たすけの定点観測「新宿末広亭」

その三十二 番組 : 平成十一年十月下席・昼の部 主任 : 柳家花緑 日時 : 十月二十七日(木) 入り : 約百人(午後二時入場時) リポート  来月(十一月)の半ばに、素敵なビデオが出る。 「昭和名人芸大全」(全六巻)。NHKの演芸番組 から集めた、色物芸、その中でも飛び切りの珍芸・ 奇芸を集めた文字通りのお宝映像集である。 坊屋三郎、由利徹、牧伸二、そして早野凡平(帽 子、ロープ、パイプオルガンと三本も入ってる!) といったオオドコロ(?)はトーゼンとして、ヘナ ヘナと力が抜けるような波多野栄一の百面相、失敗 しても最後まで頑張る東富士夫の曲芸、踊りながら 背中で鋏を使う小倉一晁などという、夢のような、 いや違うな、「幻の」といったほうがいいか。とに かく、マイナーの極み(ごめんなさい)みたいな芸 人さんたちがバンバン収録されているのである。 あんまりうれしいので、取材と称して(いやいや、 れっきとした取材なのだが)、監修の放送作家、神 津友好さんに話を聞きに行った。改めて言うまでも ないが、神津さんは数多くの演芸番組の構成を担当 してきたベテランで、今回の珍芸のかなりの部分が、 神津さんの手がけた番組からの映像なのだった。 「NHKにある、ありとあらゆる演芸関連番組を 見まくった。何とか六巻に収めたけど、収録しきれ なかったものがいっぱいあるよ」 心残りは、ビデオテープがまだ高価だった昭和三 十年代後半、番組を収録した上からまた別の番組を 録画してしまうのが当たり前だった為、このころに 最盛期を迎えた芸人の映像がほとんど残っていない ことだという。「たとえば、アダチ龍光さん。いく ら探しても、いい映像がないんだよ」と、残念そう だ。 そんな神津さんのお勧め映像は、柳家小さんの百 面相だという。まあるい顔を真っ赤にしての「タコ の茹で上がり」。しょーもないけど、かわいい芸、 ま、人間国宝は今後ぜったいやらないだろうからな。 十一月十七日、ポニーキャニオンから発売。おすす めだよ。 前日の大雨からうって変わって、抜けるような秋 空の金曜日。このところ多忙で休日返上が続いてい たので、無理して代休を取った。ぶらり町に出て、 さあ何をしようと思案していたら、いつのまにか末 広通りに来てしまった。テケツの横を見ると、「本 日、柳家小さん、出演いたします」の張り紙。まさ か百面相はやりはしないだろうが、吸い寄せられる ように切符を買ってしまった。 小さん、花緑のジジマゴ共演の人気か、中年女性 でいっぱいの客席から、明るい笑い声が響いている。 高座は、円菊の代演、川柳が、扇子に書いた歌詞を 見ながら、パフィーの「これが私の生きる道」を歌 っている。 「『悪いわね〜、ありがとね〜』って、これが歌が 甲子園の入場行進曲だよ。こんな歌で野球ができる か!やっぱりここは元気よく、『朝だ、夜明けだ、 潮の響き〜(「月月火水木金金」だ、念のため)』 と行かなくちゃ」  うんうんとうなずくオバサンたち。こういう時の 川柳は説得力あるなー。 小せんの「町内の若い衆」に続いて、ゆめじ・う たじが今席夜の部でも聴いた、新ネタと思しき「サ ンマとカツオ」のうんちく漫才を披露する。細かな 部分、まだ口慣れていないようで、十八番の「うな ぎは和食か洋食か」(このネタ、何て題なんだろう) より、聴き心地(?)が良くない。 仲トリの一朝は「転失気」。「我々噺家が高座 でもよおした時は、客にわかんないように少ーし尻 を上げて、かかとで尻の穴にふたをしちゃうの」と いう、とんでもないマクラに笑っていて、ふと気が つくと、ほのかにトイレのにおいが漂っている。末 広亭ではたまーにこういうことがあるのだが、何も そんなにタイムリーでなくてもいい。噺の方は絶好 調で、さほど面白いともいえない前座噺なのに、笑 いが絶えない。サゲも工夫が凝らされていて、転失 気は杯のことだと、小坊主にだまされていた和尚さ んが「こりゃ珍念、うそをついて恥ずかしくないの か」と怒ると、珍念は平然とした顔で「『へ』とも 思いません」。実力派真打の前座ばなしを聴く、と いうのも寄席ならではの楽しみなのである。 後半は、ほのぼのとした市馬の「たらちね」でス タート。続いて登場の歩くジュークボックス、近藤 志しげるの「小さいころから、許婚」という歌が古 すぎてわからない。 「わかんない?困ったなあ。今日歌う唄で、これ が一番新しいんだけど」と頭を抱える近藤。その言 葉どおり、一曲歌うたびに、「これの五年前の曲で すが」。ギャグとしては面白いのだが、曲名をひと つも言ってくれないので、こちらにモヤモヤがのこ る。