西浅草1丁目〜3丁目
昭和40年8月1日、住居表示制度の実施によって、西浅草と松が
谷が発足した。西浅草は浅草松清町、浅草田島町、浅草芝崎町を合
併して1丁目から3丁目とされた。1丁目は旧浅草松清町、2丁目
は旧浅草田島町、3丁目は旧浅草芝崎町である。
旧浅草松清町は明治2年5月、大松寺門前と清光寺門前えを合併し
て起立した、町名は大松寺の松と清光寺の清をとって命名された。
旧田島町も明治2年に起立、「東京案内」では、「明治5年西辺
の大番組大縄地と合して1町として、誓願寺の山号を取って新に
今の名を加ふ。」と記している。
旧芝崎町も同様に明治2年に起立。「東京府史」によると、「此
地日蓮寺門前東光院門前を明治二年合セテ町名ニ改メ五年又寺地
ヲ併ス。名義は昔日輪寺芝崎村ニアリテ芝崎道場ト唱ヘシニ由リ
テナリ」と非常に簡単な説明である。芝崎町は古くからあった名
前で、長禄年間江戸図会にても芝崎村と記され、「道場」と注記
している。明治2年起立した本町は明治5年に寺地を合した。町
名は浅草芝崎町といった。昭和11年9月1日に至り、本町は非
常に大きな変貌を遂げる。すなわち浅草新谷町の南部大部分を併
し、更に浅草千束町1丁目の南側1部を合して三町に分けられた
のだった。昭和40年の住居表示制度で再変するまでの浅草芝崎
町1〜3丁目の町域が確定していたが、その名も消えて更に広域
を併合し西浅草に統一されてのであった。
この芝崎町には元国際劇場があり、浅草演芸全盛期には六区に並
び芝崎町の名前も有名であった。
![]()
![]() |