たすけの定点観測「新宿末広亭」

その二十六 番組 : 平成十一年九月下席・夜の部 主任 : 桂南八 日時 : 九月二十五日(土) 入り : 約四十人(六時二十分入場時) リポート  ここ数年、毎月せっせと歌舞伎座に出かけている。  新聞社の文化部(の隅っこ)で働いているわけだ から、歌舞伎、文楽、能狂言は当たり前として、舞 踊に清元、常盤津、長唄の類までも、出来る限り見 ておくべきだである、とりりしく思ったりするのだ。 しっかし、そうはいっても、実際芝居見物に明け暮 れていては仕事にならない。「いつも芝居とか見ら れて、いい商売だよなあ」と、ジロリ横目で皮肉を 言う上司の声を聞こえないふりで、丸の内線を銀座 で乗り換え東銀座まで一駅、途中ホームを走ったり しながら開演時間を過ぎた歌舞伎座に汗だくで滑り 込むのが実態だったりするのである。  九月の芝居は、夜の部の「石川五右衛門」で播磨 屋が宙乗りを披露し、天王寺屋、播磨屋という中村 会の重鎮をメインに、脇を菊五郎劇団が固めるとい う不思議な面子による世話物「加賀鳶」が出るので、 見たいみたいと思いつつ末広亭巡りと文楽見物と出 張取材にかまけているうち、いつのまにか中旬を過 ぎてしまった。やっと思いでたどり着いた歌舞伎座 内の喫茶店で、三遊亭歌る多、柳家三太楼のご両人 に出くわした。  歌舞伎座で落語家に出会う確率はそれほど低いも のではない。志ん朝、歌丸、円窓、円弥などの芝居 好き、向学心(?)に燃えた若手連中、はては日本 人離れした容貌を着物に包み、三階席で掛け声をか けまくる「歌舞伎座の怪人」快楽亭ブラックなんて のまでいて、客席ウォッチングが楽しめるのである。  「チケットをいただいたり、お客様に誘われたり した時は必ず来ますよ」と、自腹は切らない三太楼 の歌舞伎座通い。「五右衛門のあのにぎやかな芝居 の最中に熟睡できるんだから、只者じゃないわね」 と歌る多が追い討ちをかけたりして。  定点観測の情報収集でもと、さりげなく末広亭の 話題を振ると、  「この前、すごく雨が降った日があったでしょ。 あの時末広亭付近に雷が落ちたらしくてね、ものす ごい音がして、楽屋のテレビがプシュンと音を立て て見えなくなったんですって」  末広亭はひじょーにデリケートな建築物だから、 税務署よりも災害が怖い。現在、若手登用や番組刷 新などで健闘している末広亭が、もしもつぶれると したら、原因は地震雷火事空襲(?)、いわゆる物 理的なものに違いないと、頻繁に通っているたすけ は確信しているのである。  月曜昼過ぎの末広亭、入場時に、外観を仔細に見 ながら「まだ持ちそうだな」と思ったのだが、座っ た席(上手側中ごろの右端)の隣のイスがガタガタ。 あちこちテープで補強されていて、荷物を置くのも 申し訳ない感じなのである。ううむ、がんばれ末広 亭(のイスたち)。  そんなことを考えながら、ふと高座を見ると、遊 三が何と「妾馬」を演じている。浅い出番でトリネ タとは驚きである。近々ホールや独演会で大ネタを かけるのだが、まだくち慣れていないなんて時に、 「ちょっと寄席で稽古しよ」てな具合になるらしい が、おそらく今回もそのパターンだな。さすがに時 間が気になるらしく、細部をはしょってのあわただ しい口演。その分、八五郎が大名の側室になってお 世取りを生んだ妹への真情、といった情感にかけ「 筋だけ妾馬」になってしまったのが物足りない。  続いては、今丸の紙切り。「ご注文を」の声に、 すかさず「花魁道中」と反応したのは、最前列の老 人。リュックサックを持った、怪しい常連さんであ る。  「おや、いつもの方。今日はまとも(な注文)で すねえ」と、苦笑する今丸。