絵本「色里三十三所息子順禮」


 人形町水天宮付近で発祥した吉原遊郭は、水天宮参りを口実に
好き者が足を運んだ。その後明暦三年の大火で吉原遊郭は焼け出
され、浅草観音裏の田圃に移転する。そのため今度は観音様参り
が口実となる。その名残か観音様が女性の陰部の表現として今も
残る。                         
 このように、女遊びの口実に利用された諸神仏は多く、江戸に 留まらず地方にも多い。江戸期の遊興といえば吉原遊郭が代表と されるが、これは官許の遊び場。役人が見張る中での遊びは、銭 の無い物は寄せ付けず、羽目を外すと手鎖に成り、遊郭主導のか なり窮屈な遊び場であったはずだ。             
 そのため江戸の各地に隠れ遊里が発生し、岡場所として賑わっ た。ここに紹介する本は、色里を各地の観音霊場に例え、巡礼を して歩く信者になぞらえて命名される、風変わりな絵本である。  版元は鍵泉、馬喰町三丁目の和泉屋永吉で、寛政の改革以前の 出版である。かなり摩耗した版木で刷られたわずか三枚の小冊子 で、携帯便利な遊び人の座右の書となっていたのであろう。