○貧乏神

  ある商人が老中の松平信綱に言った。           

 「今年も大きな損失でした。どうして、こう損ばかりするのでし
  ようか。貧乏神のためでしょうか」            

  信綱は尋ねた。                     

 「そのほうは貧乏神と福の神を見たことがあるか」      
 「見たことがございません。人間の目には見えないと聞いていま
  す」                          
 「いや、そうではない。二つの神とも、はっきりと人の家に常住
  して離れないものだ。」                 
 「そうでございますか。それは、いったい、どういうことでござ
  いましょうか」                     

  そこで、信綱はおもむろに言った。            

 「それぞれの心に福の神もおれば、貧乏神もいる。驕った心を持
  ち、分に過ぎたことをしたり、不必要な義理立てをしたり、思
  慮の浅いこと、それが貧乏神というものだ。また、貧乏神の部
  下もいる。手下の者や女房が、そうだ。あれこれと器用立てを
  したり、主人のなすことに必要以上に口を出したり、不所帯の
  費用を使ったりすれば、これは貧乏神の部下になる。このこと
  によく留意して、早々に貧乏神を捨て、これを福の神にすれば
  幸せはやって来るだろう」                

  「名将言行録」より                   

 なんとすばらしい名言であるが、貧乏神なぞを心の中に住む神と
 する信綱の実態は手下の者にあれこれ器用立して貰わなければ何
 一つ出来ない不出来者と聞く、実態を伴わない彼の時代の逸話に
 こそ、時代をひにくった裏腹な真実が潜んでいることを実感させ
 られた内容である。