たすけの定点観測「新宿末広亭」

その二十九 番組 : 平成十一年十月中席・昼の部 主任 : 柳家蝠丸 日時 : 十月十七日(日) 入り : 約七十人(零時四十五分入場時) リポート  十二日の火曜日、谷中の全生庵で五街道雲助の 「鰍沢」を聴いた。秋本番、三遊亭円朝の菩提寺で 聴く、円朝作の三題ばなし。演じ手は、脂の乗り切 った本格派。落語ファンにとっては、二重、三重の 楽しみにあふれた催しだったが、無粋な邪魔に入っ た。何がって、とにかく暑すぎるのである。  全生庵の広間に集まった客は、プログラムを団扇 代わりに腕まくり。二台のクーラーがフル稼働し、 部屋の隅では蚊取り線香がたかれている。「鰍沢」 よりも「青菜」でも聴きたい、晩夏の風情の中で、 雲助は一人静かに奮闘していた。腹に響く胴間声の トーンを心持ち落とし、ゆったりとしたテンポで、 鰍沢の灰色の雪景色を構築していく。  身延参りの帰り道、大雪で道に迷った旅人がたど り着いた一軒家。亭主の留守を守る女は、女は、か つて吉原の大店にいた花魁のなれの果てだった。心 中に失敗し、色男と山中に身を潜めていたのである。 懐中の金を狙って、女は旅人に毒入りの玉子酒を飲 ませる。しかし、手違いで女の亭主が毒入りの酒を 飲んでしまう。女の計略を知った旅人は、毒消しを 雪片で流し込み、雪の山中へ逃げ出すが、猟銃を持 った女が後を追ってくる。  そしてクライマックス。材木につかまって鰍沢の 激流を下る旅人を狙い、引き金に女の手がかかるー ー。ここで、奇跡が起こった。それまで何度も落語 を邪魔していたクーラーの作動音が、なんと格好の 効果音になったのである。ごうごうとうなりをあげ るクーラーは、そのまま鰍沢の激流の音。時ならぬ 音響効果のおかげで、後はサゲまでまっしぐらであ る。雲助の熱演が、広間の裏手で眠る円朝を動かし たのではないか。帰り道、そんなことを考えながら、 三崎(さんさき)坂を上った。  しかし、夏前から続くバカ陽気。なんとかならな いのか。十月の半ばというのに、紅葉の便りも届か ず、世間にはチョー薄着のおにーさんおねーさんが あふれているのである。季節感、という言葉を初め て真剣に考えたが、柄にないことをするものではな い、数日後にいきなり気温が急降下した。冬物の準 備が間に合わず、夏のジャケットで新宿へ出ると、 薄ら寒い。このまま秋を飛び越して冬になってしま うのか、もう薄着のおねーさんはみられないのか、 末広亭の空調関係のメンテナンスは大丈夫なのか、 不順な天候は日本経済にどんな影響を与えるのか、 混乱するアタマを整理しきれないまま、二千七百円 を払って木戸をくぐった。  日曜日の昼の部。脇に、見入りの良い仕事がある ものが、そっちに流れるのはしかたがないのだろう が、代演と出番変更の連続である。この日、たすけ が観た十四組のうち、プログラム通りに出てきたの はトリを含めて(当たり前か)六組だけ。初めて寄 席見物に来る人が多い休日なら、当日専用の番組表 を配るべきだろう。今回の定点観測は、代演および 出番変更については、いちいち断らない。読む方も 書く方も、こんがらがるだけだからね。  音曲扇鶴が「お待たせしました。あ、まってない ?」といつもの挨拶。続いて、珍しく、文治が浅い 出番での登場である。  「えー、今日は日曜でお客さんも早いし、ここら へんで一番いい男を出そうかって、楽屋で相談がま とまって」だって。  二十年前の末広亭、夜の部の中トリを終えた文治 が外に出たら、当時六十年配のヒイキ客が出待ちを していて、「ロンドンに行こう」と誘ってくる。 「パスポートも何もないよ」ととぼける文 治を、「まあまあ」と連れ出して、キャバレー遊び ・・。そんなマクラで笑わせながら、「ラブレター」 に入る。この噺を聴くと、あの「破壊された顔」で 一斉を風靡した先代痴楽を思い出す。 痴楽というと「つづり方教室」が有名だが、落語と なると、子供の頃テレビで観た「ラブレター」ぐら いしか覚えていないのが残念でたまらない。  新山真理が得意の「血液型漫談」の合間に、十一 月開催の漫才大会の宣伝をする。漫才協団は、顧問 コロンビア・トップ、会長内海桂子以下、晴乃ピー チク、宮城けんじ、春日一球。全部のコンビ名を挙 げることが出来なければ、演芸ファンとはいえない な、という話はさておいて、この幹部連中は、もれ なくコンビ別れした人ばかりである。「これで漫才 協団なんていっていいんでしょうかね」という真理 自身も、「びいどうし」というコンビの相方が結婚 退職(!)したために漫談に転向しているのである から面白い。ギャグの扇子もあり、ちょっとクール な口調で、けっこう面白いのだが、印象が薄いのは、 真理がなかなかの美人であるせいか。ギャグをよく 聞かずに、顔を見ちゃうんだよね。  「いやあ、はっきりしない天気が続きますが、あ たし自身、長年はっきりしない人生を送っているの で、ちょうどいいような」と、本当にはっきりしな い挨拶をする鯉昇だが、落語の方は緩急自在で、実 にはっきり面白い。この日は時間が中途半端だった のか、「時そば」を途中まで。 