たすけの定点観測「新宿末広亭」

その十五 番組 : 平成十一年八月上席・夜の部 日時 : 平成十一年八月三日(火) 主任 : 古今亭右朝 入り : 約三十人 リポート  会社から末広亭への道は決まっている。 大手町から丸の内線に乗って新宿三丁目。御苑駅寄 りの改札口を出て、プラザビルの地下へ入る。腹ご しらえをする時は、ここのビルの地下二階、鉄火丼 の「鉄っちゃん」でいわし中おち丼を食べるのだが、 今日は土用の鰻で腹がいっぱい、そのまま地上へ出 ると、目の前に伊勢丹がそびえている。右後ろに戻 る形で裏通りに出ると、もう、寄席のにおいが漂っ てくる気になるのは、この裏道が芸人さんの通勤 (?)路だからだろう。  あまりの暑さに耐え兼ねず、栄寿しの向かいの自 販機で「京番茶」の缶をぐびり。たすけの横をすり 抜けていく、トラッドおじさんの顔に見覚えがある と思ったら、楽屋に向かう古今亭志ん五である。は て、今夜は出番がないはずだが。  お盆休み直前の平日の夜、そうだろうとは思って いたが、現実にさびしい客席を見ると、愕然とする。 前三分の一に、客が数人しかいないのだ。番組を見 ると、地味だが、実力派が並ぶ、なかなかの顔ぶれ である。他人様の分まで、しっかり見ようと、いつ になく健気なたすけであった、って、自分でいっち ゃだめだよね。  高座はとみれば、細身の着流しに、一癖ありそう な面立ちの音曲師、紫文が、さのさをやっている。 客の少なさがわざわいして、ひとつ終わっても拍手 がない。たすけが二曲目に手をたたいたら、「おや、 ありがとうございます」とまともに礼を言われてし まった。  だんご三兄弟をもじった「すあま三兄弟」がさほ ど受けず、苦笑いをしながら、いつもの鬼平犯科帳 ネタに入った。  「そのとき火付け盗賊改めの長谷川平蔵が、両国 橋のたもとを歩いていると・・」と、振って追いて、 あとは駄洒落で逃げるという、得体の知れない芸だ が、何度も聞くうちに、楽しくなってくる。不思議 な音曲師である。  伯楽の「あくび指南」に続いて、志ん駒の代演に、 さきほどの志ん五が登場。パンフをガサゴソやって いる年配の女性客の方を向き、「あたしぐらい偉く なると、プログラムに名前なんぞ、出ないんですな」 と笑わせて、「不精床」へ。かつてはエキセントリ ックな与太郎を演じて、寄席ファンの喝采を浴びた。 うそかまことか「疲れるから」という理由で、最近 あのアブナイ与太郎が見られないのが残念だが、こ の人のハナシは、そういった飛び道具がなくても、 実は十分面白い。今月は二十数年ぶりに独演会を開 くという。テレ屋の実力派、もっともっと知られて 良い人である。  笑組の漫才、馬桜の「たいこ腹」と続いて、仲入 休憩である。人口密度が低いせいか、妙に広く感じ る場内を一周していると、後ろの壁に「末広亭友の 会発足のおしらせ」が。  「年会費一万円で、三か月有効の入場券を四枚送 付。特典として、末広亭土産の定番である扇子、湯 のみ、手ぬぐいの三点セットから二点を進呈します」  ううんと、としばらく首をひねっていたが、都内 の寄席で友の会なんてきいたことがない。寄席興行 のポスターだって、毎回作っているのは国立演芸場 だけ(昔昔は末広亭でもやっていた)という現状な のだ。小さな試みではあるが、寄席ファンは「末広 亭の変化」に気づき、にんまりすることだろう。    気分を良くした後半戦、「猪牙(ちょき)で行く のは深川の」という歌にのって、燕路登場だ。寄席 ファンに親しみ深い「深川」が出囃子なら、芸も明 るくわかりやすい。ただ、この日の「短命」は、も うちょっと色っぽさがほしかった。  ここのところ、浅い出番が多かった「人間カラオ ケ」アコーディオンの近藤志げるが、西条八十の名 曲をメドレーで。