松が谷1丁目〜4丁目
昭和40年 8月1日、住居表示の実施によって、西浅草と松が谷
が発足した。松が谷は1丁目から4丁目 までにわけられた。
1丁目は浅草北松山町と松葉町を合して町域を定め、2丁目は旧松
葉町中部である。3丁目は松葉町北部と入谷町南部を合併。4丁目
は入谷町南部で構成された。松が谷は旧松葉町と旧入谷町を中心に
して誕生した。そこで松葉町の松と入谷町の谷をとって、町名が付
されたのである。
浅草北松山町は昔沼を埋め立て、元和以降は寺地として発達した。
明治2年5月、15の門前町を合わせて浅草松山町と称し、明治4
年11月南側と北側に分け、翌5年4月南と北を冠するに至った。
松葉町の地は江戸時代初期三十三間堂があったところである。三十
三間堂は元禄11年9月 6日の大火で消失した。これを機会に三十
三間堂は深川に移された。跡地は寺院街となり、門前町が開かれ、
また浅留町、浅草坂本町が起立した。本町はこの2町と門前町を合
わせて、明治2年に誕生したのである。
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