それでも客席はやんやのかっさいである。鯉昇が下 がったとたん、たすけのすぐ後ろの席のカップルの 女性のが、「今の、漫才じゃなかった、落語でしょ? すっごく面白かった」ととんでもない感想を彼氏に 言っている。思い切りずっこけたが、落語の初体験 が鯉昇というには、幸運な出会いである。良質の芸 に触れて、落語を寄席を、好きになってほしいな。  可楽「親子酒」に、小天華のマジックと続いて、 中トリは柳橋の「風呂敷」。うたい調子の上品な芸 だが、こっけいばなしの時は、声の調子が高くなり、 意外なおかし味が出る。この人のこのネタ、お勧め である。  休憩の後の高座は、小文から。仲入の時にどやど やと入場してきた、年配女性のグループがざわざわ と騒がしく、出てきた小文を指差しながら、ひそひ そ言い合っている。気づいた小文が「えー、アタシ は女の噺家です」と大声を出す。ああそうなの、や っぱりと納得顔の女性陣。元気いっぱい「転失気」 を観ていると、たしかに性別に悩む顔だ。かわいい んだけどなあ。  茨城出身のローカル岡は、東海村関係のネタをば んばん振ってくる。  「納豆が売れないというけど、今年はまだ大豆の 収穫をしていないんだよ。だから去年の大豆なの」 と地の利を生かした話題で、この日一番の拍手。  桃太郎が「ぜんざい公社」で、うまそうに餅を食 っていると、うまそうなにおいがする。芸の力では ない、隣の飲食店の本物の調理のにおいが開け放っ た末広亭の窓からふわりふわりと漂ってくるのであ る。むむむ、これはソース系のにおい、焼きそばか 何かだななどと考えて、落語に集中できないのは、 たすけだけだろうか。両隣が飲食店という立地を考 えれば、窓を閉めて空調をしっかりするというのが、 客への気配りというものだろう。  小遊三の「たいこ腹」、キャンデーブラザースの 太神楽と、おなじみが続いて、いよいよトリの蝠丸 の登場である。  名前の通り、蝙蝠を思い起こさせる痩身。「噺家 より、病院のベッドのほうが似合いそう」といって 笑いをとってきあら、ニンに合った(?)「死神」 を語り出す。円朝作の大作を、気張らず淡々と。客 層を配慮してか、丁寧な描写を重ねていく。  死神が病人のマクラ元にいれば助からないが、足 元にいたら呪文一発で退散させることが出来るーー。 死神から知恵をつけられた貧乏な火消しが、にわか 医者になって大もうけ。ところが、贅沢を覚えたこ の男が、大枚の治療代に目がくらんで、枕元にいる 死神を追い払ってしまう。怒った死神は男を不思議 な空間に連れて行く。そこには数万数千、大小さま ざまのろうそくがともっており、一本一本が江戸の 人間の寿命をあらわしているという。男のろうそく をみると、もはや風前の灯火。火が消えると死んで しまうと聞かされた男が、必死でろうそくを継ぎ足 そうとするが・・。  「死神」を聴く客の楽しみは、まず、死神退散の 「呪文」と、そして、これが最大の興味なのだが、 どんな「サゲ」が用意されているかである。  「死神」に関しては、今まで、いろいろな噺家が、 さまざまな呪文、いろいろなサゲを試している。誰 の型を踏襲するのか、それとも自分で新しいサゲを 工夫するか。こんな興味で聴ける落語は、そんなに は多くない。  で、蝠丸の呪文はというと、これはそれほど面白 くない。  「アジャラカモクレン バイアグラ テケレッツ のパ」で手をポンポン。  問題は、サゲの方だ。蝠丸のサゲは、従来のパタ ーンとは大きく違うのである。  本来「死神」の主人公の元の職業ははっきりして いないのだが、蝠丸は火消しであると、冒頭で強調 しておく。そしてラスト、男がろうそくの継ぎ足し に失敗して、絶命した後、それを見ていた死神がつ ぶやく。  「やっぱりあいつには無理だった。元が火消しだ から、ろうそくの火も消しやがった」  これでサゲである。たすけは、この型を観るのは 初めて。蝠丸の考案か、誰かにつけてもらったかは わからないが、意欲的な工夫である。  ろうそくを消す仕草で締めくくる従来のパターン は、落語のサゲとしては異色である。新しい蝠丸型 の方が、むしろ落語らしい感じがするのである。  落語にはサゲが必要だが、サゲが落語のすべてで はない。たすけ自身も、サゲの分類や分析はあまり 好きではなく、「つまらない」と定評がある「鰍沢」 のサゲも、あれはあれでいいと思っている。ところ が、「死神」だけは別なのである。  男が死ぬのか、助かるのか、男の一人称で演じる のか、死神の視点でサゲるのか。落語好きが集まる と侃侃諤諤である。「死神」という噺の何が、噺家 の創作意欲や観客の好奇心をそれほどまでにくすぐ るのか、今後の定点観測の宿題にしようと決めて、 末広亭を後にする。場内に渦巻いていたソースの焼 けるにおいが、どうして外では気にならないのか。 隣の飲食店前で首をひねっていたら、肌寒い秋風が ぴゅうぴゅうと、意外な強さで吹きぬけていった。 たすけ


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