけど、客が○人しかいなくて」というもの。 ○に中には、好きな地名、適当な数字を入れて下さ い。良い子の落語ファンなら、ほーら、すぐに書き 入れる事ができるでしょ。  僕の場合は、学生時代、初めてか二回目に入った 池袋演芸場だった。もちろん改装前の、である。当 時の城北興行(池袋の経営母体ね)のビルは、正面 が映画館で、演芸場の入り口は裏手にある。簡易プ レハブ物置のようなキップ売り場があって、ここで チケットを買って左手の階段を下りると風俗店に入 ってしまうので、ここは涙を飲んで(?)中央の階 段を昇る。エレベーターなんかないから、足の弱い 年寄り幹部は出演しないという噂をかみしめ、途中 の踊り場で息絶えている老人客をまたぎ(嘘です)、 ひたすら昇って行くと、三階とおぼしき辺りに、演 芸場のドアがあらわれる。  「いらっしゃーい」  伝説の女「松本のおばちゃん」の甲高い声に送ら れて、中に入ってびっくりした。ただ今の入場者数 は、たったの五人。僕を交えて六人の客が、畳座敷 に思い思いの方向に置かれた座いすに沈み込んでい るのである。  おりしも中入り少し前(当時ここんちは、一時間 ごとに料金割引があり、「中入り直前、七百円」を 狙って入ったのである)、ひょっこひょっこと登場 した柳家小三治は、ぴょこんとおじきをしたあと、 ぐるり客席を見渡して言ったものだ。  「うーん、まだ楽屋の方が多いですな」  客が少ない場合、一番悲惨なのは、言うまでもな く、少ない客である。見に来たのか見られに来たの かわからないし、申し訳なくてトイレにもいけない。 そこを出演者に「アメリカンな客席」なんて念を押 されるんである。そんなこたあ、言われなくてもわ かってらい、てなもんである。  結局この日は、アダチ竜一が「高座でやってると さびしいから」と客席に下りて来てマジックを始め てしまい、六人の客が車座になってみたり。客同士、 妙な連帯感が生まれて、トリの勝弥(のちの先代小 勝)だったか、円之助だったかが終わるまで、一人 も欠けることなく、木枯らし吹く荒野と化した客席 を死守したのであった。  今思うと懐かしくも甘酸っぱい思い出だが、もう 一度味わおうとしても二度と巡り合う事は・・・・、 可能なのである。とほほほほ。  たとえば、今夜の末広亭である。中に入ったとた んに寒風がぴゅるるるるーっ。実際に吹いているの ではない。そんな感じを受けるほど、客席が盛り上 がっていないのである。桟敷にはだれもいない。三 十数人の主流を占める一人客が、桂馬の通り道のよ うな変則飛びで、ぽつりぽつりと座っている。そし て、演じ手が一人終わるたびに、こっそり一人、ま た一人と客が帰って行くのである。やばい。まった くやばい。池袋のような(たびたび引き合いに出し てスマン)、満員になっても百人弱といった広さな ら、この人数で十分持ちこたえられる。ところが末 広亭や上野鈴本ではこうはいかない。三十をきった ら、ぴゅううううううううーっ、なのである。  ううう、客の数を数え直しているうちに、高座は どんどん進んでいる。幸丸の漫談が済み、北見マキ の代演、ステファニー(瞳ナナ)が華やかに登場し たが、この間の昼の部であんなにドキドキした網タ イツ姿も、この日の客には大きなインパクトを与え たかったようだ。   栄馬の正月ネタ「かつぎや」も、丁寧な仕上がり ながら、反応が弱い。ううう、ここはプロの客を自 認するたすけの忠義の見せ所である。柳昇の出番で は、率先して大きな拍手を贈る。ネタは「カラオケ 病院」か。これなら歌謡曲も入ってにぎやかだ。盛 り上がって欲しいなあと思いつつ、日月火の三日間、 毎日百行以上の原稿を執筆するという柄にもないハ ードスケジュールの反動が出て、ここであえなくダ ウンである。あああ、しまったしくじった。目を覚 ましたのは柳昇の退場時、盛り上がったのが盛り下 がったのか、皆目わからないじゃないか。  次は頼みのローカル岡。駄じゃれ連発の茨城弁漫 談に期待しよう。  「この間長野に行って来た。東京から七十何分。 近くなったねー。信州そば」  しーん。あああああああああ、いかんいかんいか ん。客席の反応を見ながらギャグのボルテージを上 げていくイロモノ芸は、重い客層ではダメなのか。 「静かだねー」とテレ笑いしながら、東海村騒動の 顛末を、住民側の視点で語っていくが、ふはつのま まだった。  茶楽の代演は、久しぶりの竹丸。派手な黄色の着 物で登場するや、大音声でギャグを連発する。  「サンコンさんが日本でライオンをはじめてみた というから、アフリカにもいっぱいいるでしょうと 聞いたら、アフリカでライオン見た人はみんな食わ れてるって」  「ガッツ石松さんに、太陽はどこから昇るのか聞 いたら、右だって」  「桂というのは、みんな落語家。