たすけの定点観測「新宿末広亭」

その十七 番組 : 平成十一年八月中席・昼の部 日時 : 八月十七日(火) 主任 : 春風亭柳昇 入り : 約七十人 リポート  柳昇の著作「寄席は毎日休みなし」を読んでいる。 先月、柳昇本人が末広亭の高座で、「題名は…、え ーと、何だっけ?」と、頼りない宣伝をしていたの が何故か気になってたまらず、読みべき本が溜まり まくっているというのに、ついつい読みはじめてし まったのだ。 「なぜ、『寄席は毎日休みなし』という書名にした かというと、その通りだからです」などという前書 きに出くわした時には、この先どうなるかと不安に なったが、中身は驚くほど生真面目なのだ。柳昇版 「座右の銘」を披露しつつ、賢い生き方、楽しい老 後への指針を探る。「面白くて、ためにならない」 が座右の銘のたすけには、ちと居心地の悪い展開な のだが、柳昇の文章には妙な説得力があって、時折 フムフムと肯いてしまったりして。 文中、「私のような人間は落語家にはむいていない」 という記述に、はっとさせられた。柳昇は、まめで 働き者で、謹厳実直で、軍隊経験に誇りを持ち、そ こで得た規律を今も守っている。こういう人格者 (?)が、ナンセンスの極みのような新作落語を自 作自演する。その落差のようなものが、柳昇落語の おかしさの源なのではないか。「うなぎ書房」とい う、いかにも曲者らしい発行元の第一作、地味だが、 面白い本である。 と、にわか評論家を気取りながら、お盆明け、件の 柳昇がトリをとる昼の部をのぞいてみた。 高座では、鶴光が熱演中。タレントとして、知名度 も人気もある鶴光だが、テレビやラジオではしゃい でいるより、寄席の高座の方が生き生きしてみえる のは、僕だけだろうか。加藤、池田、浅野、福島、 いわゆる秀吉の四天王が、茶席に招かれたが作法を しらない。そこで物知りの細川を頼んで真似をする ことにしたがーー。「本膳」と同趣向の噺だが、た すけは初めて聴いた。 続いて枝助の「新聞記事」。噺は及第点だが、マク ラがいただけない。本題に合わせて時事ネタをふっ てはいるのだが、「臓器移植、すごいねー」程度で は、どこで笑えばいいのか。 どうも評論家気取りが抜けないたすけだが、元気が よかったのはここまで。ボンボンブラザースの帽子 の投げっこあたりでウトウトしだし、調子のよい柳 橋の「狸賽」で意識もうろう。お盆期間中ずっと会 社で仕事をするという、似合わない一週間をおくっ たツケ(?)がここで出ようとは。 桃太郎の代演、夢太朗の「たがや」も、夢うつつで 聴いていたのだが、サゲの伏線にもなる、いろいろ な掛け声を比較説明するマクラからして粗っぽい。 始めに本題の花火の掛け声を披露して、後から歌舞 伎や新派の掛け声を出してくるので、マクラから本 題へのつなぎがぎこちない。などとあら捜しをして いるうちに、目が覚めてしまった。やな客だねー。 久しぶりの玉川スミは、都々逸を二つ三つ聞かせた 後、「東京行進曲」、「並木の雨」、「籠の鳥」と 古い歌謡曲をメドレーで。「年配の客が多いからね、 サービス」と愛敬を振りまくが、おスミさんは御年 七十八歳。おそらく彼女が一番の年配のはずだ。 「二〇〇一年の十月に、浅草演芸ホールで芸能生活 八十周年公演をやるの。八十周年をやる芸人なんて、 だれもいないんだから。来なきゃ、ぶつよ」 おスミさんの長い高座の後は、小遊三の「夏泥」で、 お仲入りだ。 「八月は、寄席が初めてって客が来るから、大事に しなきゃ。常連はいいの、アル中と同じで、きれる と来るから」 下戸のたすけは思わず考え込んでしまった。 後半は、鯉昇の代演、小柳枝の「うなぎや」で幕を 開けた。本来が若手の出番である「食いつき」で、 小柳枝が聴けるのは何か得した気分である。この人 も、柳橋と同じで独特の歌い調子が特長だが、渋い 柳橋と違って、つややかな色気がある。できのよい 高座にぶつかると、聴いてる方までうきうきしてく る。 お彩りの今丸が、「夕涼み」、「ウサギ」、「祭り」、 「サッカー」と、軽快な切っていく。紙切り界の申 し合わせなのか、今丸もまた体を揺らしながら鋏を 使うのだが、膝立ちで大きく揺れるので、見ていて 目が回る。口で説明できないのがもどかしいが、せ めて小正楽のテンポで、といえば、ご常連にはわか ってもらえるだろう。 遊三「子ほめ」、米丸「旅行鞄」と、ベテランの安 定した高座で「紙切り酔い」が直した後は、親子コ ンビ、喜楽・喜乃の太神楽である。見物は、「お父 様の芸」でおなじみの「卵落とし」。長い棒を立て て、その棒の上にガラス板を乗せて水の入ったグラ スを四個置く。その上にもう一枚ガラス板を乗せて 生卵を四つ。「せーの」で、真ん中のガラス板を抜 き取り、上の卵をグラスの上に落とす。書くと長い が、一瞬のスピード芸。何度見ても鮮やかな芸なの だが、一つ気になるのは、毎回卵を落とすたびにグ ラスの水が喜楽の顔に飛び散ることである。「崇徳 院」のカップルほど若くはないのだから、水のたれ ない工夫を望みたい。 さて、お待ちかね主任・柳昇の出番である。もしか したらとは思っていたが、やはりネタは「スキヤキ」 だった。最近ネタおろししたばかりの新作で、爆笑 ナンセンス落語が得意の柳昇には珍しい人情ばなし なのである。 「カミさんにきかせたら、あんたにはこういう噺は 似合わないといわれちゃったんですが、まあ、きい てください」といった後、しばしの間。拍手の催促 かと思って客がパチパチとやりはじめたら、柳昇が 恥ずかしそうに言った。 「いや、その、実はまだ口慣れてないから、すぐに 言葉が出てこないんですよ」 暖かい笑いと、拍手の嵐。ネタが始まる前から、も う人情ばなしが始まっている。 久しぶりに訪ねてきた未亡人の妹。一人息子を大学 に行かせたいが、学費が足りないのだという。自分 の娘の婚礼を控えている兄には、用立てる金がない。 しかたがないので、今晩食べるつもりだったスキヤ キ用の上等の肉をみんな妹にやってしまうが…。 たまたまか、あえてそういう設定にしたのかはわか らない。現代の家庭風景というにはいささか時代遅 れだが、古き良き時代の香りがするホームドラマ。 伏線やギャクの入れ方など、まだ工夫の余地はあり そうだが、好ましい新作である。  「あと二、三十回ぐらいやれば、身についてくる はず。また聴いてください」と、照れくさそうに話 す柳昇。拍手の大きさに気が付いて、後ろを振り向 くと、いつのまに入ったのだろう、イス席はほぼ満 員である。七十九歳にして新境地へ挑戦する、その 心意気に贈る喝采がいつまでも続いた。 たすけ


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