たすけの定点観測「新宿末広亭」

その二十一 番組 : 平成十一年九月上席・夜の部 主任 : 春雨や雷蔵 日時 : 九月二日(木) 入り : 約四十人(六時三十分入場時) リポート  定点観測を始めて三か月あまり、まだ余一会をの ぞいていない事に気がついた。  東京の寄席興行は十日単位(大阪の吉本は一週間 で番組が変わる)。上、中、下と十日ずつ三興行で 寄席の一か月が過ぎるのだが、「西向く侍」以外の、 いわゆる「大の月」は、余った三十一日が特別興行 になるのである。余った一日で「余一会」。実にそ のまんまな命名だが、実は末広亭の余一会の面白さ には定評があるのだ。  伝説のお笑いミュージシャン「あきれたボーイズ」 の生き残り、坊屋三郎御大がナマで見られる「ボー イズ・バラエティー大会」。寄席をホームグラウン ドにしている落語、落語芸術の二団体にインディー ズ系(!)立川流の異才を加えた「三派合同新作サ ミット」。みそかではないが、年末恒例の本格古典 の会「さん喬権太楼の会」と「右朝、正朝の二朝会 」。末広亭のミステリー・ゾーンと言われる(たす けが勝手に言ってるだけだが)盆、二階席が開くの は盆と正月だけと思っているアナタは、まだまだ寄 席初心者。余一会の盛況ぶりは半端じゃないのだ。 もしももしも、近い将来、新宿末広亭が(物理的に) 崩壊することがあるとすれば、その責任の何分の一 かは、二階席に詰め込まれてもぞもぞと尻を動かし ているディープな余一会の客たちにある、のかもし れない。中には「余一会しか行ったことがない」と いう人たち(新作ファン、若手応援団に多い)もい るようだが、普段の寄席に来てみなさい。余一会よ りはるかーにオモロイ、ということもたまにはある かもしれないから。やや文末がしりすぼみだな。  八月の余一会、末広亭の興行は「つ花連」だった。  江戸趣味にあふれた言葉遊び、「雑俳」を楽しむ 噺家連中が、「ここらで一発、落語と大喜利の会で も開いて、アガリでいっぱいのもう」という会だな、 こりゃ。でもねー、会の狙いはともかくとして、出 場メンバーをみると、中堅実力派がずらり並んでい る。こりゃあ隅におけないぞと思ったのだが、であ る。余一会というのは、何も新宿だけでやってるわ けじゃないのね。他の東京の寄席、鈴本や浅草や池 袋でも、劣るとも勝らない、じゃなかった、勝ると も劣らない番組を組んでいるのである。たとえば上 野鈴本じゃ、東西の実力派のガチンコマッチ「染丸 権太楼の会」やってるもんなーと、会社のデスクで こっそり「東京かわら版」を見ながら検討に検討を 重ね、浮世の義理などといった俗っぽい理由をも考 慮に入れながら、結局池袋演芸場の「宝井琴柳の会」 に行ってしまったのであった。「つ花連」の関係者 のみなさま、ごめんなさい(ペコリ)。他意はない のだ。今度は必ず行くから、ね。  てな感じの“余一会浮気”が負い目になって、定 点観測の九月上席は早めのパブロン。まだ二日だと いうのに、夜の部の観測調査にでかけてしまった。  おお、今回は芸協の芝居かあ、って、最近は事前 に番組内容のチェックもしていない。だれが出て、 だれが休もうが、全芝居行っちゃうんだから問題な し。木戸をくぐってはじめて、おお、今日はこうい うメンツだったかと、番組の全貌が明らかになる。 なんか博打っぽくって、いいよね。  しかし、出演メンバーの話はともかく、今夜は客 席が寂しい。後で数えたら、それなりに入っていた のだが、どうしてスカスカに感じるのだろう。もし かしたら、客の座り方の問題かもしれないぞ。この 日はどういうわけか、男女ともに一人客が多かった。 当然のことながら、あちこちバラバラに座っている。 二人連れの客もいるにはいるが、こっちはすいてる もんだから、真ん中の座席に荷物や弁当を置いて、 一人置きに座る。客席後方から見ると、まるで目の 粗いハチの巣なのである。たすけもまた、下手側客 席の端に座り込み働きバチの仲間入りである。  舞台では、茶髪のベテラン、北見マキのマジック が始まったばかり。空中からコインを取り出し、バ ケツにガチャンと入れていく(ようにみえる)手際 の良さに、一人おきの客席から「おおっ」とどよめ きが起こった。  舞台に見台が置か運ばれ、女流講談の神田紅がに こりと愛想を振りまきながら出て来た。なんでも飲 み込んでる、粋な姉御といった風情で、本牧亭や日 本橋亭の講談オヤジにはけっこうな人気と聴くが、 間近でみると、なるほど笑顔が色っぽい。ネタの方 もなかな色っぽく、生娘が、高僧と音羽屋の二人を 同時に旦那にして、なんて話だったりして。