== 昭和31年の浅草にローカルフードの原点を発見 ==
亜寳麿裕寳
日本住宅公団が、初の入居者募集開始し、首都圏整備法施行が施行され、東京が「首都圏」とわれるようになった昭和31年。「もはや戦後ではない」「一億総白痴化」などと、国民が平和を感じ始めたころの浅草六区の興行街。由利徹、八波むと志、南利明の3人が脱線トリオを結成し、大阪で開催された「美空ひばりショー」に群集が殺到し死傷者十名を出す騒ぎなど人々の娯楽もようやく再認識されつつあった時代です。
戦後の無軌道で不道徳な若者のことを描いた小説「太陽族」が流行、それに反発するように、まじめにコツコツと生きてきた中年男が、人生の何かに抵抗したくなる「抵抗族」なんて小説も、ちまたを騒がせていました。
戦前までは、恋人同士で遊びにいくことを、「ランデブー」なんて言葉を使っていましたが、そんな言葉はすでに死語。そう、「デート」なんです。それも、浅草の繁華街を堂々と腕を組んで闊歩する若者が増えてきたのです。それを「ドライ」と割り切った若者の考え方や行動を盛んにマスコミが煽ったことから、益々それがエスカレートしていった時代でもありました。
“♪ もしもし ベンチでささやくお二人さん 早くお帰り夜が更ける 野暮な説教するんじゃないが ここらは近頃物騒だ・・・“、ラジオからは「りんごの歌」なんてのはとっくに消え失せ、曽根史郎がヒットさせた「若いお巡りさん」なんて流行歌にも当時の若者の世相を見ることができます。
浅草では、戦後の闇市から立ち上がった連中が、奥山や瓢箪池の周辺に仮ではありますが掘っ立て小屋のような屋台を建て、娯楽を求めてやって来る連中に食べ物を提供し始めたもこの頃です。
人が集まる所には必ず「食」があります。それも、そんじょやたらに食べられるものなんかじゃ無いのが屋台の売り、料理や素材にもその辺の食堂とは一線を引いた珍しいものばかりが並んでいました。それまでは、“美味しい食べ物”なんてのにはほど遠く、“とにかく食べられれば良い”ものばかりだった屋台が豊に変身していったのでした。
当時の浅草は、日本一の繁華街です。今でいう新宿、渋谷、池袋を合わせたよりも凄い賑わいを見せておりました。もちろん映画は総て封切り、演芸やお笑いが総出演する芝居小屋や演芸ホールが軒を並べ、芸能人を間近に見られる浅草、戦後復興のシンボルとして進駐軍の肝煎りで、“雷門ゲート”も再建されたことによって、全国から観光客もやってきたのです。
歩き疲れてちょっと屋台を見れば、一杯2円でぎんぎんに冷えた氷水で喉を潤すことができ、ちょっと気取って彼女には一杯5円の冷やしコーヒー。二人で三個10円のおやきを頬張りながら、松竹演芸場の前に貼り出されたエノケンの舞台写真に見入る、そんな光景はちょっと古い写真などでおなじみの光景ですね。
昭和31年9月頃の浅草の屋台を中心に写した、およそ300枚の写真が残っております。この年の2月、都電は10円から13円に値上げされ、その一方消費が増加したことによって45円から40円に値下げされた、高級なタバコのピース(両切10本入)。同じく値下げされた庶民のタバコ新生(両切20本入)20円。郵便切手は封書が10円、葉書が5円だった時代です。
フイルムは、ブローニー判という12枚撮りのフイルムが主流で、一本400円以上もするという時代です。昭和31年の国立大学授業料が年額9000円だった時代ですから、それがいかに高級なものだったかはお解りになるでしょう。それにも関わらず、何の目的でこのような写真を大量に残したのでしょう。
浅草寺の奥山から六区にかけての五重塔通り商店街には、平成16年に新しい山門が完成しました。これを機会に通りと商店の外観だけでも江戸時代の雰囲気を持たせようと、通り沿いの商店が協力し、戦後復興59年ぶりに薄汚れた商店街が「浅草おまいりまち」として蘇りました。
その時、お店の改築をしていたとある食堂から、買い物袋に詰まった写真の束が発見されたのでした。店主の記憶では、数十年前に誰かから預かったまま、今となっては知る由もないとのこと。いったい誰が残してくれたのでしょうか。写真の中には、浅草寺本本堂の棟上げ式の様子や、瓢箪池の埋め立て工事など、今となっては第一級の戦後の浅草資料なのです。
その写真の中の、屋台で売られているものの一つ一つを見ていると、苦しかった時代から抜け出しつつあった昭和31年の貧乏な中でも豊かな食生活と、当時の物価をも知ることができるようです。中でも多かったのは、「ビフテキ」「肉のみそ漬け」や「カレーパン」、みんな10円です。今でいうと100〜150円ってところでしょうか。最近では、どこでも500円になってしまった「焼きそば」や「おでん」が中心の屋台が目立っています。この写真に写っているような“豊かさ”、とんと見かけなくなってしまったのが残念です。
ここで儲けた連中が、地方に帰って都会の味を広めたようにも見えてくるのは幻影じゃないようですね。
資料を提供していただいた五重塔通り商店街のみなさまに感謝いたします。 |