あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記
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平成20年2月20日(水) 旧暦1月14日友引
- イージス艦の盲点 -
日記写真
『今朝の浅草』

 モモちゃんは今朝も歩いてくれません。それも、我が家を出てから本堂までず〜っとです。距離にしておよそ800メートルですが、その距離を抱っこして歩いたので、肩が凝ってキーボードを打つたびにきりきりと傷みが伝わってくるのです。本当に困りましたね。でも、浅草寺を詣でて帰路となると、急に元気に歩き出すのです。それも、早く帰って朝ご飯を食べなくっちゃ、そんな気持の現れなのですよ。その証拠に、帰ってまだご飯が無い時の落胆した様子で判るのです。あほまろの書斎の扉の前で、早くちょうだいよとクンクンやっているのですよ。

 あほまろは毎朝、散歩を済ませて食事をとり、その日に撮った写真の加工を終えてから秘密基地に出勤し、ネット用とプライベートの日記を書いているのです。それからネットにアップするんですが、最近はプライベートの日記に記す事項が多くなって、ネット用の日記がどんどん遅れてしまってごめんなさいね。これからはなんとか、10時半までにはアップするように努力する予定で頑張っているのですが、秘密基地で色々処理しなければいけないことも多く、今朝もちょっと遅くなってしまいました。

 浅草は特に話題の無い朝ですが、今朝の新聞を賑わせているのは、自衛隊のイージス艦と漁船衝突事故ですね。最新鋭イージス艦「あたご」(7700トン)がマグロはえ縄漁船「清徳丸」(7・3トン)と衝突。清徳丸は船体が2つに割れ大破し、乗組員の親子二人が行方不明になっているのです。

 イージス艦といえば、現在世界最高の探知能力を有する戦艦であるにもかかわらず、すぐ近くを走る漁船に気付かなかった。1/1000しかない小型船は探知されない構造になっているのでしょうか。実は、これってかなりの盲点というか、い致命傷では無いのでしょうか。これがもし、戦地だとして、自爆テロが漁船に大量の爆薬を積んで衝突しようとしても見付けることが出来なかったじゃ済まされないのでは無いでしょうか。今ごろ、アメリカの同型のイージス艦がペルシャ湾で活動しています。日本のこのニュースを知った自爆テロ、その盲点を逆手にとって行動を起こさなければ良いですね。友達の友達にアルカイダが居る大臣さん。今回の出来事は友達には話さないでくださいね。といって、今の時代、ニュースは瞬時に世界中に広まってしまうか・・・。

 浅草寺裏広場に新た大木が立ちましたが、かつてはもっとすごい大木が境内いっぱいに有ったのです。その一つ、旧五重塔前(現在交番の前)に戦禍の痕跡を残しながらも生きている銀杏の木、そしてその側に有って新しい五重塔の完成と共にその場所を五重塔下に移された銀杏の大木がいわゆる浅草寺のご神木として有名ですね。しかし、戦禍を浴びても未だに生きている大木は外もあるのです。お地蔵さん広場で真っ黒く焼けこげた跡を残している銀杏の大木と、観音堂の真裏東側で全ての枝を払われてしまっても、まだしっかり生きている銀杏の大木(表紙写真)なのです。
 あほまろはこの大木が一番のお気に入りなのです。実は、あほまろが集めている浅草寺周辺の絵葉書、浅草寺の本堂を移したものには、必ずといって良いほどこの大木も写っているのですからね。それと、明治末期には、この大木の側に鶏小屋があって、日中は鶏が木の周りで遊んでいたのですよ。
 今はまだ枯れていますけど、春になると緑の葉が茂り、秋には境内で最後まで黄色い葉を残し、まるでその存在を知らしめているかのような大木なのです。こんな些細なことでも、古い写真を集め、それが何処であったのかを検証しながら、8年間も春夏秋冬を観察しているので、ついつい頭に残ってしまうのでしょうね。

『今朝の雷門』

 
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『今朝の宝蔵門』

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『今朝の本堂』
 
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『本堂から宝蔵門』 
 
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『本堂から宝蔵門の大提灯』

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『今朝の境内』
 
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 久米平内堂の白梅です。
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 満開になった、淡島堂の白梅。
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『今朝の浅草神社』 
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『今朝の一写』

