たすけの定点観測「新宿末広亭」

その五 番組 : 平成十一年六月中席・夜の部 日時 : 六月十四日(月) 主任 : 春風亭柳橋 入り : 約五十人 レポート  週末の三日間、能登半島の先端の町、珠洲へ旅ルポ を書きに行った。データベースで過去の関連記事をあ たってみると、能登の旅ルポは意外に見つからない。 特に上半分ときたら、もう何年も取り上げられてない じゃないの。これは穴場かもと、出かけてみたら、行 く途中のローカル線で、早くも取材が少ない理由が判 明してしまった。おっそろしく遠いのである。  JRを使って東京から金沢までが約三時間なのに、そ の先金沢から珠洲までが同じぐらいかかる。ワンマン 一両編成、単線の「のと鉄道」に乗って駅の数を数え たら、四十近くあるのだった。かわら屋根のくすんだ 集落、濃淡の緑がぎっしりの森、眠っているように穏 やかな海。延々と続く繰り返しの中で、ふと通過する 駅のホームを見たら、「阿武松緑之助の碑」という文 字が目に入った。駅の名は、「うかわ」である。  能登の国鳳至郡鵜川村、阿武松緑之助という、相撲 道が開けて六人目に横綱となる男が、敷居越しにおじ ぎをしているーー。落語「阿武松」の、あの愛すべき 大飯食らいの故郷なのであった。二百数十年後の現代 でもまだまだ遠い、江戸へ上るはるかな道をたどる、 若き日の阿武松の姿が、夏近い陽光の下に幻のように 浮かんだ。  能登から帰って二日目にはもう旅ルポの締め切り。 綱渡りで原稿を書いて、夜の七時過ぎ、末広亭の客席 後方に滑り込んだ。ショートカットのお茶子さん(こ この女性スタッフは、どういうわけかみんな短髪だな) は、椅子から立ちあがりもせずに下手側の客席を指差 す。そりゃあ、すかすかの場内だから、それで用は済 むのだろうが、できれば先に立って誘導してもらいた い。それが、末広亭の風情というか、芝居興行を見に 行くという行為の古風な手続きとなるのだから。  空中からコインを掴み取り、バケツにガチャンと落 とす。北見マキの寄席には似つかわしくないほどにお 洒落なマジックに続いて、中トリの夢楽が登場。よく いえば重厚な、時にもたついているようにも感じるス ローテンポの話し方だが、聞きこんでいくと、のろい ながらもきちんとタンカがきれる。江戸前の芸なので ある。  この日の「転宅」も、けっこうな出来だったが、話 の途中に「リストラ」とか「プロレス」などと、中途 半端な現代語が入るのが気になる。いつの時代だがわ かんなくなっちゃうし、クスグリとしても笑えない。 もうひとつ、サゲの「あのお梅ってなあ、いったい何 者なんです」「もとは女講釈師とか」「どうりでうま く語られた」は、ないでしょー。講釈師なら「語る」 ではなく「読む」だもんね。ここは素直に、女義太夫 でやるべきだとおもけど。  休憩の後の出囃子「あの子はだあれ」が流れた。出 番を繰り上げた寿輔が、黄緑の地に銀色の刺繍が入っ たド派手な着物で、客席を驚かす。両側の閑散とした 桟敷をみて、「三対三ですね」と笑わせ、野球ネタの 漫談に。やすこ・ひでやの代演、美由紀が大津絵「両 国風景」をパロった「ディズニーランド風景」(柳昇 の台本らしい)。  今日の仲後は、にぎやかな高座が続く。笑遊が「名 前のアタマに『お』の字をつけないように。最近アタ マが薄くなって、薄口笑遊」と振ってから、「がまの 油」。夢丸代演の笑三が、おなじみの甲高い奇声を発 しながらの元気な高座。「実はワタクシの高座、これ からが面白いのだけれど」と言いながら退場した。  続くは喜楽喜乃の太神楽。安定感が増した喜乃の五 階茶碗をい見た桟敷の客から「ええ娘さんで、幸せじ ゃのう」の声が。しばし絶句する喜楽の微苦笑が面白 い。  最後は、柳橋の出番だ。中トリの夢楽と同様のスロ ーペースで、ゆったり、歌い上げるような調子が、ネ タによって長所にも短所にもなる。  いきなり「本日はあたしでおしまい。せいぜいやっ ても二十分ぐらいだから、このくらいの我慢ができな ければ、何をやってもうまくはいかない」。  とぼけた口調がおかしい、おかしい。  能登の暑さを思い出し、「阿武松」でもやってくれ ないかなあと思ったら、暑さは暑さでも「青菜」であっ た。夏到来を感じさせる、季節感が命のはなしである。  植木職人を相手に、縁側で到来物の「柳影」を飲む「 お屋敷の旦那」は、柳橋の柄そのもの。それに頼って、 やや細部への目配りが足らない気もするが、けだるい 夏の午後の雰囲気は十分に伝わる。腕がいいのか噺が いいのか。  寄席がはね、前回から気になっていた、まん前のう どんやに入ってみた。天丼とうどんのセットを頼んだ ら、「すんません、油を落としちゃったんで」。何で も日刊ゲンダイで、ここんちの天丼セットを取材に来 たそうで、「ほんとは食べてもらいたいんだけど、こ んどまた来てくださいよ」だって。仕方がないので、 親子とうどんのセットに変更。入れ放題のとろろ昆布 と天カスを、ぶわっと放り込んでかっこむ「ぶっかけ うどん」の冷たさが心地よい。「そりゃあアナタ、あ たしの『青菜』を聴いて、口の中に熱があるからです よ」という、柳橋の声が聞こえてきそうな、夏の味だ った。 たすけ


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