駒形堂

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 駒形堂は浅草寺のご本尊が隅田川から示現され、上陸された地に建立されたお堂。
当初は隅田川に面してお堂が建てられていたが、元禄十六(1703)年の再建で、
南向に建て替えられた。その後享保十七(1732)年、元文三(1738)年と続
けて焼失し、寛保二(1742)年の再建で、現在のように川に背を向けた向きで建
てられ現在に至っているが、その後もたびたび炎上、大正十二(1923)年の関東
大震災で大破してしまった。その後仮設の駒形堂が何度か建てられたが、昭和八(1
933)年に駒形橋東側の現在の位置に鉄筋コンクリート造りで復元された。
 毎年十九日にはご本尊が開扉される。江戸時代の三社祭の「舟祭礼」では蔵前より
舟で運ばれた三基の神輿がここで上陸し、三社様(現浅草神社)まで運ばれた。

駒形堂「戒殺碑」

 駒形堂の地先を聖地として、魚類保護のため建てられた殺生禁断を示す「戒殺碑」
が今に残る。



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 駒形堂の地先を聖地として、魚類保護のため建てられた殺生禁断を示す「戒殺碑」
が今に残る。
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 東京都郷土資料 浅草観音戒殺碑
 所在 台東区雷門二丁目二番 区立駒形公園内
 指定 昭和四十六年三月三十日

 総高183.5センチ。元禄五年(1692)浅草寺本尊が垂迹した霊地として、
駒形堂の地を中心に南は諏訪町より、北は聖天岸にいたる十町余の川筋を魚介殺生禁
断の地にした。このことを記念し、元禄六年三月浅草第四宣在が願主となり建立した
ものである。
 駒形堂はしばしば焼失しており、殺生碑もいずれかの火災に際して倒壊しており、
宝暦九年(1759)堂宇再建に伴い再び建てられたといわれる。現存の碑が当初の
ものであるか、再建のものであるかは詳かではないが、昭和二年(1927)五月に
土中から発見、同八年修補再建されたものである。
              昭和四十六年十月一日 建設
                          東京都教育委員会
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