たすけの定点観測「新宿末広亭」

その二十四 番組 : 平成十一年九月中席・昼の部 主任 : 橘家円太郎 日時 : 九月十八日(土) 入り : 約九十人(一時二十分入場時) リポート  東京在住の文楽ファンにとって、九月は、心躍る 季節である。  人形浄瑠璃=文楽は、もともと大阪の芸能。若い 大夫がついうっかり標準語をしゃべると、「自分、 なまってるんちゃうか」とつっこまれる世界なのだ からして、ホームグラウンドも大阪は日本橋(にっ ぽんばしと読む、東京の三越があるのは、にほんば し)の国立文楽劇場。東京公演はあくまでも引っ越 し興行だから、年に四回しか催されない。しかも、 二月、五月、九月、十二月というイレギュラーな日 程なのだ。われわれ在京ファンは、この五月から九 月までの四か月間が耐えられない。金と暇があるや つは大阪まで本公演を見にいったり、地方公演を追 いかけるのだが、われわれ堅気のサラリーマンはそ うはいかない。落語研究会などで国立小劇場に行く おりなど、「あああ、ここで文楽を見られるのはい つのことだろう。玉男さんの人形、見たいよー。 清治さんの太棹がききたいよー」といきなり禁断症 状に襲われ、トイレのわきで一人煩もんしたりする のである。  そういうわけで、九月はひっさびさの東京公演に 心うきうき。まして、今度の九月公演は、昨年末に 病に倒れた人間国宝吉田蓑助が復帰する、記念すべ き舞台が見られるのである。いやもう、仕事なんて やってる場合ありません。ここだけの話が。  九月十六日、昼、夜通しの文楽見物である。ホン トは昼夜別々にゆっくりみたいところだが、日程の やりくりが出来ん。暇が出来たら一気に見るちゃう しかないのである。あーしんど。  で、久々の文楽はーー。  思っていた数倍、つ・か・れ・た〜〜〜〜〜〜〜。  これはね、番組構成に問題があるんですよ。昼は 「良弁杉由来」と、復帰の蓑助が出演する「酒屋」。 夜が「ひらかな盛衰記」と「野崎村」。長い時代物 と、ポピュラーな世話物を合わせた、一見バランス の取れた番組のようだ。ところがどっこい、である。 この芝居で客が見たいのは、後半の世話物である。 ファンは「今ごろは半七さん・・」で有名な「酒屋」 のお園を、蓑助がちゃんと遣えるかに注目している し、初心者は話がわかりやすい「野崎村」(黒門町 の出ばやしは、この芝居のクライマックスだ)で存 分に泣きたい。ところが、その前に延々延々延々、 複雑で単調で、人形の動きが少ない時代物を見せら れるのである。これではお目当ての前にへろへろに なってしまう。たすけのような通し見物組に至って は、ばったばったと倒れて、小劇場は屍の山なので あった。いやあ、最後まで見ていた自分をほめてあ げたいぞ。  翌日は、疲れた体にむち打って、さぼった分の仕 事を片付け。そして次の土曜日、末広亭の定点観測 にでかける。好きでやってることながら、ううむ、 さすがにちょっと頭が思い。  末広亭の前で看板を見ると、おお、神はたすけを 見捨ててはいなかった。木の札に書き出された出演 者は、爆笑系が並んでいる。中入り前に権太楼、後 半は小朝とその一門が並んで、円太郎のトリ。これ なら、ガハハと笑って、たまったストレスを吹き飛 ばすことができるのそうじゃないの。  入場料を払って中に入ろうとすると、モギリのお にいさんがくれたパンフに、何やら緑のチラシが挟 まっている。おんやあ、特別興行でもあるのがと思 ったら、本日の出演表だった。さすがに土曜日の昼 席、よそに営業に行く芸人続出で本来の番組表が機 能せず、当日限りのプログラムをすったのであった。 しかし待てよ、上野や池袋ならいざ知らず、今まで 末広亭でこんな「特別」プログラムをもらった覚え はない。こういう休演の多い日は、いっつも、番組 表と実際の出番をニラメッコにながら、結局わけが わからなくなっていたものなあ。