あっ、桂銀淑は 違うよ」  身もふたもないようなネタの連続なのだが、うけ ようがうけまいがお構いなし。どら声をがなりたて ながらネタを繰り出し、次第に客席のあちこちから クスリと笑いがこぼれて来た。竹丸の見事な力技で ある。  ようやくなごんだ客席に、枝助のかるい芸風があ りがたい。いつものように、世間話のような口調で、 オウムの話を降りながら、すいっと「高砂や」へ。 豆腐屋の売り声の要領で、婚礼のご祝儀を切り抜け ようという長屋のにいさん。「とーふー、いいや、 高砂やー」といいながら、肩に担いだつもりの天秤 棒がいなせである。  夫婦漫才の京太・ゆめ子のネタは「オレは風雲児」。 京太が幕末に生きていたら、時代の風雲児になって、 坂本竜馬の暗殺を未然に防いだに違いないという運 びで、チャンバラになる。元号を言い立てる時の 「文久文治米丸柳橋、歌丸も入れといてやっか」と いうくすぐりが妙におかしい。でもねえ、「机竜之 介の円月殺法」(大まじめ)はないよね。  中入り前は、円輔の「禁酒番屋」。油徳利に酒を 入れて、禁酒の城内に持ち込もうと細工する酒屋の 若い者。いざ吟味という段になって、携帯電話が 「ピロピロピロ」となった。少ない客だから、どこ のだれかは一目りょう然。前方左、三列目の男性で ある。かわいそうに円輔、「油徳利」を「水カステ ラ」といい間違えてしまった。こういうのを見るに 付け、やっぱり携帯電話は持たないぞと思ってしま う。寄席に行ったり、芝居を見たり。仕事はインタ ビューや原稿書きである。携帯電話など使う機会が ないのだ。あるとしょーもない用事で呼ばれちゃう しね。  後半は、小文治の代演、柳桜の「浮世床」から。 口調がいいから、イスに座っての高座が気にならな い。病気のために両足を切断して義足を使ってるな んて、一言も言い訳しないし、その必要もないのだ ろう。芸の力で道を切り開いていく。柳桜に拍手を 贈りたい。  客席が薄ら寒いので、歌六の出番の前にトイレに 行った。帰って来ると、いきなり視界が開けている。 前の三、四人がごっそり帰ってしまったのだ。  「僕の演奏しているミュージカルソーは、目盛り も何もついてない。勘で弾くから管楽器。がははは は」  大笑いを残して歌六が引き揚げていく。この時点 で客席は二十人を切った。いやはや何とも。  桃太郎の連続小ばなしは、いつもだいたい同じだ が、この日はちょっと違った。  「松竹がー、大船撮影所を売り出した。映画はも うダメだね。客が来ないもの。人の事、言えないけ どね」  何度も書くようだが、客が薄い時に、芸人は念押 しのようなことを言うべきではない。一番わかって いて、一番気にしているのは客なのだから。  ともあれ、桃太郎はやっぱり面白い。  「宇多田ヒカルは十六歳で五十億稼いだ。あたし は十五分しゃべって」と、ここで言葉を切って、湯 飲みを持ち上げ、ゆっくりとひと飲み。絶妙の間で ある。  ネタは「結婚相談所」。「アナタの学歴は?」「 東大です」「ストレートですか」「アッパーです」。 ほんとにもう、面白いんだから。  ひざ替わりに喜楽喜乃の親子コンビが太神楽曲芸 を見せてくれる。「お父さまの芸」喜楽が「卵落と し」を鮮やかに決めてから、輪の交換取りに入るが 、娘の喜乃がいきなり輪を落とす。そういえば、前 に話した時「交換取りが一番苦手」といってたなあ。 がんばれよー。  トリは中堅どころの伸治である。厳しいので定評 のある文治一門だけに、安定した話の運び。軽い口 調の江戸っ子がいきいきしている。町内の若い者が、 隣町との対抗上、高価な錦をふんどしのそろいにし て吉原に遊びに行く。身近に文治という、絵に書い たような江戸っ子がいるんだから使わない手はない。 マクラはやっぱり文治のエピソードだ。  「いつも着物姿だけど、アタマの方はおしゃれで、 夏はパナマ帽、冬はハンチングですよ。このごろ、 年のせいか、杖なんかついているんだけど、この間、 交差点で信号が変わりそうになったら、杖を担いで 走っていった」  芸協会長に就任したばかりの文治、まだまだ元気 そうである。弟子の方は、まだまだ師匠の域には届 かないようで、ややめりはりに欠ける出来。ひょう ひょうとした持ち味を生かすためにも、タンカの切 れを磨いて欲しいものである。  追い出しの太鼓で外に出ると、さすがに十一月。 夜風のしっぽがじわりと寒い。猫舌がしゃくで普段 はあんまり近寄らないラーメン屋ののれんを、つい くぐってしまった。 たすけ


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