○江戸の宣伝活動

  江戸時代の宣伝はもっぱら引札(ひきふだ=ちらし広告)であ
 った。引札は宣伝文が勝負であったから、薬屋の効能書などは、
 実に詳しい内容のものであった。江戸時代後期になると多色印刷
 の引札も多くなり、宣伝文は有名な劇作者に依頼し、絵も有名な
 浮世絵師に依頼するなど工夫がこらされ、それ自体が芸術の域を
 有する鮮やかな物まで登場する。平賀源内をはじめ山東京伝や式
 亭三馬・十返舎十九・滝沢馬琴なども引札の文句を依頼されてい
 る。さながら当時の彼らは江戸のコピ−ライタ−だったのだろう。
  しかし、氾濫する引札にも錦絵同様、幕府の検閲が厳しくなり、
 「勿論、其の商職に寄り、常例直段書引札は格別、見世開当日粗
 酒進入などと申文言入候口上書、決て誂、申間敷」と、文化十五
 年(1818)に版木屋全体で申し合わせている。ふつうの値段
 書の引札ならよいが、開店に来た客には一杯飲ませるというよう
 な意味の引札は印刷しないという内容で、このように引札とは、
 商人や職人などが客を呼ぶための宣伝印刷物である。ちらし(散
 )ともいうが、これは不特定多数の人々に散布することから名付
 けたもので、当時は分けて呼ばれていた。          
  引札を語る時に忘れてはならない名コピ−がある。文政時代の
 三井越後屋(現在の三越デパ−ト)が発行した引札のコピ−だ。
 「呉服物現金安売掛値なし」との引札である。現在は日常茶飯事
 で使用されているこの文句も当時としては画期的なコピ−であっ
 た。それまでは武家屋敷や富裕な町民だけを相手に帳面販売(掛
 売)しか行っていなかった豪商が、この引札の発行と同時に身分
 を問わず、現金にて購入される客に対しては、余分な利益を取ら
 ず安価に販売します。という内容だったからだ。       
  変わったものとしては、吉原の引手茶屋の引札があげられる。
 これはペリ−来航による不景気のため、嘉永四年(1854)の
 春に出されたもので、来客があれば遊女屋までお共して、一人に
 つき一升ずつ酒を進呈すると書かれたものだ。この年の秋には、
 「遊女大安売」の引札まであらわれた。これは遊女が客を大満足
 させてあげるというもので、もし満足が得られない場合は次回来
 店の割引券(回数券みたいなもの)を発行するという内容であっ
 た。現在もこの手の割引券が存在するが、客の満足度を何の尺度
 で計ったのかは解らない。