東浅草1丁目〜2丁目

旧町名は浅草日本堤、浅草吉野町の西側、浅草山谷町西側、玉
姫町(明治24年3月起立し昭和7年2月消滅)、浅草田中町1
丁目を統合して東浅草となった。正徳3年の御府内備考記による
と、山谷町は山谷村から分離し、町を山谷町、村を山谷村地方と
称したという山谷町は北豊島郡であったが、明治22年浅草区に
編入された。この変更にともない、町域も若干変化し旧橋場、旧
今戸飛地を取り入れて山谷町となった。浅草玉姫町は新田義貞が
稲荷の像を瑠璃の宝塔に納めて奉安した玉姫稲荷が有ったのでこ
の名前が付いたのであるが、昭和7年2月に浅草石浜町、浅草清
川町と浅草山谷町に分割編入され、その短い歴史を終えた。