たすけの定点観測「新宿末広亭」

その三十一 番組 : 平成十一年十月下席・夜の部 主任 : 桂文楽 日時 : 十月二十六日(火) 入り : 五十五人(午後六時五分入場時) リポート  「願い事かなわず。大海に小舟でこぎ出すが如し。 今年は自重すべし」  先週末の島根出張、初めてお参りした出雲大社で おみくじを引いて、仰天した。 もう、大変な凶運。ここまで悪いと、「天晴れ」と 褒めてやりたいほどだが、自分の運勢なので、そう も言ってはいられない。ま、今年限定の内容らしい し、おみくじの最後に「旅よろし」とあるのを慰め に、残り数か月、旅先で自重しよう、というわけに もいかないよなあ。  出雲から戻った翌日の土曜日は、会社の早出勤務。 て、寝不足の目をこすりながら、出張期間中の新聞 を読みチェックしていたら、二十二日の朝刊に「興 津要氏、死去」の報が載っていた。  早稲田大学の名物教授。江戸後期、幕末の文学が 専門だが、演芸ファンには、ベストセラー「古典落 語」シリーズ(講談社文庫)の著者と言った方が通 りがいい。目白の人間国宝や麹町の会長と飲み歩き、 昔の懐かし「ペチャカツ」を食べる会を作ったり、 市川右太衛門を担ぎ出して「三日月党」を結成した り、やんちゃで陽気で、少年のようなところがあっ た。僕は、浅草芸能大賞の審査員を一緒にやらせて もらっていたから、毎年何回かは会っていたが、い つも元気いっぱい、つやつやの顔で「おう、新聞記 者」なんて声をかけてもらっていたので、突然の死 が信じられない。いつだったか、台東区役所近くの 「翁庵」で、カレーうどんをおごってもらったこと がある。「ここはね、鈴本の先代が贔屓にしてて、 よく一緒に来たんだ。これが東京のカレーうどんだ って、よく言ってたなあ」と懐かしそうに話してい たのが、昨日の事のようだ。  興津先生は、研究や執筆に疲れると、ふらりと寄 席に入ったという。その寄席通いがどんどんエスカ レートして、「あの先生は、いつ勉強しているんだ ろう」と楽屋で話題になったそうだ。たすけの末広 亭通いも、定点観測スタートの五月下席から数えて 三十一回目。「あのブンヤさん、いつ取材している んだろう」と、どこかで噂になってもおかしくない 状況になってしまった。  さて高座である。みると、ちょうど亀太郎が三味 線を肩に担いだところ。「越後獅子」の曲弾きだ。 亀太郎の三味線はなかなか達者だが、親父さん(故 三亀松)の十八番、あのアクロバティックな芸に迫 るには、もう一味。軽さと余裕がほしいところだ。  えびす大黒、さかじいさん、ぶんぶく茶釜。「ば かばかしくて、やる人がいない」と言いながら、馬 の助の百面相。続く文平は「松山鏡」。人の良さが ストレートに出た二人の芸は、貴重な寄席の潤滑油 になっている。  「鰻は和食か洋食(養殖)か」がおかしい、大瀬 ゆめじ・うたじ。この日は新ネタらしく、「秋の味 覚は、サンマとカツオか」という話で、上りカツオ、 戻りガツオの違いを延々説明する。「蘊蓄漫才」と でもいうのだろうか、独自の路線を開拓して好調で ある。  円弥が「質屋蔵」で端正な芸を披露した後は、が らり変わって、ここと思えばまたあちら、とらえど ころがない、源平のとぼけた漫談。お次は、和楽社 中のテンポのよい太神楽である。どちらかと言えば、 ふわりと軽い芸が多い今夜の番組。物足りないとい う人もいるだろうが、寄席の流れとしては、もたれ ず、たまらず、なんとも心地よい。前半の締めくく 劇の一分野。独り芝居に近いもの」と自説を披露、 いつのながら「生涯学習・文化講座」風の展開であ る。ついついメモをとりたくなってしまうのは、新 聞記者の「職・業・病」なのだろうか。  伊勢丹の地下で買った「天一」の天丼弁当は、二 本入ったエビがうまい。じっくり味わっていたら後 半が始まり、一番手・八朝が出て来てしまった。  「ご来場、御礼申し上げますと、出るやつ出るヤツ 言ってますが、心の底から言っているのは、このア タシだけですからね〜」と笑わせ、「ダイエー対中 日の日本シリーズ第三戦は、今六回表ダイエーの攻 撃中。二対零で中日リードです」と最新ニュースを 流す。この二言で、がやがやしていた客席を収めて しまった。あとの「たらちね」はスイスイ、食いつ きの見本のような芸である。言葉の丁寧すぎる嫁さ んが「自ら事の姓名は」と名乗りを上げたところで、 やっと最後のかき揚げを食べ終わったが、ものを食 いながらの鑑賞はおすすめできない。タレの染みた ご飯粒を、ジャケットのあちこちにこぼしてしまっ た。  アサダ二世の奇術をはさんで、小満ん「三人旅」、 正朝「穴子でからぬけ」と江戸前の落語が続く。小 満んの馬子唄、上手過ぎて馬子が歌っているように 聞こえない。正朝の与太郎、上手過ぎて、前座ばな しを聞いている感じがしない。どちらも達者な芸で ある。  小正楽の紙切りは、おまかせの「相合い傘」の後、 「竜」、「藤娘」を注文で。最後の一枚になって、 客席から「十五夜」、桟敷から「小淵恵三」と、か ちあった。両者譲らず、何度も注文を繰り返してい る。バトルの行方はいかにとみると、小正楽、苦笑 しながら「客席の方がちょっと声が大きかった」と、 十五夜に軍配を上げた。  トリの文楽は「時そば」をたっぷり。そばを食べ る仕種を念入りに演じたので、客席はやんやの喝さ いである。もう十数年も昔の事だが、古い本牧亭の 二階で開かれた小朝独演会で、ゲストの小さんが「 時そば」を演じた事がある。当時の小朝は人気絶頂。 会場前から並ばないと入れないので、とるものもと りあえず上野広小路へ向かった。当然、食い物の補 給をしている暇もないのである。そんなこんなの中 入り後、ちょうど小腹が減って来た時に、絶品の「 時そば」である。小さんがそばを手繰る度に、よだ れが流れ、ぐるぐると腹が鳴る。後にも先にも、落 語を聴いていて、あんなに切ない気持ちになった事 はなかった。  で、文楽の「時そば」。今夜は、中入りに弁当、 それも「天一」の天丼を食っているから、怖いもの なしである。ふふん。「時そば」では、最初の客と、 その真似をするアホな客と、二回そばを食う場面が ある。最初のはうまそうに、後のはまずそうに。こ の食べ分けが見どころだが、文楽は、圧倒的に「ま ずいほう」がうまい(変な書き方だが)。まずいと いう食感にも段階があると思うのだが、文楽のは最 低レベル(褒めてるんだよ)。そんなにまずいなら、 一口食べてみたいなという気になるのである。やや 一本調子なのが気になるが、先代にはないネタと個 性は貴重である。 たすけ


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