じゃあ、いつもはどん な注文をしているのだろう。  「花魁道中」を切り終え、今丸が次の「お月見」 に取り掛かっている最中、例のごとく、さっさと席 を立つリュックの常連。  「あれー、もう帰っちゃうんですかあ」と憤懣や る方ない今丸を振り向きもせず、下手のカーテンを くぐる老人。紙切りのコレクターなのだろうか。不 思議な人である。  円輔の「短命」、夢楽の「青菜」と、同趣向の噺 が続いて、眠くなった眼に、漫才コンビ・Wモアモ アの黄色いブレザーがまぶしい。  ボケ役の小さい方が、相方のツッコミをへ理屈で 返す会話を、二つ三つと繰り返し、  「これって、師匠のWけんじのネタだろう?」  「死んじゃったんだから、ネタだけでも残そうよ」  昨年なくなった「やんな」の東けんじ。レンズの ない伊達メガネを思い出して、胸がきゅんとなった。  米丸の漫談「思い出の銭湯」でお仲入。  新宿の駅ビル「マイシティ」の地下で買った「ラ ンチ弁当」五百円なりをぱくつく。「マイシティ」 の地下は、新宿副都心らしからぬ庶民的な惣菜売り 場で、弁当類も四百円代が主流と格安なのである。 芝居の仲入に食べるのは、ちょいと安直に見えるの が難点だが、メンチカツの妙に懐かしい味がうれし かったりして。  高座も客席もベテランだらけ、という状況で、食 いつきの若手真打ち、平治が目いっぱいの熱演。大 声でぽんぽんと弾む「肥瓶」に、居眠りしていた年 配夫婦が思わず高座を見上げている。元気のいいの は結構だが、「水に浮いているのが冷奴、座布団に 座っているのは歌奴」のクスグリは今時とは思えな い。  「芸歴八十数年」の玉川スミは本日休演。ピンチ ヒッターの音曲師・扇鶴が「代演お待たせいたしま した。…・、あ、待ってない?」にのけぞった。  小柳枝の流暢な「がまの油」。足を痛めた円右は、 前に釈台を置き、自分はイスに座るという珍妙な高 座で、天城の営林署長から聞いたというノンフィク ション「天皇陛下とモリアオガエル」の一席。世間 話のような筋立てより、円右が書いた色紙のエピソ ードが妙におかしい。丹頂を二羽書いて「つるつる」 というグッドアイデアなのだが、誰に見せても「植 物だろう」といわれて、趣向の説明までいかないら しい。  膝代わりは、キャンデーブラザースの太神楽。こ のコンビ独特の芸、傘の上で駅鈴をまわすときの、 「ちりちりちりん」という音がまだ涼しげに聞こえ る。九月というのに、世間はまだまだ暑いのである。  トリの文治は、おなじみ「江戸言葉」の薀蓄をた っぷり。  「男前なんて言葉は大阪弁、長屋の熊さんが使っ たらおかしいのに、そういうこともわかんないやつ が…」と愚痴った後、すっと「長短」に入る。気の 長いのと短いの、気性がまったかみ合わない幼馴染 のやりとりをじっくり語った。とメモしながら、客 席後ろの時計を振り返ると、本題の時間はたったの 十分。名演は時間の感覚を狂わすのだ。  平日の末広亭は入れ替えなし。「長短」が後を引 いて、もう少し聴こうかと思った時、今夜は夜勤当 番であるのを思い出した。午後五時から夜中の一時 半まで、文化部のデスクに張りついていなければな らない。あわてて大手町の会社に戻り、ニュースを チェックしていると、  「落語芸術協会、新会長に桂文治」の報が入って いた。さっきの高座では、文治は何もいってなかっ たぞ。二十数年ぶりの会長交代で、芸協がどう変わ るのか。末広亭のイスはいつ一新されるのか。歌舞 伎座の播磨屋ではないが、  「石川や 浜の真砂は尽きるとも 寄席ウォッチ ングの種はつきまじ」である。ちょっと字余りか。 たすけ


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