○中条流

  中条流(ちゅうじょうりゅう)とは、堕胎を専門にする女医を
 意味する言葉だが、同名の薬も存在していた。        
 「中条流」の語源は、元来豊臣秀吉の臣、中条帯刀を祖とする産
 婦人科の流派に始まる。しかし、太平の世が続く間に、いつの間
 にか、これが堕胎専門医の名目となってしまった。堕胎と言って
 も、現在の医学で行われている方法とはかけ離れ、そのほとんど
 が、強引に流産、死産をさせる方法で、母体の健康をも害してし
 まう荒っぽい治療であった。特に「中条丸」なる薬は水銀と米粉
 を混ぜあわせ錠剤にしたお粗末な丸薬であったのだが、当時大ヒ
 ットし、お局までが愛用していた薬である。         
  江戸の享楽的風俗の中でこうした中条流は繁昌し、さまざまな
 川柳にもその影を残す。                  
 「罪なこと仲条蔵をまた一つ」               
 「女医者とんだ所へ叱加減」                
  また、お局が男遊びをして妊娠するような世相を詠んだ、  
 「院殿もてんねき見える女医者」「お局の名に近い子おろし」 
 「お局の女医者とはすまぬこと」              
  などという句もあり、役者と密会を重ねていた絵島生島事件を
 はじめとして、性の開放化は武家の奥座敷にまで及んでいた。 
  このように、当時の国民こぞって享楽を軽んじる風潮を幕府が
 黙認するはずがない、天保改革時にはこれら中条に関る女医を取
 り締まる法律が施行されたがその効果はなく、その後地下に潜っ
 た中条流は益々繁昌したのであった。            
  さて、この「中条流」は「なかじょう」と、「ちゅうじょう」
 の二つの訓み方がある。正式な医学辞書等には「なかじょう」と
 あり、上方では「なかじょう」が一般的だったようである。江戸
 でも古くは、「なかじょう」であったが、次第に「ちゅうじょう
 」が一般的になって来た。