こういうことは今 後も続けてほしいものだ。  で、くだんのパンフをみながら、今日の出番を確 認した。ありゃりゃ、御大小朝はおやすみか。その ほかにも、ひい、ふう、みいと・・。ううむ、出演 者の半分以上が変わっているぞ。土曜、日曜には割 りの言い仕事が入るのだろうが、寄席だって普段よ り客がくる。それも、ビギナーが多いのだ。たく始 めて来たお客さんが「なーんだ、寄席って代演ばか りなんだね」くると思われないよう、掛け持ちでも いいから、席に来てほしいなあ。  特製パンフをみながら思いを巡らせている内に、 扇橋の「ろくろ首」と、「演芸界の久米宏」ことメ ガネの音曲師、紫文の「鬼平」ネタが終わってしま った。  ちゃんとみたのは、文生から。「風邪をひきまし てねえ。普段はウグイスが味醂をなめたような声な んですが」。と、そんなに色っぽい声ではないが、 文生のノドには定評がある。得意の民謡を交えなが ら、田園情緒たっぷりの「馬の田楽」などを聴かせ てもらったら、あまりの気持ち良さについうとうと。 「あくび指南」の「秋のあくび」になりそうなのだ がなあと思ったが、今日はネタをやらず、漫談のみ。 体調早く戻して、美声をきかせてくださいな。  あわてて出て来たらしく、ギャグのテンポが合わ ずに苦笑いのぺぺ桜井。  続く中トリの権太楼が、客席を笑いの渦に巻き込 んだ。「噺家の時知らず」というマクラもふらない で、季節外れの「初天神」。お参りに行こうとする 父親に、子どもを連れて行けとねだる母と息子。 「連れてっておやりよ」「おとっつあん、つれてっ てつれてってつれてって」「連れてっておやりよ」 「つっれてってつれてってつれてって」「連れてっ ておやりよ」。のいるこいるの「へーへーほーほー、 よかったよかったよかった」を思わせるような繰り 返しを息もつかせず。ここらあたりで客のたががは ずれたのか、後は何をいっても大笑い。後で元に戻 らないと困るなあと重いながら、つられてバカ笑い である。  仲入り後の食いつきは、市馬の「錦明竹」。ゆめ じうたじの「ウナギは和食か洋食か」でまたまた客 席がわいた後に、玉の輔があがる。見事な坊主頭に びっくり。もともと子供っぽい顔なので、まるでマ ルコメ坊やである。何かしくじりでもあったのだろ うかと、こちらの心配などどこへやら、マイペース で新作「ガン告知」。達者な芸だが、所々に「どう です、うまいでしょう」という作為が見え隠れする のが、ちょいと嫌みである。女性客の多い客席をす っと見て「今日はミスユニバースの予選じゃないん ですか。もっとも予選だから誰でも出られますが」 と笑いを取る呼吸は天性のものだろうが。  小朝の代演は、さきごろ二十年ぶり(?)という 独演会を開いた志ん五だった。「放送禁止すれすれ」 と噂の与太郎を演じなくなってしばらくたつが、 「無精床」をさらりとやってるだけで笑えてしまう。 この人がまゆをピクピクさせるだけで面白いのは、 かつての怪演がこちらの頭にあるからだろうか。  仙之助仙三郎の太神楽でひとやすみ。トリの円太 郎は得意の相撲ネタ「阿武松」を出した。小朝一門 に共通する洒脱な芸風に、独特の線の太さを加えた のが円太郎落語である。豪快な中に、ちらり繊細な 味が隠れていて、聴きごたえ十分。メシを食いすぎ て破門になった相撲志願の若者が、ひょんなことか ら板橋の宿屋の主のひいきを得て再入門、おまんま をいっぱい食べて横綱にまで出世するという痛快談 を、一気に語り込んだ。とんとんとんと語る口調が 滑らかで気持ちがいいが、滑らかすぎて上滑りしな いかと心配になる。要所要所、緩急を付ければ、重 厚さも加わるはずだ。とはいえ、立派な真打ち芸。 もっともっといろいろなネタを聞いてみたい人だ。 たすけ


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