 「オリンピックを日本に、2016年」の宣伝が描かれた都バスを目にすることが多くなりましたね。つい数年前までは確か「オリンピックを東京に・・・」だったハズでしたよね。でも、開催地が東京と決まってからは、戦いは日本招致でしたね。はたして、実現の可能性はあるのでしょうかね・・・。でも、こんな運動をしているだけでもしないよりは経済効果が有るのですって。儲かるのは広告代理店関連だけとは思うのですけど。
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『浅草な人』
 いつも同じような写真ばかりになってしまいますが、実は、この影も季節と時間によって変化しているのですよ。実は、朝日が差し込んで来た時の影の写真、毎朝決まった場所で撮っているのです。
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 なぜかというと、あほまろが集めている絵葉書の季節と時間考証に使うためにね。
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『今朝のワンちゃん』

 我が家の下でお逢いしたナナちゃん。今朝も歩きたがらないモモちゃんに呆れているようでしたね。
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 ほら、ボビちゃんだってちゃんと歩いているでしょ。それよりも、93才のおばあちゃんだってモモちゃんよりも元気ですよ。
写真00  今朝はワンちゃんが誰も居ない境内でした。諦めて帰ろうかと思ったところにバビちゃんが来ましたよ。
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 バビちゃんを見て、ようやく歩き出してくれたモモちゃんです。
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 ペコちゃんも暫くぶりですね。今朝はちょっと遅かったから逢えたのかも。
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 誰かワンちゃんが来るまで待ってましょう。
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 来ました。ワイヤーフォックステリアのランディ君です。そういえば、今朝は柴犬のランディ君が来ませんね。
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 ぬいぐるみのようなランディ君をバビちゃんは怖がってましたね。
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 おや、今朝のメグちゃんは遅かったですね。
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 本堂前で待ってたおかげで、チコちゃんともお逢いしました。
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 今朝は、とうとうココアちゃんもランディ君も来ませんでしたね。毎朝お逢いしているワンちゃんに逢えないと、ちょっと寂しいかも。
写真00 『謎の画家かいち判明』

 京都新聞(2月9日朝刊)によると、「大正から昭和初期にかけて京都で活躍した謎の画家で、近年、絵はがきや絵封筒に描かれたアール・デコ風の叙情的な作風が人気を集める小林かいちの遺族が9日までに、見つかった。かいちの二男で京都府長岡京市今里の無職小林嘉寿さん(63)。かいちの展覧会が京都精華大で開かれているのを、京都新聞を読んだ知人を通じて知り、同姓同名の「小林嘉一」の名で仕事をしていた父の遺品を調べた結果、父が制作した木版画のサインが、かいちの絵封筒に書かれているサインと一致。また、20歳ごろの父の写真に、かいちが関東大震災前後の若き日に使用した雅号「うたぢ」と同じ、「う多路」や「Utaji」の記名もあった」

 弥生美術館で開催されている「小林かいち展」で学芸員の石川氏が発表された、「京都図案家銘鑑」には「小林歌治」の名、やはり竹久夢二ら同時代の叙情画家「小林かいち」だったのですね。本名は、小林嘉一郎さんといって、1896年生まれ。三男一女を育て1968年に72歳でお亡くなりになられたそうです。これで、絵ハガキや絵封筒で人気を馳せた謎の画家の正体が判明し、今後の日本近代美術史研究の流れも大きく変わることでしょうね。

 以下は、あほまろが所蔵する「小林かいち」の絵ハガキの一部です。外にも小林かいち作と思われる絵封筒もいっぱい集めていますよ。
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 小林かいちの作品のほとんどが、女性がうつむいてたたずむ姿を描いているのです。
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 モダンでハイカラな「京都アール・デコ」スタイルを確立したのは、小林かいちではなかったのでしょうかね。
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今朝の写真
CANON EOS-40D,Tamron Zoom AF18-250mm F3.5-6.3
Canon EF-S 10-22mm F3.5-4.5 USM
撮影枚数107枚
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