たすけの定点観測「新宿末広亭」

その二十三 番組 : 平成十一年九月中席・夜の部 主任 : 桂文朝 日時 : 九月十四日(火) 入り : 三十七人(六時三十分入場時) リポート  「こんど本出したからさあ、パーティーやろうよ」   考えてみたら酒を飲ます所でしか会ったことがな い、広谷鏡子という友人から、酒の臭いがぷんぷん するメールが届いた。  広谷さんは、某国営放送に勤めるかたわらという か、ほんとはこっちが本職なのだが、小説、それも ジュンブンガクを書く作家である。すばる文学賞を とり、一昨年には芥川賞候補にもなった。こうなる と、次の作品が正念場である。果たしてどんな問題 作をものしたのかと思ったら、ぬあんと今回は小説 ではなく、文楽の、といっても「あばらかべっそん」 でも「味はまろやか」でもない(あえて注はつけん ぞ)、人形浄瑠璃の熱烈おっかけ日記なのであった。 題して「恋する文楽」。気鋭の女流、初のエッセイ 集である。  平成に入ってまもなく、文楽(「べけんや」でも 「四角い顔」でもないぞって、ちょいとシツコイか) というエンゲキが持つ、どろどろの情念や、濃厚な 空気や、泣ける義太夫や、神が宿った人形に魅入ら れてしまい、北は秋田の芝居小屋「康楽館」から、 南は九州大分の湯布院文楽まで、ビール片手に大夫 三味線人形遣いを追いかけまわした実録である。ジ ュンブンガクのジュの字もないが、これがめっぽう 面白いのである。こいつはひとつ、パーティーに駆 けつけなくてはと、のこのこでかけていったのが東 京・青山の隠れ家系のフレンチレストラン・・。  と、まあ、話が面白いのでいくらでも書けるのだ が、これではいつまでたっても末広亭にたどりつか ない。その夜の出版パーティーについて、一言だけ ふれておくと、ゲストに招かれていた若い文楽の技 芸員(芸人とはいわないらしい)がみーんな美形。 中でも、義太夫の豊竹咲甫大夫(フシエモンではな いfrom「豊竹屋」)、太棹の鶴澤清志郎、人形 遣いの吉田蓑紫郎は、「恋する文楽」の中で「ビジ ュアル系」と書かれだけあって、みーんな二十四、 五歳で、すっきり醤油顔で、個性的かつ高そうなフ ァッションに身を包んでいるのだ。そのうえ、会場 の小洒落たフレンチは、彼らの遊び場なのだという。  ここで、ついふり返ってしまうのが、我が落語界 の若手たちである。着物姿こそサワヤカだが、普段 の服装をみると、申し訳ないが??????なのだ。 中にはアイビー、トラッド系できれいにまとめてい るヒトもいるが、こういうのは個性的じゃなくて、 無難なセンというのである。まあ、太縞の背広に五 分刈りなんつーアブナイコーディネートの先輩連中 よりはいいけど。しかし、文楽の若手も、落語同様、 食えないのは当たり前の世界に生きているのだが、 この差は一体どこから生まれるのだろうか。  てなことを考えながら、夜の部開演時間を大幅に 遅れて、末広亭に到着した。高座は、さん喬の「長 短」か。そういえば、この師匠のアイビーはけっこ う様になっている。ボストンタイプのメガネに青い 細縞のボタンダウン、キャメルのチノパンにピシッ とアイロンが利いている。  「拓郎、こうせつ、谷村新司はハシは使わない。 フォークだから」とベタなギター漫談のペペ桜井。  「毎日あひるにタバコを吸わせていたら、ガンに なって飛んでいった」とふって、円弥が「鼻ほしい 」。  「野球や相撲はなくなんない。だけど、おおきな 声じゃ言えないけど、寄席はなくなるかもしれない よ」とシャレにならない、さん八の漫談。  中堅勢が確実に笑いをとって、寄席の流れを作っ ていく(あえてファッションにはふれない)。  