工事中
六区通り
 浅草は懐しいところそして楽しいところである。浅草は何時行っても誰が行っても
ざっくばらんで気軽に笑顔で迎えてくれる。素顔で気軽に楽し めるお江戸以来の民衆
の盛り場であり、今でも時 間の流れに逆らって東京で唯一江戸が見え隠れしている。
 この浅草の良さを育んだのは偏に観音様が有るからに他ならない。観音様にお詣り
する人々は観音様の御利益に背てはならないとする地元の人たち、信仰心は善良なら
しめ、和睦ならしめる。そこに開放的親和的な万人共楽の郷が生まれたのだった。
 
浅草江戸の心意気
 江戸時代から昭和の初期迄、流行は浅草からといわれていた。小粋な町娘、小股のきれあが
った姐さん達がさぞかしカッコイイスタイルで往路を彩 っていたことだろう。
 いなせな火消しの兄さんが、川向こうで夜明かしをして帰る頃、町はおしあいへしあいのの
大賑わい。

 
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 明治、大正、昭和、平成と誰も
がこの地に遊んでは浮いたり、沈
んだり、浮き世の風の生々しさを
知った。川端康成の「浅草紅団」
の情緒は浅草の歌であり、賛歌と
して息づく。今も観光客に混じっ
て暮らすこの街の人々の顔は他の
街に見られない健やかさがある。
下駄 ばきであれサンダルであれ、
それなりに美しいく目立っている
のだ。浅草っ子が決して土地を捨
てない理由がそこにある。
「中央公論」昭和2年4月号 
『銀座と浅草』 廣津和郎 より