駒形1丁目〜2丁目

君は今駒形あたりほととぎす

新吉原の名妓高尾太夫が残したこの句によって、本町の名は有名に
なった。町名の由来は、『御府内備考』 では「町名の起候訳は町内
馬頭観音の堂往古より有之、依て駒形町と相唱候」と述べている。
馬頭観音の堂すなわち駒形堂が有ったのでこの町名が付けられたと
いうのであるが、現在の駒形堂は雷門2丁目に位置する。これは関
東大震災後の市区改正の関係で移転させられたからなのだ。   
馬頭観音の堂をなぜ駒形堂と称したのには諸説がある。『江戸名所
記 』によると、                      

隅田川を舟で上下しながらこの堂を見ると、まるで白駒が駆けてい
るようなので”駒がけ”といった。それが”駒がた”に変化した。

『燕石雑誌』によると、                   

観音様へ寄進する絵馬を掛けたので、駒掛け堂と名付けたのが訛っ
て駒形になった。                      

『大日本地名辞書』によると、                

駒形神を相州箱根山から勧請しなのにちなむ。        

となっておりいずれの説が正しいのかは各々の判断に委ねたい。

昭和9年6月1日、浅草黒船町の一部、浅草新猿屋町、浅草諏訪
町、浅草新福富町と浅草寿町の無番地、浅草駒形町の大部分、浅
草三間町 の一部を合して、浅草駒形1丁目、2丁目が形成された
。ついで昭和39年10月1日、浅草駒形1丁目と2丁目の一部
が国道6号線(旧奥州街道)で二分されたのを機に、西側が駒形
1丁目、東側が駒形2丁目と再編成されてしまった。