演出なのかもしれないが、客を突き放すような 感じ、やや投げやりな口調も気になるのだが。体調 でも悪いのだろうか。 ここからの落語三本が本日のハイライト。 まずは南喬の「花色木綿」。空き巣に入られた男、 実はふんどし一本しか盗まれていないのに、駆けつ けた大家に、夜具布団や上等の着物などごっそりぬ すまれたと虚偽の申告。いちいち「裏は花色木綿」 と繰り返すのがギャグになっているのだが、とんと んとんと調子良く筋を運んだ南喬、「タンスの裏も 花色木綿」と言った後に、「なんだそりゃ。タンス にはゴンっていうんだ」とくすぐりを挟んだ。一瞬 の間が合って、うつむきながら「古いかな」とぽつ り。ごっつい南喬の、恥ずかしそうな顔。場内に温 かい笑いが広がった。 権太楼の「錦明竹」は、童顔を生かした小僧のボ ケぶりが魅力だろう。冒頭、「いいかい、一人で何 かするんじゃないよ。お前は馬鹿なんだから」と言 われた留守番の小僧が、ちょっとふくれてみせる。 小首をかしげて不満気な様子をみせる権太楼の表情 だけで、笑いの渦が広がっていくのだ。 そして、いよいよ本日のトリ。・・・、ではなか った。でも、客席のほとんどがお目当てにしている に違いない、目白の登場である。いつもながらの無 愛想な出。拳骨をそろえて、ちょこんと固いお辞儀 をし、マクラへ入る。 「おい、あそこの黒いの、虫かな?」 「黒豆だよ」 「そんなことはないよ、虫だろ」 「いや、黒豆だ」 「あ、動いた。やっぱり虫じゃねえか」 「「いや、動いたって黒豆だ」 丸い頭を上下へわずかに動かすだけなのだが、こ のそっけないやりとりだけで、裏長屋で暇を持て余 す若い者の姿が浮かんでくる。たいていの落語ファ ンは、この小噺だけで、今日のネタの予測はつく。 「強情灸」である。 最近、目白の周囲に「小さん師匠は、もう落語や らないほうがいい」という声があるという。 「若い人が今の目白を見て、あれが小さんの芸か と思われるのがつらい。ファンは師匠が動いてる姿 を見れば満足なんだよ。人間国宝は拝観するだけで いいんだ」というのである。うーん、この考えは一 理も二理もあるんだけどなあ。今年八十四歳の小さ ん師匠に、全盛期と同じ芸を望むのは無理に決まっ ている。噺の間も微妙に狂ってきたし、「「時々筋 を忘れちゃうことがあるんだよ。ま、何とかごまか してるけど」(これは目白の師匠本人の話。たすけ は、つい最近直接インタビューを敢行したのだ。え っへん)てな状況らしいのだが、それでもまだ、登 場人物が少なく、場面転換も頻繁でない、一人芝居 的な噺、具体的に言えば、「試し酒」とか、この日 のネタである「「強情灸」のような噺なら一級品で ある。時と場所とネタを選んで聴けばいいのだ。落 語ファンから、「小さん落語」を奪わないでほしい と、演芸の神様に祈りたい。 勝之助・勝丸、師弟コンビの太神楽を露払いに、 本当のトリである花緑が登場した。すでに「小さん の孫」という肩書きがなくても通じる、立派な若手 真打ちだが、あえて「小さんの孫」と付け加えたい。 こんなにすばらしい肩書き(?)は、付けようとし たって付くもんじゃない。いつまでも堂々と、名乗 ってほしいものだ。 「昨日は大雨で、雨宿りで入ってきたお客さんば っかし。天気ばかし気にしているから、何言っても うけないの。そこいくと今日は、いいお客さんです ねえ。こんだけ笑ってもらえると、芸人がリハビリ できます」という導入でもう、あちこちに笑いが起 っている。ほんとに良く笑う客だ。 で、トリのネタは「野ざらし」。「太鼓は馬の皮 でできているんです」とマクラで仕込むのは、わか りにくいサゲに対する配慮である。若くて、勢いの ある噺家にぴったりの、陽気なはなしなのだが、こ の日の花緑は、やや先を急ぎすぎた。「年は取って も尾形清十郎・・」という啖呵でつっかえ、「白樺 のような指」(白魚だろー!)なんて言い違いもち らほら。「せりふ噛みながら、何言ってんだよ」な んて自己ツッコミで逆に笑いをとるなど、達者なと ころを見せてくれるなら、噺の本体をもうちょっと 丁寧に仕上げてほしい。可能性にあふれたサラブレ ッドだけに、ついつい厳しく見てしまう。それだけ 客の要求が高くなっていることを自覚してもいいこ ろだと思うけど。じいちゃんの年になるまであと六 十年近くの時間がある。急がず焦らず、がんばれ花 録。百面相は、まだやんなくていいぞ。 たすけ


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