そして、のいるこいるの漫才で、この夜の一回目 のピークが訪れた。のいるが何を喋っても、合い方 こいるの反応は「へへへ、ほほほ、よかったよかっ た」。二人のちぐはぐな会話というパターンはいつ も同じだが、今夜は、ひとつ新しいギャグ(?)が 加わった。何を言ってものんこのしゃー、じゃなか った「へーへーホーホー」の、こいるが「謝罪のポ ーズ」をやるのである。これが、猿まわしの次郎ク ンの「反省」のようにうなだれた後、頭の横で両手 を前後にバタバタ動かす。できそこないのアヒルの オモチャのような、とでもいおうか。こいるのギク シャクした動きがなんともおかしい。このアクショ ンが「へーへーホーホー」の間に、何度も繰り返さ れるのである。こうなると話の展開なんて必要ない。 かみ合わない会話とナンセンスな動き。旧態依然の しゃべくり漫才に見えるが、のいるこいるのやって ることは、テレビの若手お笑い陣よりも、はるかに 新しいのである。  円菊の「粗忽の釘」で、お仲入り。客席右高方の 売店で、一年振りの買い物をした。コーラ一本百五 十円なり。  後半一番手は、漫談の名手、しん平。「焼肉屋で タン塩をハフハフ食って、生ビールをグビグビやっ て、うまかった」というような、たわいのないハナ シで十数分引っ張って、客によだれを流させるなん て芸当は彼以外にはできないだろう。今日も同じ内 容だったが、その前のマクラ(漫談にもマクラがあ るのか?)で、客にアンケートをとった。  「月に一度は末広亭に来る人ーー。三人か。んじ ゃあ、一芝居に一度は来る人、いないよね、そんな 人。ハイ、アンケートおしまい」  さすがに手を上げそびれたが、「一芝居に一度以 上来る人」、ここに一人いるんだけど・・・。  アサダ二世の奇術と、金馬の「権兵衛狸」で、意 識もうろう。腕にひやっとかかる水滴で、夢の世界 から引き戻された。なんだなんだ。  ふと気がつくと、派手な音がする。最近、毎日夜 になると雨がふるよね。しかしまあ、東京・新宿の まん真中で、室内で即座に雨に気がつく建物って、 他にあるのだろうか。風流だなあ。  しかし、腕についた水滴は何事だろう。まさか雨 漏りではと、上を見上げて納得した。たすけの座っ た前から八列目左端の席の真上には、換気扇があっ たのだ。あんまり雨が強いから、水滴が逆流してき たのである。ほんと、風流だなあ。  雨音をBGMに、市馬の「牛ほめ」を聴く。雨の ハナシなんぞは一切なし。マイペース で演じられる市馬の与太郎ばなしに、ざわついてい た客が次第に引き込まれていく。  ひざ代わりの太神楽、仙之助仙三郎はお休みで、 ゆめじうたじがピンチヒッター。このコンビと、先 ほど出たのいるこいるの二組が、実は落語協会の番 組を支える、縁の下の力持ちでなのではないか。な らではのネタを持ち、面白くて、さっぱりしていて、 落語の邪魔にならない。たすけの膝代わりも頼みた いぐらいである(どこにでるんだ)。  寄席で聴く雨音に風流を感じたのはたすけだけで はなかったようで、トリの文朝のネタは「茶の湯」。 根岸の里に移り住んだ蔵前の商家の隠居が、むちゃ くちゃな茶の湯で周囲を困らせながら、「風流」を 連発するという、こっけい噺。すっきりきれいな芸 風で、どことなく愛嬌のある文朝には、ぴったりの ネタだろう。無邪気な隠居、気はきくのだがトンチ ンカンな丁稚の定吉、人はいいが見栄坊の三軒長屋 の住人たち。くどくもくさくもないが、つぼを抑え た文朝の演出で、気持ちよく笑えた。  外に出ると、雨上りの風が。これで寄席も、風流 かもしれない。 たすけ


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