今朝は、雲ひとつ無く気持ちの良い空ですね。きっと、晴天のいちにちになるのでしょうけど、寒さは厳しかったよ。久しぶりに、シャッターを押す指の感覚が麻痺していたのですからね。
あほまろは東京スカイツリーを入れた写真を撮る時には、くるくる回る展望台の照明が真ん中に来るのを狙って撮っているのですけど、今朝はいざと言うときに指が思うように反応してくれなかったんだね。
それでも数打ちゃ当たるってことで、いらいらしながら、いっぱい切ってしまったんよ。何か、痒いところに手が届かないというか、はがゆくもどかしい状態でいつもの写真を撮ってきましたよ。
これってまるで、文句をつけようとしても、その文句が見つからない時のようなはがゆさに似た感じかな。そういえば、夕べ、ぐっすり眠っていると、女房と娘が電話で喧嘩する声に起こされてしまったんだけど、頭が熟睡中で言葉も出ず、”早く寝ろよ”と、一言だけのじれったさ、まったく、何にも束縛されない生活をしてみたい、そんな夢まで見てしまったんだよな・・・。
確か、時間も金にも、ましてや女房子どもにも束縛されない自由な生活がおくれたらどんなに素晴らしい人生になることでしょう。そんな夢だったかな。
今のあほまろにそんな生活が出来るわけは無いので、どんな拘束にも耐えているんだね。であほまろのように好奇心旺盛で新しい物事を積極的に受け入れたがる性格の人間は変化を好む者、それを拘束されたら、あほまろもリードを付けられたナナちゃんとか、牢屋に入れられた犯罪者と一緒だぜ。
たかが、寒さで指の自由が一時効かなくなったということだけなのに、ちょっと話が飛躍しすぎてしまったかな。ま、何を言いたいのかと言えば、日頃から、誰からも干渉や束縛をされない生活をおくってみたい願望をどこかにぶつけて見たかっただけなんだよ。
でもね、もしそんな夢が叶ったら、あほまろひとりで、身の回りのこと総てが出来るのかと問われたら、それはそれで困ってしまうかも。
やはり、人間は周りの連中と、お互いの生活尊重しながら、かつ束縛しないされない生活が現実なんだよね。現実逃避することは出来ないので、「夢」の中で自由を謳歌するのだって、ストレス解消の一翼を担ってるのかも知れないね。
あぁ、今日も我が家のリホームのための部屋掃除が続く現実から逃げ出したいとの気分も「夢」で合って欲しい・・・。
想えば、あほまろだって、かつて恋をしたことだって合ったんだよ。そのあげく結婚出来たのさ。あの頃は、「お互いの生活を尊重し、かつ束縛しない生活をおくりましょう」なんて、歯の浮くような言葉と絵に描いた餅をぶら下げながら、40年近くもズルズルと生活を続けてしまったんだからな・・・。
それが今では・・・。あぁ、現実の我が人生、お粗末に尽きるってか。
とにかく、女房を「飯炊き女」と割り切って、「夢」の中で自由を謳歌する時間がいちばん楽しいのだ。さて、今朝も早かったので、昼食前に昼寝でもすっか。「夢」の続きが見られると良いんだけどね。
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