たすけの定点観測「新宿末広亭」

その3 番組 : 六月上席・夜の部 日時 : 平成十一年六月四日(金) 主任 : むかし家今松 入り : 約五十人 レポート  今日は寄席に行くか行かないか、行くならどこの 演芸場がいいか。こういう時、何を基準にするかと いうのは、なかなか微妙なものがある。たすけの心 は、いつも千路に乱れるのである。  たとえば、日本橋亭と広小路亭、いわゆるひとつ の永谷の寄席の場合はどうか。今日は疲れているか ら、会社のある大手町から一番近いとこがいいや、 てな理由が一番多い。なんたって半蔵門線で一息だ からね。疲れているなら、帰ればいいじゃん、と言 われると、その通りなのだが。  それから、池袋の場合。ここの寄席は、今を去る こと二十数年前の貧乏学生時代、「中入後五百円」 なんつー涙モノの割引にお世話になっているので、 寄席そのものに思い入れが強い。しばらく行ってな いと無性に恋しくなるので、番組も確認せずに「今 夜は池袋!」と確信犯でいっちゃうのである。番頭 の進藤さんの短髪も、たまには見たいしね。  ついでに国立演芸場。ここはただ券をもらった時 かな。昼席中心だからめったにいけないからなー。  のこりは、上野鈴本と新宿末広亭。この二軒は、 ずばりトリでみる。お気に入りの師匠か、気になる 噺家、まれに浮世の義理なんてのもあるが、とにか く、トリの落語を聴きに行くのである。お目当てが 出てくるまでは、落語、落語、色物、落語、仲入― ―という、寄席の流れに身を任すだけ。なぜ上野と 新宿なのかと問われると答えに困るが、それはこの 二軒の小屋に流れる濃密な寄席のにおいというもの のせいなのかもしれない。  で、本日六上(ロクカミと読むのだ)のトリは、 むかし家今松である。ふーん、あんまり印象がない なあ。十代目馬生に入門、八一年二ツ目名の今松の まま真打――と、東京かわら版の「寄席演芸年鑑」 を呼んでいるうちに思い出したのだが、たすけは、 この今松を二ツ目時代から何度か聴いていたのであ る。それなのに、それなのに、どんな顔で何を話し たか、さっぱり記憶にない。そうそう、この間、せ んべいこと東京かわら版・大友浩編集長&妙齢の女 性三人と神保町で飲むという結構な集まりに参加し た際も、「雲助師と今松師は、自分から売り込むと いうことをしないんだよね」というせんべい氏の話 を聴きながら、必死で今松の顔を思い出そうとした のだった(結局、思い出せず)。  ただ、それほど印象の薄いわりに、落語はきちん としてたという記憶があるのは、どういうわけか。 今日こそ今松の秘密を解き明かそうと、力んで木戸 をくぐるたすけであった。  いつも通りの途中入場。高座では、小正楽が紙と ハサミを持ってゆらゆらと揺れていた。この日のお 題は、「すずらん」「水芭蕉」「横綱土俵入り」。 「雲龍型です」と完成品を見せられても、たすけに は不知火型との区別がわからない。これで両国幼稚 園OBとは、笑わせるもんだ。われながら。  続く右朝の流暢な「権助提灯」で、もう仲入だっ て。もうちょっと早くこないと、「定点観測」が看 板倒れになるなーと考えながら、客席後方をうろつ いていると、売店の脇で珍物発見!四つ並んだ長細 い提灯に落語家の名前が書いてある。左から順に、 小さん、志ん朝、談志、小南。なんと家元の名入り 提灯が末広亭にあったとは。立川流独立後も、家元 は寄席に形見を遺していたのである。こういう発見 があるから、寄席通いはやめられまへん。  トトントトンと太鼓がなって、食いつきの円太郎 が「もっと寄席に行こう」という啓蒙(?)漫談、 続いて小正楽と出番を入れ替わった仙之助仙三郎が、 傘、鞠、花笠と安心印のいつもの芸を披露した後は、 落語が二本続く。実はこのあたりの出番に、意外な 掘り出し物が多いのだ。  今夜の収穫は、正雀の「紙入れ」。どちらかとい うと、抑揚の少ない平板な語りの人だが、今夜の間 男モノは、妙に色っぽい。生硬な描写が、かえって 初心な新さんに実感を持たせ、したたかなお店のか みさんとの対比で、皮肉な話に生身の人間を感じさ せた。お次は、文楽の代演で、志ん五の登場。かつ ての過激な与太郎は完全にナリを潜めているが、し っかりした「鰻屋」を聴かせてくれた。いいぞいい ぞ。  あんまりネタをやらないアサダ二世で一息入れて 、いよいよ、お目当て。何しろ顔を覚えてないのだ から、出から、じーっくり見てしまいました。白髪 混じりの短髪に、おとなしい目鼻。落ち着いた、癖 のないしゃべり。控えめで臭みのない江戸前の芸。  わかった。わかりました。どうしてたすけがこの 人を思い出せなかったか。自分の恥を言うことにな るのが癪だが、正直に告白すると、かつてこの人の 高座を見たとき、たすけ自身が若すぎて、その端正 な芸風が理解できなかったのである。こう言う人は、 見る方にも、ある程度の蓄積がないと、たださらり とした、地味な落語家という印象しか残らないので ある。  で、トリネタは、「茶金」。茶屋金兵衛という京 都でも知られた目利きが、「はてな」と首をひねっ たことから、二束三文の茶碗にどんどん高値がつい ていく。米朝の十八番で、「はてなの茶碗」の名で 知られた大ネタだが、今松の師匠、金原亭馬生はた しか「茶金」でやってたはずである。だから、今回 は「茶金」と書くぞ。  イキはいいが、そそっかしい江戸っ子と、おっと りした京都商人のやりとりが物語の要。当然、この 対照的な二人の登場人物の演じわけが腕の見せ所と なるが、今松は力まず、気張らずのマイペース。聴 いてるこっちが、もっと臭くてもいいのにと思うほ どの、淡白さである。ところが、打ち出しの太鼓に 送られて木戸を出る時には、「いいものを聴いた」 という充足感でいっぱいだった。  地味だが、確実に腕を上げている。これから今松 をもっと聴かなきゃと思ったのは」いいが、また顔 を忘れてしまった。こうなると江戸前の芸も、困っ たものである。 たすけ


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