○大江戸町方人口 江戸は世界一の大都市であった。 徳川家康の着任後、江戸城の本格的な改修が始まり、城下町建築も 進む。そして慶長八年(1603)、徳川幕府が成立するや江戸は 日本の実質的首都となり、繁栄の道を歩み始めるのであった。 元禄以降、住民の数は百万を越えて、ロンドンやパリや北京など 世界の大都市を凌駕するが、これは城壁に囲まれた都市ではないこ とにもよったのだ。 江戸という都市は武家の都で、町人は街道や河川沿いの狭い地域 に押し込められていたが、武家屋敷には緑が多く。街中を水路が走 り、自然が生きていた。 町方人口 元禄六年( 1693) 353.150人 享保三年 (1718) 534.600人 享保十九年(1734) 533.000人 と、享保年間に一時四十五万人台に減少したこともあるが、以後 幕末にいたるまで五十万台を維持している。 十八世紀の半ばに、江戸の町数・町方人口が固定化したことは、 江戸が都市としての成長を終えたということになろうが、江戸幕府 の開始は慶長八年(1603)、すでに一世紀半が経過している時 期である。このことは。十八世紀半ばに、江戸の住民はかっての開 幕当初における、諸国から移住して来た町民によって構成された住 民ではなく、そのほとんどが江戸で生まれ、江戸を故郷と意識する 住民であったといえる。