観音縁日の今日は、小雨の朝になりました。外を見ると、たいした雨じゃないようなので、いつものようにモモちゃんを撮れて行こうとすると、雨に濡れたらかわいそうでしょと女房が止めるのです。そんな時のモモちゃんとナナちゃん、玄関でどっちが連れて行ってくれるのかなと、あほまろと女房の顔をキョロキョロ、仕方なくあほまろがナナちゃんのリードを持つと、やった〜!と、勝ち誇ったような態度のナナちゃんと、寂しそうに座り込んでしまったモモちゃん。雨の朝は仲の良い犬同士にもちょっとした葛藤があるのですよね。
とりあえずマンションの玄関までは一緒でしたが、モモちゃんは元気な姿を見せようと、必死で着いて来るのでしたが、途中でお別れ、またまた悲しそうな顔をしてじ〜っと我々の後ろ姿を見送っているのが可愛そうでしたよ。何が言いたいのか、ちょろちょろ舌を出したりしてね。
あほまろさんは「サブカルチャー」の研究をなさっているんですよね。元気なナナちゃんに引っ張られながら、新仲見世を帰って来る途中で、あほまろの日記を見て、一度逢ってみたくなったと、待っていた女性に声をかけられました。サブカルチャーって、正統な日本社会の伝統的文化に対し、社会に属するある特定の集団だけが持つ独特の文化を指す言葉ですよね。あほまろは、どっちかというと、伝統文化を研究しているんです。そのように応えると、じゃあ、ホーロー看板とかマッチらラベルとかは、それを使うのは文化には違いないけど、集めるって行為は正統な文化とはいえないのでは、それがサブカルじゃ無いのでしょうかね・・・。
なるほど、それも一利ありますよね。彼女はとある出版社で雑誌の編集をされている方で、最近は、違った意味合いになってしまった「サブカル」いわゆるサブカルチャーのことを調べているそうです。1970年代の元祖サブカル雑誌と言われている「面白半分」、この雑誌を刊行しようと思った切っ掛けが、朝日新聞に掲載された吉行淳之介氏のエッセイで、「日本軽薄派」という雑誌を作ってみたいとの一文だったとか。初代の編集長の佐藤嘉尚氏が、「面白くてタメにならない雑誌」にしようと、吉行淳之介、野坂昭如、開高健、五木寛之、藤本義一、金子光晴、井上ひさし、遠藤周作、田辺聖子などの協力の基に刊行され話題になった雑誌ですよね。
今では、それが「元祖サブカル」と言われているのですが、実は、大正末期に宮武外骨が同名の雑誌を手がけているんですよね。どっちかといえば、それが本当の元祖といえるのではないでしょうか。彼女は、そんな想いから、現代のユーモア感覚を持った「面白半分」的な雑誌を企画しようとしているのです。その節は是非、あほまろにも手伝って欲しい、そんなことを言われてしまいましたが、あほまろに出来ることといえば、「おたくになりきれないおたく」と、「おたく文化を否定するおたく」なんてこととか、当時、五木寛之氏が主催した「日本腰巻文学大賞」の第一回受賞者となった山口瞳氏の「酒飲みの自己弁護」の現代版とかなら書けるかもね。
それにしても、現代版の面白くてタメにならない雑誌「面白半分」、これって真面目そうに見えながら中身は相当濃い雑誌になるのでしょうね。ただ、最近の若者の活字離れを懸念して、絵や写真を多様しなければ営業にはならないとか、それも今を象徴するサブカルってことなのでしょうね。とりあえず、何の主流派にも属さず、一部の熱狂的固定ファンに支えられるような雑誌になることを期待しますよ。
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