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あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年10月13日 (金) 旧暦8月22日大安

- 歩道橋の思い出 -

日記


『今朝の浅草』
 秋も深まってくると朝の空気が冷たくも感じてきますね。家の中ではまくっていた長袖のシャツですが、外に出た瞬間の寒さ、ついつい下ろしてしまいました。年をとると共にどんどん毛が抜けてしまい、以前よりも一回りも二回りも細くなってしまったモモちゃん、今年の冬の寒さに絶えられるかが心配です。年寄りのモモちゃんのために、おしゃれな着るものを買ってあげましょうかね。本当は、犬に着物、なんてのは好きくないんですけど。
 国際通りのビューホテル前の歩道橋工事が行われています。古くなったので架け替えるのか、それとも利用者が少ないので撤去されてしまうのでしょうかね。あほまろは、この歩道橋には数々の思い出があります。ビューホテルの位置に国際劇場が有った頃、劇場の壁を飾る大看板を撮影するにはこの歩道橋の上しか無かったのです。また、つくばエキスプレスの工事が始まる前の眺めの良い頃の三社祭の本社渡御、“上から見るな!”なんて怒鳴られながらも、毎年のようにこの歩道橋の上から撮影していたのです。
 五千人収容の国際劇場が跳ねて浅草の街に繰り出す人々が押し掛ける時間帯はまるで一方通行状態、急ぎの用が有って演芸ホールから国際劇場に急ごうとしても歩道橋の階段にすら入ることが出来なかったってこともありましたよ。

 普段は全く気にもとめ無かった歩道橋、半分に切断されて取り壊された姿を見ながら、今では誰も使うこと無く、無用の長物となってしまった姿に、浅草の衰退をも見る想いでした。
 浅草、もっと頑張らなくっちゃ!
     
 テプコ浅草館で開催している「第一回 デジタル・ポンチ」の会場で、漫画家のウノカマキリ先生が描いた「昭和10年の西浅草縁の芸人地図」が配布されています。先日、戦前にお好み焼きの「染太郎」さんのお隣で、芸能人のプロマイドの卸業をされていた老人が地図を見ながら懐かしそうに当時を語ってくれました。
 彼によると、東京大空襲で東京を離れ、二ヶ月後に帰って来たらすでに自分の家の跡地に掘っ立て小屋が建ち並び、いくら自分の家だったと主調をしても、居住権を盾に居座られてしまったと嘆いていました。
 昭和13年頃の浅草を書いた高見順の「如何なる星の下に」に、「本願寺の裏手の、軒並芸人の家だらけの田島町の一区劃のなかに、私の行きつけのお好み焼屋がある。」と、田島町のお好み焼き「染太郎」
が登場します。それもそのはず、このお店の名前は高見順氏の命名なのです。その、お隣でプロマイド屋さんを営んでいたのでしょうね。現在の「染太郎」は、戦前の場所から南側に移って営業をしているのです。
 ウノカマキリ先生も、軒並芸人の家だらけの田島町の文書に魅せられ、昭和初期の芸人在所地図を創ったのでしょうね。地図が欲しい方は、テプコ浅草館の三階にお越しください。
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『今朝の雷門』
 肌寒い朝の雷門、清掃作業員さんだけが忙しそうに働いているだけでした。
    
   
  
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『今朝の一写』
 こんな寒いのに・・・。見ている方が震えてしまいそうでしたよ。外人さんなのかな?じゃ無かったんです。秋も深まっているのにね・・・。 
  
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『今朝の境内』
 秋の観光祭の奉納提灯、よく見るとまだちょっとだけ空きが有るようですね。
   
 明後日から始まる「菊花展」、菊の花を栽培する業者の方々が下見にいらしてました。
   
 「菊花展」は、15日から始まります。18日には浅草寺で菊供養も行われますよ。
   
 観音裏に珍しく国際交通のバスが停まっています。確か、この駐車場を契約しているのは、はとバスだけと聞いていたのですけど、何か事情が有ったのでしょうね。
   
 落ち葉が目立ってきましたね。でも、毎朝清掃員が片付けているので今のところは溜まることは無いのです。
   
 浅草神社の境内を通って通学ですね。
   
 つい先日まで、ここに神田が有ったのですね。有る時も、無い時も当たり前の風景に見えてしまうほど簡素な神社の境内、5年前も10年前も、奥のビルと看板以外に変化は無いのですね。
   
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 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。

『今朝の余談』

 昨夜、浅草で有名な鯨屋「捕鯨船」のマスターと、六本木の俳優座劇場にお芝居を観に行ってきました。
京楽座が演じる、島崎藤村の「破戒」です。
 この物語、小説を読んだ方も多いでしょう。真正面から差別問題を取り上げた出版当時の問題作として有名で、この小説によって旧来から続いていた差別問題が社会問題として考え直されたのでした。
 島崎藤村といえば、明治38年5月、執筆中の小説「破戒」を完成させるために、家族をつれて再び上京し、浅草新片町(現在の浅草柳橋付近)に住んでいましたので、なんとなく親しみを覚えますね。
 小説「破戒」は、お芝居になりにくい内容ですが、特に暗くならずに淡々と演じ続けられるのですが、それでいて観る者を世界に引きずり込んでいってしまう深さ、演出の良さなのか、役者の技量なのか、ついつい三時間にも及ぶ長いお芝居にどっぷり浸ってしまいました。
 今回の主役は中西和久さん、彼を有名にしたのは、浅草時代のエノケンの物まねなのです。コメディからシリアスまで器用にこなす、中西和久さん。今度、浅草芸人列伝にも協力してもらうつもりで観に行ってきたのでした。
   

 今回、お芝居見物をアレンジしてくれた、鯨屋「捕鯨船」の河野さんご夫婦と一緒に六本木。奥さんは、浅草で産まれの浅草育ちですが、六本木に来るのは40年ぶり。河野さんも何年ぶりか記憶に無いほどとか。まるでお上りさんそのもので、六本木ヒルズを見付けただけで大騒ぎでしたよ。お芝居は始まるまでちょっと時間があったので、みんな思い出多い「アマンド」でお茶しましたよ。
 お芝居が跳ねた後、居酒屋でご馳走になってしまいました。とっても楽しい夜をありがとうございました。
   


今朝の写真
Panasonic DMC-L1 LEICA D VARIO-ELMARIT F2.8-3.5 14-50mm
OLYMPUS ZUIKO Digital 7-14mm F4 / 50-200mm F2.8-3.5
撮影枚数64枚

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