越中富山の薬やさん「広貫堂」

広貫堂全景と、本社屋上より見た日本アルプス。
当時の資産で一千五百万円。
従業員1000名 行商人2000名など、会社データ
広貫堂の世界戦略を地図で表している。
まさか写真の格好で世界中を飛び回った訳じゃないでし
ょうね。
広貫堂本館と、講堂。
西洋風の建物は、当時の流行だったようです。昭和初期
の東京丸の内付近にも似たような建物が写っている絵は
がきがあります。
 玄関脇の高札場のような物が、ハイカラな建物に、不
釣り合いですね。

行啓記念館
旧富山二代藩主 前田正甫公筆の大額
山岡鉄舟筆の大額
行啓記念とは、いつの天皇さまだったのでしょうね。

富山売薬創始者 旧富山藩主前田正甫公胸像
広貫堂第一試験室の内部。どっかの学校の実験室のよう
な雰囲気の部屋に、野口英世のような風体の研究員が見
えます。

製粉工場の一部と細拌機と書かれていますが、当時とし
ては最新の機械だったのでしょう。
錠剤工場と配合室の写真です。
天井から動力を貰うベルトが沢山ぶら下がっているのが
、近代的だったのでしょう。

丸衣機とありますが、たぶん薬の上にまぶす甘い皮を付
ける装置でしょうか。
下の写真は、手作業で製丸している光景です。あほまろ
も、富山の広貫堂の店内でこの手作業の製丸を試したこ
とがありますが、簡単そうでなかなか難しいんですよ。

第二包装工場とあります。女工さんが大勢並んで薬をつ
めています。
下は印刷工場。薬の袋を作っているようです。
製錬工場とありますが、大きなタンクが並んでいるだけ
で、何をする装置か判りません。右に製錬ロールという
物も写ってますが、水飴のような液体が・・。

 工場の風景を絵葉書にして配るということは、当時としては、
とても近代的な工場だったのでしょう。あほまろが子供の頃、近
所の鉄工所で見た、天井から動力を取るベルトがとっても懐かし
く思い出しました。みなさんは如何でしたか。


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