たすけの定点観測「新宿末広亭」

その十四 番組 : 平成十一年七月下席・夜の部 日時 : 七月三十日(金) 主任 : 橘ノ円 入り : 約八十人 リポート ううう、またまた楽日に滑り込みである。 昇太トリの昼の部を早々にクリアし、今席は楽勝と 安心していたら、鹿児島出張を忘れていたのだった 。いやもう、二十九日の夜に帰京し、翌三十日、デ スクにたまった書類の山をばばばっと迅速かつテキ トーにさばき、ふうふう言いながら末広亭の木戸を くぐったのが午後七時。いやあ、危なかったー。  汗を拭き拭き高座を見ると、たすけの苦労など知 るわけもない笑三が、甲高い声を撒き散らしながら、 いつもの一分線香即席ばなしである。  「隣の空き地に囲いが出来たってね」「へー」  「隣の空き地に塀が出来たってねえ」「かっこい ー」  反応のない客席をぎょろりと見まわした笑三、下 手桟敷の先頭にいた若いカップルに目をつけた様子 で、やおら解説を始める。  「おや、今の小噺、きいたことがないですか?こ れはね、地口・・、だじゃれ・・、ボキャブラ・・ 、うーん、おわかりがない」  大真面目に、ここまでやられちゃ笑うほかないか。  「ほら、あっちで前座さんが、持ち時間おわりっ て合図してる。あたしの落語はこれからがおもしろ いんだけど」  いつも通りのサゲで笑三が高座を降りる。、入れ 替わりに出てきた柳橋がすかさず、「これからが面 白いって、あの人、あの後知らないんですよ」。  爆笑の中、何もなかったように「錦の袈裟」へ。 笑三同様、いつもと変わらぬうたい調子が心地よい。  北見マキの代演は、自称「ノコギリスト」の歌六 である。舶来のミュージカルソーをまたにはさみ右 足を揺らす、独特のスタイルでオカッパルの「あこ がれのハワイ航路」を。  「貧乏ゆすりが出来ないと、ビブラートがかかん ないんだ。もっとも、両足同時には揺らせないけど ね」  たすけはこの人の落語、聴いたことがない。もう やらないのかなあ。  残念、中トリの鶴光も代演で、ピンチヒッターの 栄馬が「八五郎出世」の半ばまで。殿様と対面した ところで切っちゃったら、テーマも何も伝わらない。 せっかくの名作、こんな形での口演は、もったいな い気がするが。  休憩が終わって、食いつきの好円を待っていたら、 おいおい三人続けて休演だって。代打の小文は開口 一番、「女流落語家です。言わないとわかんないか もしれないから」。これを聴いて、前の座席のカッ プルがのけぞっている。ほんとに気がつかない人が いるんだな。 「たらちね」の、言葉が丁寧過ぎるという女房のせ りふを、極端な芝居口調にした演出が新鮮である。 新夫婦の漫画チックなやりとりが、小文の欠点であ る、会話の間の悪さをうまく隠している。  やっと正常な番組に戻って、ローカル岡のだじゃ れ漫談。  「長野が近くなったね。七十九分だって。信州そ ば」  岡の売り物である茨城弁は、方言よりもイントネ ーションで笑わせるわけで、字に書いちゃうと、い まいち雰囲気が出ないのがもどかしい。  白い着物に袴をつけた文治が、りりしくて、かわ いい。  「円朝祭、なんであんなに入るのかね。千四百人 だって。あそこに来た客は、きっとああゆうとこだ け行くんだろうな」とぼやいて、上手がわにぽっか りできた空席地帯(?)をにらんでいる。  この日のネタは「義眼」。他人の義眼を間違って 飲み込んでしまった男が便秘になった。内視鏡で男 の尻の穴を診察していた医者が「ギャッ」と叫んで 逃げ出す。「先生、どうしたんですか」「いやあ、 あっちからも誰かが覗いてた」  くだらなすぎて、かえって好感を持ってしまうよ うな落語を語り終えた文治、何を思ったか、舞台に 一つ、見得を切って、さっそうと帰っていく。場内 大爆笑。円朝祭ではこうはいかない。  で、お後が、緑の地に銀の刺繍が入った「あまが える」ファッションの寿輔である。今夜は十分楽し んだ。さて、寄席がハネた後は、何を食べようかと、 お帰りモードになっていたら、珍しいものを見てし まった。  ヒザ代わりの太神楽、喜楽・喜乃。親子の息がそ ろい、安定感のあるコンビと思っているのだが、こ の日の喜乃が大乱調。たてもの芸の「五階茶碗」は 無難にこなしたが、ラストの輪の取り分けで、いき なり輪を落とした。平気な顔で続ければ、ご愛嬌で すむのだが、真面目な喜乃は動揺したらしい。やり 直しの始めから、三つの輪があっちへ行ったりこっ ちへ来り、何度も失敗を繰り返し、終いには相方の 喜楽まで調子が狂い輪を落とす始末。「出来るまで やります」とにこやかにフォローする喜楽。「がん ばれよ」と喜乃を見つめる客席。何度目かのトライ でからくも成功。「どうもお騒がせしました」。恥 ずかしげな父娘を、暖かい拍手が包んだ。  和んだ空気の中に、トリの円が笑顔で登場。  「しかし、今時、父親と一緒に仕事しようなんて 娘はいないよね。あのオヤジが一番幸せだ。でもね、 喜乃ちゃんも年頃だから、今に良い男が現れて、世 界一不幸な父親になるんだ」  今日が乗ったのか、昔話をぼそぼそ。小学校の四 年生から酒を覚え、中学時代は酒なしでは寝られな いほどに。先輩の桂小金治(モーニングショー、懐 かしいね)の留守宅で、雪中梅を一本飲んでしまい、 次にまた留守宅を襲った際、一升瓶に「飲むな」と 書いてあったーー。酒飲みのエピソードが続くので、 当然酒の話かと思ったら、この夜のネタは、「強情 灸」。志ん生流の「峰の灸」ではなく、「上へ上へ とすえていく」地味な小さん型である。中ネタだが、 盛りだくさんの番組を締めるのには、ちょうどよい 軽さ。寄席の流れを知りぬいたベテランの味だろう。 喜乃ちゃんはこの後稽古かなと考えながら、外に出 る。新宿三丁目の裏道には似合わない涼風が、寄席 の隣の焼き鳥屋の煙を吹き飛ばした。 たすけ


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