「延命 院日当(漢字、これでいいのかな)誕生の一席」と 読み終わり、ぱぱんと張り扇をたたく姿がきりりと している。  手慣れた夢楽の「転宅」でうとうと、半農半芸の 芸農人、コントD51の「農業はいいよー、コメは あるけど夢がない」で、すっかり方の力が抜けたと ころで、中トリは柳昇である。このところ、深い出 番で聴く時はかならず新作の「スキヤキ」だった。 今夜ももしかしたら、と思ったら、やっぱしー。 「お客さまの前で稽古させてもらってるんですよね。 ま、客を犠牲にして成り立つ商売はそうはありませ ん」と素直に言われると、「そうかもしれない」と 納得してしまう。息子の進学資金を借りに来た妹に、 何もできない兄が、せめて若い甥に力を付けさせよ うと、自分で食べるつもりだったスキヤキの肉をや ってしまうが・・。  サゲまで無難に語った後、ちょっと息を止めて、 客席の反応をうかがうような仕種を見せる、目を柳 昇の心配そうな目がかわいい。かつての柳昇ギャル ズ(今もあるのか?)は、こんなところにほれたの ではないだろうか。  食いつきの蝠丸が、「酢豆腐」の後半に入る。最 近の寄席では、同工の「ちりとてちん」ばかり聴い ているので、久しぶりのネタである。文楽、志ん朝 の絶品が記憶やテープやCDに残っているから、や りにくいだろうけど、もっと取り組んでほしいネタ である。面白いんだから。蝠丸のサゲは、「これは 何という食い物です?」「通人が食せば酢豆腐」 「じゃあ、あっしらが食ったら?」「腐った豆腐で ゲス」。うーん。やっぱり「酢豆腐は一口に限る」 がいいなあ。  そろいの蝶ネクタイがおしゃれなキャンデーブラ ザース。馬のくつわにつける駅路の鈴を、傘の上で まわす芸が涼しげである。蛇の目の上で、始めガラ ガラいっていた駅路が、傘の回転を緩めると、左右 に揺れながらチリチリチリと可憐な音を出す。  で、次は柳橋の出番だが、代演で何と文治が出て きた。芸術協会の人気ナンバーワン幹部の登場に、 もうけ、もうけと拍手するたすけ。斜め前方、斜め 後方のよったりも、うれしそうにぱちぱちやってい る。「われわれはよく与太郎モノをやるけど、与太 郎っても、年齢だとか、性格だとか、いろいろある んだよ。その区別がわかんないでやってるヤツもい る。ちゃんと教えてないんだね」と、相変わらずの 小言から、与太郎ばなしの「牛ほめ」に入る。文治の 「牛ほめ」を聴くのは初めてだ。新築なった叔父さん の家を誉める、珍妙な口上が聴きどころだが、文治 の描く与太郎は、無邪気で天真爛漫。文治得意のマ ンガチックな爆笑篇よりも、少し優しい、ほのぼの とした笑いが生まれた。  このころから、外は雨。木造の末広亭は、雨足の 強弱まではっきりわかってしまうのが、ま、風情で ある。ざわつく客席にはお構いなく、鶴光が座布団 に座るなりギャグを連発する。  「海外旅行の税関で、観光目的を訪ねられたら、 斎藤寝具店です(サイトシーイング・テン・デイズ) といえばよいと教えられたおばーちゃん。空港で予 想通りの質問をされ、『田中ふとん店です』」  「言葉は一字でも違うと大変なことになる。『あ んた、人間は顔じゃないよ』と言おうとしたら、間 違って『あんた、人間の顔じゃないよ』」  客席の笑いを引きずりながらの「ぜんざい公社」。 押せば押すだけ笑いを取れそうな状況なのだが、逆 にさらりと演じて、すっとさげる。上方落語として はやや“薄い”鶴光の芸風は、東京の寄席にすっか りなじんでいる。  ひざがわりの扇鶴は、得意の都々逸を二つ、三つ。 「春雨に しっぽりぬれる うぐいすの」と、「気持 ち悪い」(本人弁)高音を上げるが、外は色っぽいど ころじゃない夕立である。  トリは、雷蔵の「三方一両損」。江戸っ子礼賛とも 言える、落語版「大岡裁き」を、楷書の芸でぐいぐ い語りこむ。この人、雷門助三といってたころから、 芸協では数少ない骨太の本格派として注目していた。 声良し、タンカ良しだが、芸がかっちりしすぎて、 やや面白みにかけるのが玉にキズか。きっと楽屋で は、こわいんだろうなあ。  「おおかあ食わねえ、たった越前(一膳)」  しょうもない地口落ちだが、能天気な江戸っ子の ケンカばなしのサゲには、ぴったりである。追い出 しの太鼓を後ろに聴きながら、木戸の向こうの雨脚 をはかる。ええい、ままよと、都営地下鉄の駅まで 走ったら、雨よけに頭にのっけたパンフレットがぐ しゃぐしゃになった。 たすけ


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