たすけの定点観測「新宿末広亭」

その三十 番組 : 平成十一年十月中席・夜の部 主任 : 三遊亭遊三 日時 : 十月十九日(火) 入り : 約六十人(午後七時五分入場時) リポート  締め切りが迫らないと原稿を書く気にならない。 新聞社に入社して二十年、この、物書きの宿命とも 言うべき「原稿引き延ばし症候群」と戦ってきたが、 いまだに克服できないのがシャクにさわる。まあね、 ライターは結果がすべて、ギリギリだろうが余裕た っぷりだろうが、最後にいい原稿ができりゃあいー んじゃないのと格好つけていられる、時たま「どん なヘタクソ原稿でもいいから、締め切りに間に合い ますように」と、金比羅さんでもお不動さまでも、 見境なく手を合わせたくなるようなピンチに見回れ る時がある。  今がまさに「危機」なのではないか、と気がつい たのが実は十月の半ばであった。たまりにたまって こんがらがった取材予定表を必死で解読してみたら、 来週早々締め切りの原稿、これがまだ取材が終わっ ていない。週末をつぶして出張するしかてはないと、 熊本・人吉への日帰り強行軍出張を申請した。さら にもう一本、「締め切り迫るも、取材がまだ」とい う難物を速やかに片付けるため週明けの水曜から出 雲大社町への二泊三日出張を決めた。この間、日曜 を含んで三日間に、熊本取材分と、取材すみのネタ 二つ、計三本の長尺物原稿をものさなけければなら ない。さらにさらに、末広亭定点観測、つまりこの リポートのネタを仕込むため、中席の昼の部、夜の 部を見に行かなければならないだ。  今まで気がつかなかったのが不思議というぐらい のタイトなスケジュールなのだが、気がつかなかっ たのだからしょうがない。先を見たら気が遠くなる ので、まずは目先の取材から、ひとつひとつ片付け ようと、土曜の早朝、五時起きで鹿児島へ飛んだ。  鹿児島空港から高速バスで山をこえ、人吉市へ直 行。午後いっぱいを使って取材をすまし、何にも見 ず、どこにも寄らずに同じルートで空港へ。最終便 で帰って、翌日の日曜に末広亭昼の部をのぞく。ト リまで見たら我が家へ直行して、深夜まで人吉の原 稿執筆。翌日は、午前中から観光関係のながーい記 者会見で赤プリ。ようやく昼過ぎに解放され、急い で帰社して、人吉原稿の仕上げにかかる。日暮れ、 なんとか原稿が完成。一息入れて、人気のなくなっ た夜のオフィスで定点観測のリポート書きである。 火曜日は、午前中に来客二人。午後、翌日からの出 張の宿泊予約などの雑用を片付けてから、取材済み のネタ一本の原稿を特急で書き上げ、七時過ぎに、 末広亭の夜の部に滑り込んだ時には、さすがにみん なくたびれたふうって、私一人ですけど。  ふうう、どうにか本日の定点観測までたどり着い た。ま、自分の怠惰が招いた結果だから、つらいと か大変とかいいません。でも、石川五右衛門はさぞ つらかったことでしょう(BY「強情灸」)。実は まだ、もう一本原稿が残っているのだが、とてもじ ゃないが、今夜中にかけそうもない。あとは、はる か出雲の地の一泊二食六千五百円の民宿でかくしか ない。でもなー、けっこう田舎なからなー、せっか く書いてもさー、メール送れるグレー電話があるか どうかわかんないしねー、携帯電話はもってないし ー・・・。  あああ、そんなこと考えるのはやめよう。今は末 広亭の高座に集中である。・・・・・、それにして も、この土日の代休、とれるんだろうか。考えてみ れば今月は一日しか休んでないぞー。あああ、集中 が集中が。  中程のイス席、中央通路から上手寄り二つ目に座 った客の心中が千々に乱れていることなど知る由も なく(あたりまえか)、高座では、歌六が気持ち良 さそうに、中国メドレーなぞを披露している。  「支那の夜」、「蘇州夜曲」、「何日君再来」、 「夜来香」。歌六が奏でるミュージックソー(のこ ぎり、である)が、胡弓の震えるような音色を見事 に表現して、耳に心地よい。特に「蘇州夜曲」は、 ワタクシたすけの数少ないカラオケなつメロレパー トリー(後は「港がみえる丘」と「東京行進曲」ぐ らいか)だったりするので、思わず口ずさんだり。 いつも居眠りしながら聴いている(ゴメン)のこぎ り音楽が、すさんだ心にしみ入るようである。  寄席名物の「本日都合により代演」が、この夜も ばかに多い。