○江戸の迷子捜し

 江戸っ子は祭りが好きだ。祭りは当然人出が多くどこの祭りでも
迷子が良く出た。現在の様に警察制度が整っていない江戸では、 
いったん迷子になると両親と再会するのは難しい。しかし、それは
生活の知恵で、江戸の子供はみな迷子札を身につけて出かけるので
ある。それでも迷子が多く、八代将軍吉宗のとき、芝口(現在の新
橋付近)に掛札場ができ、迷子・行き倒れなど身元不明の者につい
ての掲示板が七日間なされ、それなりの効果を上げた。     
 その後、民間の篤志家によって建てられたのが一石橋の迷子石。
片側が「たずねる方」、他方が「おしゆる方」で、必要な側に貼り
紙をして吉報を待ったのであった。              
 この一石橋のたもとにあった迷子石は江戸東京博物館開設時に移
転され展示保存されている。