たすけの定点観測「新宿末広亭」

その十八 番組 : 平成十一年八月中席・夜の部 主任 : 柳亭痴楽 日時 : 八月十八日(水) 入り : 約四十人 リポート  「最近の寄席は、夜の入りが悪いネ。昼は来るん だよ、用のねえ人が。でも、夜はダメ。昼席の入り がいい国立だって、たまにやる夜の部は苦しいもの。 今に五、六年経ったら、寄席の夜興行、やんなくな っちゃうんじゃないの」  仲入後に桂文治が出てくると、こんなマクラを振 ることが多い。  寄席の入りが悪いのは、何も今に始まったわけじ ゃない。「最後の寄席ブーム」といわれる昭和三十 年代の繁盛が終わってから、多少の上下はあっただ ろうが、寄席の入場者はずっと低迷しっぱなしであ る。落語席はまだしも、浪曲、講談は見るも無残。 講談にいたっては、ブームといわれたのが大正初期 ぐらいで、後はずーっと「つばなれ」との戦いであ る。数字的にみれば、今までなくならなかったのが 不思議なくらいの惨状なのだが、実際に足を運んで いるたすけの実感としては、客が多かろうが少なか ろうが、寄席という空間の中には、濃密な芸能の香 りが充満している。姿こそ見えないが、演芸の神様 は、まだ寄席の中に住んでいるはずだという手応え がするのである。  だからたすけは、噺家が入りの悪さを話題にする のが気に食わない。「今日の客席はアメリカン」と、 はすっかいになった円菊がいうのは愛嬌だが、一興 行で何人もの噺家に「客が少なくて」といわれると、 「そんなことはわかってるから、ちゃんと芸をやっ つくれ」とけつをまくりたくなるのである。  お盆過ぎの夜の部。やはりというか、当然といお うか、末広亭の気まぐれなクーラーが、今夜はやけ に利いている。数日前に、浅草演芸ホールの盆興行、 「住吉踊り」の混雑を見た目には、さびしい限りだ。  高座では、みたことのない芸人が、太神楽の「五 階茶碗」を懸命に演じている。細身の黒紋付、今日 はちゃんと昼ご飯を食べたのだろうかと心配させる 風情が、文楽の若手人形遣いに似ているといったら、 どちらが起こるだろうか。めくりをみると、「正二 郎」。おそらくボンボンブラザースの、どちらかの 弟子に違いない。今夜は調子が良いのか、演芸途中 でピースサインを出す余裕。落語協会の勝丸、仙一、 和助に、国立研修生も含めて、若手が増えた太神楽。 これからが楽しみである。  明るいが、やや平板な円雀の「看板のピン」の後 に出た寿輔が、さっそく少ない客数をネタにする。  「われわれの給金は、お客様の入りで決まる。こ のぐらいの人数じゃ、うどんぐらいしか食えないね」 とぼやいている時に、新たな入場者が二人。  「そうこう言っているうちに、うどんが二本入っ てきました」  マジックの小天華の代演、歌六のミュージカルソ ーで一息入れたら、お次もまた代演。小柳枝のピン チヒッター、柳橋が「引越しの夢」をそつなく演じ て仲入になった。  と、たすけの後ろ二列を占領してビールをぐびぐ びやっていた、会社の同僚と思われる六人連れがひ そひそばなしを始めた。  「もう出ようよ」「もう一曲(ママ)みましょう よ」「あれ、はまっちゃったの?」  ただでさえさびしい客席である。若くて女性の混 じっている団体は、この際貴重な戦力である。残っ てほしいなあと思っていたら、どうやら残留の方向 で話がついたらしく、一人が売店につまみを買いに 行った。ひとまず安心。ほっ。  さて、仲入後の一番手は、歌春である。きれいな 姿と、陽気な笑顔。見た目の良い噺家だが、芸のほ うはちょいとクサい。今夜の「短命」のような艶笑 めいた噺の場合は、そのクサさ、くどさが鼻につく。 もったいないなあ。  と、ここで一大事である。歌春が終わると同時に 後ろの六人が帰ってしまった。それにつられたのか、 二、三組のカップルが席をたったので、たすけの周 りはスカスカになってしまった。  こういうときの漫才はつらい。京太・夢子は、栃 木、北九州と、それぞれのお国自慢を張り合う、昔 ながらのネタをかけたが、客席の反応が鈍く、明ら かな苦戦である。  しかし、続く雷蔵ががんばった。きっちりと「花 見小僧」を演じ、かなりの挽回。しかし、夏の終わ りに花見のネタとはこれいかに?「噺家のとき知ら ず」とはいえ、何か事情があったのだろうか。  ほぐれた客席。数は少ないがせいいっぱいの拍手 を浴びて、文治の登場。ところが、マクラは、「夜 席の入りが悪いねー」である。芸協の大幹部という 位置に甘んじることなく、、寄席を休まず、いつも 全力投球。その文治に言われると、いやでも寄席の 衰退に思いをめぐらせてしまう。もっとも、ネタの 方は、今夜もパワー全開。「やかん」の知ったかぶ り男が生き生きと描かれ、やかんの名の由来を聞か れて、川中島の合戦に飛ぶ呼吸、修羅場の小気味良 さに、時を忘れた。  ひざがわりのキャンデーブラザース。六十代後半 の曲芸コンビだが、見た目も芸も若いころと変わら ない。うれしいことだと誉めたいところだが、二人 そろってミスが多い。簡単なところでいきなり鞠を 落としたりされると、みている方がはっとする。心 臓にわるいじゃないの。  トリの痴楽をみるのは一年ぶり。夏場に出くわす ことが多いので、一時、得意ネタの「たがや」ばか り聴かされた。  「よこっちょの戒名をみて、痴楽はこんなやつじ ゃないと言われる方がいると行けないので、挨拶申 し上げますか」と、痴楽襲名の話題から。披露興行 はもう二年も前にすんだというのに。痴楽という名 前の大きさだろうか。  兄弟子の故春風亭梅橋のエピソードを紹介したマ クラが面白い。かつて小痴楽の名で「笑点」に出て いた、あの酒飲みの梅橋である。変わった人だった が、「何々とかけて、何と解く。その心は」という 謎かけの名人で、今噺家が余興などでやってる謎か けの中には、かなり梅橋作品が混じっているらしい。  「新聞の朝刊とかけて、和尚さんと解く。そのこ ころは、袈裟(今朝)来て、経(今日)よむ」  ほんとにうまいや。  この梅橋が亡くなる前、現痴楽が病院に見舞いに 行くと、そのころ流行っていたちり紙交換の車がう るさくて寝られないと怒っていた。それで作った謎 かけが、「ちりがみ交換とかけて、出かかったウン コと解く。そのこころは、ただいま腸内(町内)通 行中」。  「その三日後になくなったから、この『出かかっ たウンコ』が遺作になっちゃった」という。  痴楽のネタは「蒟蒻問答」。蒟蒻屋のオヤジが化 けた大和尚と、永平寺の修行僧の珍妙な問答勝負と いうクライマックスに、すべてのエネルギーをかけ るという、潔い演出が効を奏して、気持ちの良い噺 に仕上がった。痴楽襲名前後、疲れからか、自慢の 大声に張りを欠く高座」が見られたが、いつのまに かすっかり復調。メリハリの良い口調にも磨きがか かっている。こういう人がどんどん寄席に出て、客 がいようがいまいが、ありたけの元気で熱演する。 寄席の沈滞なんて、案外そういうところから、突破 口が見えてくるのではないか。痴楽は、今、聴きご ろである。 たすけ


表紙に戻る     目次に戻る