あんまり多いので、さすがにワープロ 打ちの別プログラムを配られたので、以下の出番は、 これに従いましょう。しょうがないなー。  久々の遊之介は「真田小僧」。いまいち覇気のな い語り口がきになるが、子どもが出てくるとが然面 白くなる。童顔と舌足らず、長所にも短所にもなる 特徴だが、今回はマルとしておこう。  中トリは新作派の右紋。この間も聴いた「懐かし のばばあんち」だが、年齢層の高い、男性中心の客 層にはまりにはまった。昭和三十年代の、どういう わけかどこでもババアがやってる駄菓子屋のウオッ チングネタ。「ナカタの都こんぶ」「タジマのあん こ玉」「サクマのドロップ」と、メーカーとセット になったレトロなお菓子を詳細に説明する右紋に、 思わず身を乗り出して聴きいるオッサン客をみてい ると、なんだかあったかい気持ちになる。  休憩時に、伊勢丹の地下で買った米八のおこわ弁 当をせわしなく食べる。ブリ大根に五目おこわ、多 少は栄養のバランスにも気をつかっているのだが、 あまり絵になる形じゃない。こういう時には知り合 いに声をかけられたくないな。  円雀得意の「紙入れ」で、後半の幕開け。音曲扇 鶴の「薄墨」「から傘」で、お腹の中の強飯を落ち 着かせて、本日のお目当て、桃太郎の登場を待つ。  「曙が、結婚して。奥さんが焼きもちやきでね、 亭主を閉じ込めて外に出さない。・・・、あけぼの の缶詰って」  もうすっかり覚えちゃった小ばなしを連発したあ と、相撲ネタ「大安売り」に入る。この人のこのネ タは初めて聴く。上方で修業して来た目のでない若 手取的と、贔屓の江戸っ子との珍妙な会話だけで展 開する小品で、桃太郎のとぼけた味にはぴったり。  「相撲取りがつり出しを知らないなんて、落語家 」が山のアナを知らないようなもんだ」というくす ぐりが興味深い。師匠の柳昇ばりのナンセンス新作 が売り物の桃太郎、目標は円歌の「授業中」なのだ ろうか。  続いての出番は、その柳昇がお気に入りの自作「 カラオケ病院」。  若い落語ファンは、このネタはパロったブラック の「カラオケ寄席」(なんと舞台のはやらない寄席 は末広亭なのである)の方がおなじみだろうが、本 家のネタのなかなか味がある。  患者減に悩む病院が、「患者にカラオケを歌って もらい、うまい人には治療費無料にする」という起 死回生策を打ち出した。  とまあ、ストーリーは、あるにはあるのだが、中 身は柳昇の替え歌カラオケ大会である。  出来ますものは「北国の春」「星影のワルツ」 「昴」に「お久しぶりね」。  「お久しぶりね、エボジが出るなんて」と歌う柳 昇の、気持ち良さそうな顔。親孝行のような気持ち で、一曲ごとに拍手を贈った。  ひざがわり、まねき猫のクリーム地の着物が目に まぶしい。  「代演ですので、私の名前、プログラムにのって ません」とあいさつすると、すかさず前の席から「 のってるよ」の声。臨時プログラムがあるんだよね ー。  勉強家のまねき猫は、毎回違った設定で、動物も のまねを聴かせてくれる。今日は「テレホンショッ ピング」のナレーションで、「今度出たハト時計は とってもお得」などといいながら、「クックー」と 鳴いていく。最近話題のバナナハンガー(文字通り、 バナナをつるすハンガー)にはまっている話や、「 物まねをしても落ちない口紅」がほしいつぎという 話など、つなぎのトークも上々。しかし、若い(?) お嬢さんが、毎度毎度「猫の発情期」で締めくくる のはいかがなものか。師匠猫八の意見を聴いてみた い(二人で発情期の掛け合い、なんてネタもあった が)。  トリは遊三の「禁酒番屋」。よく通る、張りのあ る声が、お酒の代わりにションベンを持っていくと いうマンガチックな展開に実によくあって、笑える。 太い鉛筆でしっかり描かれたマンガとでも言うのだ ろうか。  目をつぶればいつでも寝られる、という最悪のコ ンディションでの定点観測。どうなるかと思ったが、 一度も寝ることなく、声を立てて笑い、手をたたく ことができた。よく笑う、素直な客に助けられたこ ともあるかもしれない。会社をさぼってみる昼席の やましさ、疲れた体でぼんやり見る夜席の沈滞。文 章に書くとあまり良い印象を受けないかもしれない が、これが平日の寄席の魅力なのである。 たすけ


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