たすけの定点観測「新宿末広亭」

その二十七 番組 : 平成十一年十月上席・夜の部 主任 : 金原亭馬生 日時 : 十月四日(月) 入り : 約八十人(六時二十分入場時) リポート  天高く馬肥ゆる秋ーー。  書いてて赤面するような文章だが、これが一番ふ さわしいのだからしょうがない。 平成十一年の秋、落語界に奔馬が登場した。十一代 金原亭馬生、晴れの襲名披露である。  上手にNHK、下手に「笑点」、マスコミの名が 入った大きな花束が仁王様のように舞台を守ってい る。 高座中央には、贔屓筋から贈られたのだろう、「馬 生」の文字も鮮やな緑と赤の後ろ幕。楽屋側の障子 前に、益子焼の大皿と米俵、後ろの白い蘭がまぶし い。床の間(末広亭には床の間があるのだ。斜めで 変だけど)の前に、十一代目の地元、銀座三丁目の 「町会婦人部有志」の心ざし、紫の蘭が揺れている。  高座では、馬生一門の今松が「つぼ算」を演じて いる。地味な芸風だが、腕は確か。いつも控え目す ぎるのがもどかしい。  アサダ二世の代演、音曲の亀太郎が三味線の曲弾 きを見せてくれた。父親の故柳家三亀松が得意にし ていた「越後獅子」。三味線を手元でくるりと一回 転、そのまま頭の後ろに担いで、涼しい顔で続きを 弾く。  親父さんの手妻並の鮮やかさには及ばないが、果 敢な挑戦にやんやの喝さいである。  人気者の小三治も本日休演。代わりの権太楼が十 八番の「代書」で、客席をひっくり返した。代書屋 に「ぎれき書」を書いてもらいに来た、「湯川秀樹」 という名のとんでもない客。「生年月日を大きな声 で」と言われ、「せいねんがっぴー!」と絶叫する。 「学歴は」の問いには「コロンビア大学中退」であ る。もう、こわいものなし。勢いでぐいぐい客に迫 る、権太楼落語の真骨頂だ。  円菊の「宮戸川」、勝丸勝之助師弟の太神楽の後 は、お目当て志ん朝の「強情灸」。この時点でイス 席はほぼ一杯。客席の熱気にあおられたか、志ん朝 は快調なテンポで、江戸っ子のやせ我慢を描き出し ていく。  あっと言う間の中入り。すぐに襲名披露のう口上 が始まるのがわかってイから、客があまり席を立た ない。休憩十分、待ちかねたというタイミングで幕 が上がった。  後ろ幕が代わり、真ん中の大きな紋が華やかだ。 高座では、下手から円菊、志ん朝、馬生、伯楽、円 歌の五人が深々と頭を下げている。  位置的には下手の円菊が司会役なのろうが、とく に場を仕切ろうとする感じはなく、左から順番に口 上を言っていく。「先代の名前を継ぐのは大変だよ」 と円菊、「お客さんには宣伝をお願いしたい。今日 はどうして馬生がでてないんだ、てんで一暴れして もらうとか」と笑いを取る志ん朝。  「師匠の教えは、芸は人なり。今の人にはわかり にくいけどねえ」と伯楽が首をひねり、円歌会長が 「俺が新しい円歌なんだとわかってもらうまで、襲 名から十年かかったよ」と述懐する。  淡々と進んだ口上は、三本締めでお開きになる。  「イヨッという掛け声は、祝うという意味なんだ よ」と説明しつつ、円歌が音頭をとる。馬風が司会 役の時はコントのようだという噂だが、今夜の簡素 な口上も、実はちょっとうれしい。「先代」「先代」 という言葉が多いのは、みんなの頭にまだあの十代 目の姿が残っているからで、それだけに当代に向け る励ましに様々な思いがこもっている。    「目黒のさんま」「親子酒」「ざるや」に「笠碁」。 今はなき東横落語会で見た先代の軽く、気品のある 高座が懐かしい。先代のひょうひょうとした高座姿 を思い出していたら、 いつの間にか客席で笑いの 渦が出来ている。小猫の代演、ぺぺ桜井が「禁じら れた遊びをギターで弾きながら、浪花節だよ人生は、 を歌う」という珍芸を披露しているのである。  高座は、爆笑系が続く。ては黒紋付きから小さな 格子へと、着物を替えた円歌が得意の「老人漫談」。 時間の都合か、いつもの「中沢家」までたどり着か ず、「俺なんか五十年近く噺家やって、やっと会長 だぜ。なかなか志ん朝までまわんないよ」とやって、 さらりと降りる。  伯楽の「真田小僧」に続いて、ひざ替わりは、順 子ひろしの漫才。珍しく「矢切の渡し」の気分で、 男女の逃避行を演じるネタである。  「僕の手紙を読んだかい?」  「ええ、でも霧の下関」  「何の事?」  「門司(文字)がかすんで・・」  トラッドなくすぐり、ということにしておこう。  真打ちの出囃子「中の舞」が流れると、客が居住 まいを正すのがわかった。新馬生は、軽い足取りで 登場、両の手をひらり、手踊りのように動かして一 礼である。  いつもの軽い声音で、魚屋のマクラを振る。魚屋 の話?まさか前座ばなしの「権助魚」じゃあるまい しと思っていたら、暮れの大ネタ「芝浜」である。  腕はいいが、酒におぼれて仕事をしない棒手振り の魚屋。女房にむりやり起こされて芝の浜に出かけ、 海の中から皮の財布を拾ってくる。「明日から遊び 暮らす」という亭主を、女房は「夢だ夢だ夢をみた んだ」とだましてしまう。そして三年後の大みそか、 女房は亭主に真実を打ち明け、クライマックスを迎 える・・。   人情ばなしの代表格。桂三木助の江戸情緒たっ ぷりの演出があまりにも有名にだが、馬生は三木助 型の演出をとらず、善人ばかりの長屋に起こったさ さやかな事件といったスタンスで、淡々と話を進め ていく。主人公の魚屋を、人の良すぎる、気の弱い 男として描写しているので、「夢だ夢だ」という女 房の必死のウソを、あっさり「夢かな」と受け入れ てしまう展開を、素直に受け入れる事が出来る。  泥くさい演出は一切なし、大作人情ばなしが少し 小振りになったものの、すっきりした江戸前のはな しに仕上がった。秋の盛りの夜に除夜の鐘を聞かさ れても何の違和感もない。さりげない高座の中に、 新馬生の意気を感じた。 たすけ


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