「こんな良い歌を作った人が、戦 後、戦犯で絞首刑かと報じられたんですよ」  軍部の要請で戦意高揚の歌を多数作った中に「出 て来いミニッツ、マッカーサー。出てくりゃ地獄へ 逆落とし」があった。で、戦後、本物のマッカーサ ーが乗り込んできた、というわけなのだそうだ。難 しい話はともかく、普段、川柳の「ガーコン」で聞 いてた歌にこういうエピソードがあったとは。  たすけがマニアックな感想にふけっているうちに、 近藤の高座は進み、「ただ一人、軍がいくら頼んで も、頑として軍歌を作らなかった詩人がいる。野口 雨情ですよ。これから、野口の話に入るんだけどね、 聞きたい人は明日も来てね」と退場する。雨情研究 のライフワークにし、「僕は雨情になりたい」と公言 する異色の芸人。ほんとにこの後が聴きたいのだけ れど。  のんびりした扇橋の「ろくろ首」。与太郎にろく ろ首を説明するのに、「体は三越で、首は伊勢丹」 というのが、いかにも末広亭の高座である。のんび りゆったり、やさしい芸に和んだ後に、爆笑系の歌 之介を配すのは、うまい構成である。鹿児島弁を隠 しているせいか、やや平板で硬質な、独特の語り口 から速射砲のように繰り出されるギャグは、客が多 かろうが少なかろうがおかまいなしだ。とにかくお かしい。  「みなさん、健康が第一です。健康さえあれば命 なんかいりません。」  「牛乳飲んでる人より、牛乳運んでる人の方が丈 夫です」  「女の人は本当によくしゃべる。口に万歩計をつ けましょう」  「僕の後援会長は金持ちです。豆腐屋なんですけ どね、一日の売上げが七兆(丁)なんです」  文字では伝わらないおかしさ。歌之介のような芸 人を見ると、ライブは一期一会なのだなあと実感す る。  膝代わりは、和楽小楽に弟子の和助を加えた太神 楽。色とりどりの傘の上で、鞠と、金輪と、升がグ ルグル。陽気な芸をみながら、フィナーレ=トリを 聴く心の準備をしようと思ったが、意外に短時間で 終わってしまった。  「毎度お古いところでございます」と、古風な挨 拶から、いきなり、  「宝暦年間に、      腰元彫りの名人で浜野矩安という・・」  大作も大作、講釈種の「浜野矩随」である。名人 だった亡き父の後をついではみたものの、一向に腕 が上がらない矩随。河童を彫れば狸になってしまう。 唯一の庇護者までしくじって、死のうと決意した矩 随に、母親が「死ぬなら私に形見を彫ってくれ」と 懇願する…。  「カッパダヌキ」以外には笑いどころのない噺。 真面目に取り組めば取り組みほど重苦しくなる、損 なネタなのだが、意外や、演じてみたいという噺家 は多い。自分の腕がどこまで上がったかを測るには、 格好のバロメーターなのかもしれない。  で、右朝の「浜野」。この人はいつもそうだが、 けれんもなにもない、無骨ともいえる正攻法である。 ところが、この人は、大家の若旦那風の品の良さと、 流暢な語り口という武器があるため、その不器用さ が目立たない。本人が狙っている以上に、粋な仕上 がりになるのである。ただひとつ、気になるのは、 たとえば「ねずみ穴」のような、人間の業のぶつか り合いといった深刻な話になると、粋な芸風が災い し、上滑りな印象を与えてしまうことである。  「浜野」は、良い出来だった。何通りかある結末の うち、最後に母親が自害してしまうという、最も後 味の悪い展開を選びながら、丁寧だが軽く流れるよ うな口調で、その後味の悪さをさほど意識させない。 古風な芸談として、納得させてしまうのである。四 十分、たっぷり演じたが、時計を見ると、いつもの ハネの時間と変わらない。膝代わりの短さは、ここ まで計算に入れてのことかと、和楽の丸い顔を思い 出した。 たすけ


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